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大阪府立中之島図書館だより「なにわづ」 No.132

更新日:2004年11月30日

なにわづ・題字

1999年1月 No.132

新聞は生きた歴史の記録

中谷 作次

 大阪で最初に発行された日刊新聞は「浪花新聞」と称し、明治8年12月に発刊されています。それから現在に至る130年の間に、わが国の新聞は素晴らしい発展を遂げました。発行されて間もない明治10年頃からは、新聞本来の使命でもある速報性から、必然的に「号外」が生まれました。

更に数年後には詳報性から、また読者に対するサービスの見地から、併せて「付録」を添付されるようになりました。いずれも新聞社間の競争(号外競争とも呼ばれた)もあり、実に豪華な「付録」が添付され、これらは貴重な資料的価値のあるものとして残っています。

従って本紙があって「付録」と「号外」は車の両輪の役目を果たしたと言えます。

「号外」は本紙の号数と関係なく本紙の報道に先行して、飽くまでも速報、もしくは詳報の役目を果たしてきました。

今日のようにラジオ、テレビの普及していなかった時代は当時の人達は「号外」をむさぼり読んだものです。

これに対し「付録」は報道の補完的な意味もあり、必ず本紙の発行日付、号数を付してあって本紙との一体性がとられています。戦後の昭和30年頃からは「付録」も全く姿を消してさまざまな「新聞のおまけ」も昭和の後半には全くその姿を消しました。

「付録」には報道に関連した地図、写真、帖はもとより交通、遊覧、美術絵画、カレンダー等から遊びの双六、カルタ等々読者を啓発し、楽しませてくれたものが数多くありました。

一方「号外」は戦後昭和30年代のラジオ、テレビの一般家庭への普及に拘わらず重大ニュースの時は、各社は本紙一頁大の「号外」が発行されるようになり、平成に入って特に大ニュースが多かったため発行回数は増すようになりました。戦前迄の号外配達は販売店の従業員が、腰に鈴を吊り音をさせながら、露路の奥までも戸別配達をし、尚道行く人にも手渡していましたが、戦後は本紙一頁大の号外をターミナル等で通行人に手渡し又は適当な箇所に貼付けして速報されています。こうした号外には最近特にカラー刷りのものも発行され読捨てるには惜しいような気がします。

最近こうした「号外」を本紙と共に「生きた歴史の記録」として保存されている人が多くなりました。各地の図書館では新聞は可成り保存、公開されていますが関連する「号外」・「付録」は重視されておりませんので今後は新聞と一体性のある「号外」「付録」についても「生きた歴史の記録」として収集、保存公開されることを望む次第です。

 (新聞文化資料館館長)

◆「大阪の博覧会」展を開催しました◆

平成10年10月4日~18日 於 当館3階文芸ホール

 平成10年度特別展示として当館3階の文芸ホールにおいて大阪21世紀協会との共催、日本万国博覧会記念協会の後援を得て、「大阪の博覧会」展と題する展示会を開催いたしました。

明治以降、大阪で開催された博覧会はおよそ150が確認できます。このうち、30あまりの博覧会を当館の所蔵する資料で紹介いたしました。

博覧会は近代大阪の時代を反映していて、博覧会を通して当時の息吹を感じることができます。

1903(明治36)年に天王寺公園で開催された「第五回内国勧業博覧会」は、これまでの勧業博覧会の持っていた日本の近代化を推進するという目的に加えて、「遊び」も前面に押し出したもので、博覧会のあり方に変化をもたらしました。

その後にも都市化の進行とともに住宅問題が発生すれば「住宅改造博覧会」(1922年)が開催され、乳幼児の死亡率が問題になれば「児童衛生博覧会」(1921年)が開催されるなどしています。また、当時の最先端技術だった電気をテーマとした博覧会も大正末から昭和初期にかけて開かれています。

敗戦時には復興と独立を掲げた「復興大博覧会」(1948年)や「講和記念婦人とこども大博覧会」(1952年)など。高度経済成長を迎えて庶民の消費文化が育ち始めると、企業が博覧会を支える大きなファクターとなっていきました。

そして、1970(昭和45)年には最大規模の「日本万国博覧会」が千里丘陵で開催され、実に6400万人以上の人たちが大阪に押し寄せました。

展示会では「第五回内国勧業博覧会」の会場の正面アーチのペーパークラフト(立版古)、「大大阪記念博覧会」の絵葉書、「電気大博覧会」の全景を描いた図絵、「日本万国博覧会」の公式記録などを17に区分して展示いたしました。

会期中に3500名を越える入場者がありました。ご来場ありがとうございました。また、展示会の開催にあたり、各方面の方々にご教示ご協力いただきました。御礼申し上げます。

〔関連講演会のご報告〕

第1回 「商都大阪の都市景観-第5回内国博覧会をめぐって-」

(講師 橋爪紳也氏 京都精華大学助教授)

「祝祭」を前面に出した第5回内国勧業博覧会の開催を契機に変化した大阪の都市景観について講演いただきました。博覧会の開催前と開催後の会場となった天王寺や新世界の風景、そして「遊び」の空間のモデルとなったアメリカのコニーアイランドについて、多数のスライドを用いてわかりやすくお話くださいました。

