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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 資料小展示「ピーター・パンの世界展~国際児童文学館展示用貸出パック紹介第1弾~【解説】

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更新日:2016年12月27日

 小展示「ピーター・パンの世界」【解説】

はじめに

ピーター・パンは、イギリスの小説家・劇作家として活躍したJ・M・バリが100年以上前に生みだしたキャラクターです。最初は小説の脇役にすぎなかったこの「永遠の少年」が、世界中にその名を知られることになったのは、1904年12月27日にロンドンのデューク・オブ・ヨーク劇場で幕を開けた芝居がきっかけでした。以後、演劇や小説としてはもちろんのこと、絵本、映画、アニメーション、マンガなど、多種多様な『ピーター・パン』が登場しています。

今回の小展示では、『ピーター・パン』と題されるさまざまな作品をわかりやすくご紹介すると同時に、国際児童文学館が所蔵する貴重な初期翻訳作品の数々をご覧いただきます。

主催:大阪府立中央図書館国際児童文学館
協力:川口短期大学 水間千恵 (敬称略)

1.「ピーター・パン」の誕生―バリの手になる物語

1902年、J(ジェイムズ)・M(マシュウ)・バリは、『小さな白い鳥』(The Little White Bird)という小説を発表しました。中年作家と少年デイヴィドの交流を描いた、多分に自伝的要素を含むこの作品に挿入されていたのが、物語の本筋とは全く関係のない話中話、「生後7日で家を出て、ケンジントン公園で妖精たちと暮らしているピーター」の物語です。「ピーター・パン」という名前はここで初めて登場しました。ところが、それから2年後の1904年に上演された芝居のストーリーは、この話中話とはまったく趣を異にしていました。「ネバーランドで繰り広げられるピーターと、ダーリングきょうだい(ウェンディ、ジョン、マイケル)と、迷子の少年たちの冒険談」になっていたのです。

『小さな白い鳥』に収録された物語は、1906年にアーサー・ラッカムの美しい挿絵をつけた小品『ケンジントン公園のピーター・パン』(Peter Pan in Kensington Gardens)として出版されました。ラッカムは、ピーターを手足のぷっくりとした赤ん坊の姿で描いています。

いっぽう、劇場でのピーターは、冒険の主役にふさわしく少年の姿で舞台を飛び回りました。バリはこの芝居を、初演から7年後の1911年に、子ども向けの物語にまとめなおして出版しましたが、初版の挿絵を担当したF・D・ベッドフォードも、ピーターを少年の姿で表現しています。この作品は、当初は『ピーターとウェンディ』(Peter and Wendy)というタイトルで出版されましたが、のちに『ピーター・パンとウェンディ』(Peter Pan and Wendy)として流通するようになり、近年では単に『ピーター・パン』(Peter Pan)として出版されることも多くなっています。

戯曲『ピーター・パン――大人になろうとしない少年』(Peter Pan: or The Boy Who Would Not Grow Up)が出版されたのは1928年のことでした。また、1907-08年シーズンの千秋楽でただ一度だけお披露目された後日談にあたる寸劇についてはここに含まれず、バリが亡くなったのちに『ウェンディが大人になったとき』(When Wendy Grew Up, 1957)のタイトルで出版されました。ちなみに、1911年に出版された『ピーターとウェンディ』は、この寸劇部分までとりいれた内容になっています。

ケンジントン公園をおもな舞台にした赤ん坊のピーターの物語1902年『小さな白い鳥』出版(13~18章部分)↓1906年『ケンジントン公園のピーター・パン』(1)出版ネバーランドをおもな舞台にした少年のピーターの物語1904年芝居開幕  → 1928年戯曲『ピーター・パン――大人になろうとしない少年』(3)出版

1908年後日談上演 → 1957年戯曲『ウェンディが大人になったとき』出版

1911年小説『ピーターとウェンディ』(2)出版

図:バリが生んだ「ピーター・パン」の物語

2.『ピーター・パン』翻訳受容史

このように、「ピーター・パン」が登場する物語は、バリの作品だけでも複数あります。しかも主要3作品【前図(1)(2)(3)】が日本に紹介されるさいには、しばしば『ピーター・パン』のタイトルで出版されてきたため、同一作者、同一タイトルのもとに内容が異なる作品が存在するという、厄介なことになってしまいました。

しかも、じつは日本語で読めるいわゆる『ピーター・パン』のなかには、バリが書いたこれら3作品を底本としていないものもあるのです。

そもそも、本国イギリスでは、芝居の初演後まもない時期から、バリの許可を得てほかの作家が書いたピーター・パン作品(=著者公認の再話本)が複数出版されていました。また、これらとはべつに、バリが関知しないところで勝手に出版された非公認再話本も、1910年代以降おもにアメリカを中心に、さかんに出版されていました。日本で『ピーター・パン』というタイトルをつけて出版された作品のなかには、そういった再話本からの翻訳書も含まれているのです。

さらに、初期の翻訳のなかには、大幅に内容を割愛した粗筋紹介のような作品や、バリ自身の手になるピーターの物語【前図(1)(2)(3)】には含まれない内容がまじった作品もあります。これらが翻訳者による改変なのか、それともそのような再話本を訳したものなのかを明らかにするためには、まず、英米の再話本の出版状況自体を詳しく知る必要がありますが、この点についても、いまのところまだすべてが明らかになっているわけではありません。子どもたちが愛読したために、ぼろぼろになって捨てられてしまった本も多かったのでしょう。出版社のリストにタイトルは残っていても、現物がどこにも残っていないというケースもあるのです。

