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1. 田結荘千里

更新日:2023年10月28日

平成15年度 大阪府立中之島図書館初夏の展示

玄武洞文庫展

平成15年6月15日(日)~6月28日(土)

玄武洞文庫展ロゴ

-幕末・明治期大阪の偉才田結荘千里の足跡-

1. 田結荘千里(たゆいのしょうせんり)

田結荘千里墓碑文

1 田結荘千里墓碑文

田結荘千里履歴書

2 田結荘千里履歴書

陽明学者、画家、砲術家また実業家でもあった田結荘千里、名は馝・駜、通称斎治、幼名不動次郎・元吉、字は必香・邦光、号千里、出自但馬の名勝に因んで玄武洞とも号しました。文化12年(1815)4月4日、但馬出身大阪の儒医但馬天民の第2子として大坂堂島に生まれました。
千里の名は、31歳の弘化2年(1845)に刊行された当時の大阪文化人名簿『浪華名流記』に画家として、またその11年後の安政3年(1856)刊行の『浪華名流記』に砲術家として掲載されており、その頃には、名声が大阪市中に知れ渡っていたことが窺えます。
千里は、明治29年(1896)3月28日、82歳で歿しますが、その45年後、昭和16年(1941)6月発行された『大毎美術』で、美術評論家添田達嶺は、その5月号に掲載された千里の「尺八絹本青緑秋景山水図」を観て、東京の画家や美術評論家の中で千里の名を知っている者が一体幾人いるだろうと問い、続けて「あれ程の学者で人格者で、絵も悪くないのに、どうして此の人が世に知られずにゐるのだらうか。矢張生涯を大阪に終って、中央に活躍しなかったゝめかも知れない」とその画才を賞賛し、世に出ていない事を惜しんでいます。

[田結荘千里翁伝]

3 [田結荘千里翁伝]

新撰浪華名流記

4 新撰浪華名流記

※【 】内は、当館請求記号

1 田結荘千里墓碑文  1軸  【玄武洞文庫-322】
藤沢南岳撰・書  明治30年(1897)成 拓
2 田結荘千里履歴書  1綴  【玄武洞文庫-207】
自筆 *『明治十五年内国絵画共進会千里絵画出品目録』に添付
3 [田結荘千里翁伝]  1袋  【玄武洞文庫-105】
田結荘金治編・筆
4 新撰浪華名流記  1冊  【子426】
三宅貞編 弘化2年(1845)刊
5 浪華名流記  1冊  【丙活350】
三宅貞編 安政3年(1856)刊
6 絵画共進現存画家人名一覧表  1舗  【子428】
広瀬藤助編 明治16年(1883)刊

浪華名流記

5 浪華名流記

絵画共進現存画家人名一覧表

6 絵画共進現存画家人名一覧表

玄武洞文庫展(2)

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