第2回 「メディアと博覧会-『大阪毎日』と『大阪朝日』の問題を中心に-」

(講師 津金澤聡廣氏 関西学院大学教授)

大大阪博覧会前後から戦前期までの大阪毎日新聞社と大阪朝日新聞社の販売競争を核に、新聞が博覧会をはじめとするイベントをどのように利用していったかを講演いただきました。いい意味での販売競争が各種の博覧会やスポーツ大会の開催を促し、戦前期の大阪の文化を支えていたことを強調され、この活気の源が新聞の発達にあったことを明らかにされました。

◆ 図書館に こんな本も入りました ◆     < 新収資料紹介 >

平成8年5月にリニューアルオープンして以来、平成8年度末、9年度末それぞれに常設小展示コーナーを利用して、「新収資料展」を行って来ましたが、今回はその時スペースの関係等で紹介できなかった資料をお知らせします。

(1)ひさかしらの記 1冊
凸坊凹丸著 薮長水等画 各自筆

(2)ひさかしらの記行 1冊
凸坊凹丸著・画 自筆

凸坊凹丸は近世末期の大坂の狂歌師。弘化2年(1845)刊の人名録『浪華名流記 』に名が載るが、 詳細は不明。 天保14年(1843)、大坂を出立しての江戸下り、絵を交えての紀行文である。いずれも表紙外題は「狂詠必蔵歌詞楽」。同行者は、同じ狂歌仲間梅庵と狐原と名のる人物。この一行は、膳所まで梅庵の「おじ」壷中庵竹翁、増利、薮長水に送られ、その地に野亭(山田)とも出会ったとある。 (1)は、序・跋(壷中庵・玉兎園)が備わり、道図も長水、青洋(玉兎園)らが彩色で描いており、出版を試みたようであるが、所々白紙で執筆予定者を記した付箋が貼りつけてあり、出版は未完に終わったようである。 (2)は、表紙に「草稿」とあり、文面も中断され、見返しその他には、序・跋の予定者、絵の予定者も書き付けられている。紀行文には著者本人と思える図が書き添えてあり、それを見本に後日、長水らが描く予定であったのであろう。(甲和1368 甲和1369)

忠臣連理の鉢植 上,下 2冊松好斎画 大阪 河内屋太助等刊

「忠臣蔵」ものの変わり狂言、奈河七五三助作『義臣伝読切講釈』の絵入り根本(歌舞伎脚本を読み物風に印刷刊行し、絵を添えたもの)。松好斎は大坂の画家で、役者絵を得意とした。(252-216)

陶斎随筆 2帖趙陶斎著 自筆

趙陶斎は長崎生まれ、宇治黄ばく山万福寺に入ったが、後元文年間に還俗、諸国遊歴のあと、江戸・大坂を経て、晩年は堺で過ごした。天明6年(1788)、73歳で没した。書に優れ、詩や篆刻もよくした。この随筆には、幕末から明治期にかけての大阪の漢学者藤沢南岳、明治35年の跋分がある。(甲和 1274)

[昭和初期大阪新劇関係資料]

大阪新劇界に尽くされた故大岡欣治氏の旧蔵資料と思われるものを、何点か収集した。大岡氏の著書『関西新劇史』で大半は語り尽くされてしまうが、この時代大阪の新劇運動に参加した文化人の伝記資料としても今後大いに役立つ資料といえる。そのうち2点、主なものを紹介しておく。

お座しき芝居スクラップ 1,2 (ぬ 224) 大阪協同劇団スクラップ 1,2,3(ぬ 225)

<カード箱> ◆はじめての中之島図書館◆

私が初めて中之島図書館を利用したのは、大学2回生のときです。レポート課題のために必要な本があったのですが、大学の図書館のものは貸し出されてしまい、友人から中之島図書館に行けばあるかもしれないと聞いて行ってみることにしたのです。

初めての中之島図書館の印象はかなり強烈でした。梅田から歩き、市役所の横を過ぎたところでぱっと目に飛び込んできた建物のその圧倒的な重量感、薄暗い中央ホールをぐるりと取り囲んだカード箱(まだリニューアルする前のことでした)、そして何よりもあまりの人の多さにびっくりしたのを憶えています。初めての私はカードのひき方もなかなか分からず、ものすごい勢いでカードを繰るベテランの利用者の方に挟まれながら何とか必要な本を見つけ、順番を待って書庫から出してもらいました。ないかもしれないと思っていた本を手にすることができたときは、とてもうれしかったです。図書館を出ると、ほっとしました。

あの日から4年が過ぎ、この4月からは図書館員として中之島図書館で働くことになりました。司書となって半年が経ち、最初の極度の緊張もようやく落ち着いてきて、中之島図書館での毎日にも少しずつ慣れてきました。そんなとき、カウンターで、初めての来館と思われる学生さんをみると、自分が初めて中之島図書館に入った日のことを思い出します。

毎日多くの方がそれぞれの目的を持って来館されます。毎日新しく知ることがいっぱいで、消化していくのに精一杯という感じです。けれども、あの大学2回生の日のことは忘れないでいたいなあと思います。初めてこの建物に入ったときの気持ちをしっかり憶えておきたいと思います。(山田)


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