近代を代表する詩人・小説家の室生犀星は、2019年8月1日に生誕130年の記念日を迎えました。
室生犀星って誰?という人も、“ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの”(
「小景異情 その二」)のフレーズは教科書などで見たことがあるのでは。ほかにも“いまもその川ながれ/美しき微風ととも/蒼き波たたへたり”と故郷・金沢の生地のそばを流れる川をうたった「犀川」など、一枚の絵のようにその情景が目に浮かぶうつくしい詩をたくさんつくっています。そんな詩を知ると、神経質でアンニュイな感じの文学青年風に犀星をイメージしちゃいますよね?しかし、犀星についていろいろ調べると・・・あれ、なんか違う気が???そう、彼は“文明という生活形態とは全く同調できない野生児”(by佐藤春夫)だったのです!
(注)佐藤春夫はあくまで犀星の詩才について書いています。念のため。(「天成の詩人」)
作風と風貌のギャップに衝撃を受けた人が犀星のすぐそばにもいました。犀星が「二魂一体」と称した親友、詩人の萩原朔太郎です。朔太郎は「詩壇に出た頃」(『
日本現代文学全集26 萩原朔太郎集』所収)というエッセイに、初対面での犀星の印象を書き残しています。この時、犀星は無一文で風呂敷に原稿用紙とタオルと石鹸だけを包み、犬殺しのようなステッキを携えて現れました。(室生犀星
「我が愛する詩人の伝記」)
“この「あこがれの詩人」に対する、僕の第一印象は甚だ悪かった。「青き魚を釣る人」などで想像した僕のイメージの室生君は、非常に繊細な神経をもった青白い魚のような美少年の姿であった。然るに現実の室生君は、ガッチリした肩を四角に怒らし、太い桜のステッキを振り廻した頑強な小男で、非常に粗野で荒々しい感じがした。”
もっとも、犀星もまた朔太郎を見て「気障な虫酸の走る男」と思ったようですが。
第一印象はサイアクで性格も全く似ていない二人でしたが、すぐにうちとけ、のちに犀星が詩から小説の世界への転向を宣言してからも、朔太郎がこの世を去るその時まで生涯友情を保ち続けました。そんな二人の詩をまとめて味わってみたい方は
『日本語を味わう名詩入門9 萩原朔太郎/室生犀星』をどうぞ。二人の友情に着目した詩集です。
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