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織田作之助の草稿

大阪府立図書館 > 大阪資料・古典籍 投稿 > 中之島 > 織田作之助の草稿

更新日:2023年10月30日

織田作之助の草稿について

大正2年10月26日に大阪市で生まれた作家・織田作之助は、2023年で生誕110周年を迎えました。当館には織田作之助のご遺族よりご寄贈いただいた貴重な資料群として「織田文庫」があり、その中には草稿類も多く残されております。草稿類は雑誌や本に掲載されるような清書された決定稿ではなく、下書きや未完成のものです。同じ箇所でも少し違った書きぶりの頁がいくつもあったり、線で消したりまた付け加えたりしています。
 今回はその草稿の中から「書き出し」と思われる部分をご紹介します。

 織田文庫の草稿については、全てDVD-ROMでご覧いただけます。「織田文庫目録」-web版-にて目録を公開しておりますので、ご興味のある資料がありましたら当館3階大阪資料・古典籍室1のカウンターでお尋ねください。(【 】内は当館の請求記号です。【織田草稿Ⅱ-○】は織田文庫第2期の草稿を指します)

目次

夫婦善哉

天衣無縫

木の都

船場の娘

北浜株式街

夫婦善哉

夫婦善哉の草稿(織田草稿Ⅱ-146)
夫婦善哉の草稿(織田草稿Ⅱ-148)
夫婦善哉の草稿(織田草稿Ⅱ-147と織田草稿69)

【織田草稿Ⅱ-146】
【織田草稿Ⅱ-148】
(左)【織田草稿Ⅱ-147】 (右)【織田草稿69】
※特に記載のないものは1枚目です。

大阪の夫婦(ぐうたら亭主の柳吉と気の強いしっかり者の女房蝶子)を描いた作品。蝶子と柳吉の二人が法善寺横丁の善哉を食べる場面が印象的です。

ひらがなで「めをとぜんざい」と書かれた【146】の草稿は、「辛い勤めも皆親のためといふ意味の俗句があるが、春枝の場合、あてはまらぬ。」という書き出しで始まっています。この草稿では主人公の名前は蝶子ではなく「春枝」となっていますが、父親の名前は同じ「種吉」です。実際の小説では書き出しではなく少し後に似た内容の文章が登場します。「だから、辛い勤めも皆親のためという俗句は蝶子に当て嵌らぬ。」(引用:参考文献1より)
また、【148】と【147】の草稿では蝶子が柳吉を折檻する場面から始まっていますが、【69】の草稿は「天麩羅屋の種吉の家には年中借金取りが出はいりした。」で始まっており、決定稿*と近い書き出しになっています。

実際の書き出し:
年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いづれも厳しい催促だった。路地の入口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚あげて商つてゐる種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにはかに饂飩粉をこねる真似した。(引用:参考文献1より)

*ここでは、決定稿はそれぞれ「実際の書き出し」として引用した本に収録されている文章のことを指します。

天衣無縫

天衣無縫の草稿(織田草稿Ⅱ-109)
天衣無縫の草稿(織田草稿55の1枚目と10枚目と織田草稿Ⅱ-110)

【織田草稿Ⅱ-109】
(左)【織田草稿55】 (中央)【織田草稿55】10枚目 (右)【織田草稿Ⅱ-110】

こちらも夫婦話ですが、気が弱く、お人よしで頼りない夫・軽部のことを妻の側から描いています。【109】の草稿の書き出しは「そんな風に、人の顔さへ見れば、金貸したろかと、まるで口癖めいて言ふ軽部は、初めのうち随分誤解された。」とあります。【55】の草稿も同様の書き出しです。実際の小説ではこの部分は中盤ぐらいに似たものがあります。「その頃あの人は、人の顔さえ見れば、金貸したろか金貸したろか、と、まるで口癖めいて言っていたという。だから、はじめのうちは、こいつ失敬な奴だ、金があると思って、いやに見せびらかしてやがるなどと、随分誤解されていたらしい。」(引用:参考文献2より)
【55】の草稿の2枚ははほとんど同じですが、人名の部分を見ると中央の方は「軽部」ではなく「野崎」となっています。【110】の草稿の書き出しは決定稿と同じです。

