6. 政策家・実業家千里
更新日:2023年10月28日
平成15年度 大阪府立中之島図書館初夏の展示
玄武洞文庫展
平成15年6月15日(日)~6月28日(土)

-幕末・明治期大阪の偉才田結荘千里の足跡-
6. 政策家・実業家千里
41 血涙痕
絵筆を絶ち、砲術家として名声を高める千里でしたが、安政5年(1858)、幕府がアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヶ国と修好通商条約を結ぶにいたり、砲術の道を廃し、富国が第一と決意します。
その後は、藤堂藩(津)、新宮藩の求めに応じて政策プランナーを勤め、また幕府へも、改革案を進言、維新直後も明治政府へ、大阪改革案を進言しています。
明治2年(1869)、清国へ渡航、帰国後新宮藩に求めて汽船を購入するなど、海運業に転じます。その船は廃藩置県で政府没収、また自ら購入した汽船が遭難するなどの苦難を乗り越え、明治13年(1880)北海道に水産会社を設立し、後を同じ創立委員である熊谷平三に託し帰阪しました。
41 血涙痕 1冊 【玄武洞文庫-67】
田結荘千里著 自筆 清書本 ※慶応3年(1867)成
42 津藩宛田結荘千里書状 【玄武洞文庫-162】
(1)[ロシヤ船大坂渡来時の見聞] 安政元年9月22日付
(2)[御扶助米の礼、藩経済を潤す案] 4月3日付 松本長右衛門・須川政右衛門宛
(3)[洋船建造・大坂川崎津藩屋敷に反射竈設置願] 12月17日付 松本長右衛門・須川政右衛門宛
43 新宮藩指令書 4通 【玄武洞文庫-163】
新宮藩より田結荘斎治あて
44 乍恐愚策奉献言候(維新後の大坂改革案) 1綴 【玄武洞文庫-166】
田結荘千里自筆
45 根室〆粕会社一件 1綴 【玄武洞文庫-193】
仮規則(創立委員に千里の名有り)、捕鯨意見書、捕鯨願など