実際の書き出し:
みんなは私が鼻の上に汗をためて、息を弾ませて、小鳥みたいにちょんちょんとして、つまりいそいそとして、見合いに出掛けたといって嗤ったけれど、そんなことはない。(引用:参考文献2より)

木の都

木の都の草稿(織田草稿Ⅱ-31)

【織田草稿Ⅱ-31】

作者と等身大の人物「私」が少年の頃住んでいた大阪の町を久しぶりに訪れます。高台の上町の情景が描写されており、作中で描かれている口縄坂の上には「木の都」の最終節が刻まれた碑文があります。草稿は実際のものとほとんど同じ書き出しですが、書きながら修正を入れたと思われるところがよくわかります。

実際の書き出し:
大阪は木のない都だといはれてゐるが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる。
それは生国魂神社の境内の、巳さんが棲んでゐるといはれて怖くて近寄れなかつた樟の老木であつたり、北向八幡の境内の蓮池に落つた時に濡れた着物を干した銀杏の木であつたり、中寺町のお寺の境内の蝉の色を隠した松の老木であつたり、源聖寺坂や口繩坂を緑の色で覆うてゐた木々であつたり、――私はけつして木のない都で育つたわけではなかつた。大阪はすくなくとも私にとつては木のない都ではなかつたのである。(引用:参考文献3より)

船場の娘

船場の娘の草稿(織田草稿Ⅱ-94)
船場の娘の草稿(織田草稿Ⅱ-94の2枚目)

【織田草稿Ⅱ-94】
【織田草稿Ⅱ-94】2枚目

瀬戸物問屋の一人娘・雪子と奉公人・秀吉とのお話。「女の橋」「大阪の女」は短編集に一緒に収録されることの多い作品ですが、それぞれ雪子の母・小鈴と雪子の娘・葉子の話となっています。【94】の草稿では、英語で始まる書き出しは同じですが、1枚目に比べると2枚目の描写が増えています。「七月二十五日」と「天神祭である」の間の描写は、決定稿ではもう少し多くなっています。

実際の書き出し:
「……ウインター イズ ゴーン スプリング ハズ カム。……」
講義録のリーダーを読んでいる秀吉の耳に、ふと何処からかハモニカの音が聴えて来た。うらぶれた物哀しいメロデーはこの頃流行している「枯れすすき」の曲だと、すぐ判った。(引用:参考文献4より)

北浜株式街

北浜株式街の草稿(織田草稿Ⅱ-30と織田草稿17)
北浜株式街の草稿(織田草稿17の10枚目)

(左)【織田草稿Ⅱ-30】 (右)【織田草稿17】
【織田草稿17】10枚目

未発表の作品と思われるものです。いくつか書き始めの草稿がありますが、当館(中之島図書館)にも身近な北浜の情景から始まっています。

書き出し:
川があり、中ノ島公園があり、近代的な建物、なかんづく取引所の白いビルがあり、北浜は美しいところだ。が、また不気味なところである。(【織田草稿Ⅱ-30】より)

参考文献

1. 『現代日本文學大系 70 武田麟太郎 島木健作 織田作之助 檀一雄集』 (筑摩書房 1970.6)【918.6/4/】
2. 『定本織田作之助全集 第2巻』(織田作之助/著 文泉堂出版 1976)【222/1225/#】
3. 『筑摩現代文学大系 45 武田麟太郎 島木健作 織田作之助集』(筑摩書房 1978.6)【918.6/54N/45】
4. 『織田作之助全集 5』(織田作之助/著 講談社 1970)【222/801/#】
5. 『織田作之助文芸事典』(浦西和彦/編 和泉書院 1992.7)【910.26/483N/オダ】
6. 『織田作之助の大阪:生誕100年記念』(オダサク倶楽部/編 平凡社 2013.9)【910.26/6174N/オダ】

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