このような事情もあって、いわゆる『ピーター・パン』の翻訳受容史については、まだわかっていないことがたくさんあります。

3.国際児童文学館のコレクション

1940年までに日本語に訳されたいわゆる『ピーター・パン』として、これまで確認されているのは、雑誌連載を含めて19作品です。国際児童文学館は、このうち14作品を所蔵しています(2016年4月現在)。なかにはここでしか見ることのできない貴重な資料もあります。

バリの作品【前図(1)(2)(3)】の翻訳
・『ピーター・パン』石井眞峰/訳註 英文世界名著全集刊行所 1927【(1)の対訳本】
・『ピーター・パン』 村上正雄/訳 春秋社 1927【(2)の翻訳】
・『ピーターパン』 菊池寛・芥川龍之介/共訳 興文社 1929【(2)の翻訳】
・『ピーターパン』 中村星湖/訳 平凡社 1931【(2)の翻訳】
・『ピーター・パン』 狩野弘子/訳 春陽堂 1932【(3)の翻訳】
・『ピータァ・パン』 本多顕彰/訳 岩波書店 1933【(1)の翻訳】
・『ピーターパンと一少女』 森村豊/訳、主婦之友社 1940【(2)の翻訳】

バリの作品【前図(1)(2)(3)】の翻訳ではないもの
・「ピーター・パン」『苺の国』所収 楠山正雄/著 赤い鳥社、1921
・「ピーター・パン物語」『女学生』第3巻1号~第3巻7号所収 河合鞠子/訳 1922年1~7月(展示は1~3号のみ)
・『ピーターパン物語』 立石美和/訳 金の星社 1927
・『お伽絵本西洋の一寸法師ピーターパン』 榎本 松之助/画作 榎本法令舘 1927
・「ピーター・パン」『赤い鳥』第18巻5号~第19巻4号所収  鈴木三重吉/訳 1927年5~10月(展示は18巻5・6号、19巻1号のみ)
・『ピーター・パン』 三好十郎/訳註 英文学社 1929(メイ・バイロンの再話の対訳本)
・『ピーター・パン』 宍戸儀一/訳 小山書店 1936

これらは、バリの作品【前図(1)(2)(3)】そのものの翻訳ではありません。ほかの作家(メイ・バイロンやダニエル・D・オコナーなど)が出版した再話本を翻訳したものと、バリの作品や再話本をもとに日本人がまとめなおしたと思われる作品です。

 4.バリとピーター・パンのモデル

J・M・バリは1860年にスコットランドの田舎町キリュミアで、織物職人デイヴィッド・バリとマーガレット・オギルヴィ夫妻の七番目の子どもとして生まれ、エディンバラ大学を卒業後、地方紙の記者やフリーの文筆業を経て、プロの作家になりました。『ピーター・パン』初演時には44才で、すでに、小説家・劇作家として、文壇で確固たる地位を築いていました。

ピーター・パンのモデルとしてまず挙げられるのは、作家自身の兄デイヴィドです。容姿端麗、頭脳明晰で一家の期待の星だったこの次兄が14才目前にして事故死したとき、ジェイムズはわずか6才でした。兄の死それ自体よりも、悲嘆にくれて半病人になってしまった母マーガレットに顧みられなかったことが、ジェイムズの心に大きな傷を残したといわれています。少年の姿のままで母の心を占領しつづけた兄デイヴィドは、作家バリにとって、まさに「永遠の少年」の原型だったわけです。

1897年、結婚してケンジントン公園近くに居を定めていたバリは、ある日、愛犬と公園を散歩中に、4歳のジョージ、3歳のジャック、乳母車に乗せられたピーターという、可愛らしいリューリン=デイヴィーズ兄弟と出会いました。その後生まれたマイケルとニコラスを加え5人になったこの兄弟との交流が、ピーター・パンを生む直接のきっかけになったことは広く知られています。その証拠に、三男ピーター(=ピーター・パン)はもちろんのこと、長男ジョージの名前はダーリング氏のファーストネームとして、次男ジャック(ジョンの愛称)はダーリング家の長男のファーストネームとして、またマイケルとニコラスの名前はダーリング家の次男のファーストネームとセカンドネームとして使われ、結果的に5兄弟全員が物語に登場しているのです。

バリとリューリン=デイヴィーズ家の人々との交流やピーター・パン誕生の経緯については、ジョニー・デップ主演の映画『ネバーランド』でも描かれました。

5.多様化する「ピーター・パン」の物語とイメージ

ビジュアル・イメージも多様です。『ケンジントン公園のピーター・パン』のアーサー・ラッカム、『ピーターとウェンディ』のF・D・ベッドフォード、メイ・バイロン再話のメイベル・ルーシー・アトウェル、ダニエル・D・オコナー再話のアリス・B・ウッドワードなど、初期の出版物だけを並べても、画家ごとに物語のイメージが大きく変化することがわかります。近年も、一流の画家たちが個性的な挿絵を描いていますので見比べるのも楽しいことでしょう。

舞台では、1904年の初演時以来、女優が主役ピーターを演じるという伝統がなかば慣例化してきました。日本でも、1927(昭和2)年の宝塚歌劇、1929(昭和4)年の劇団東童、1936(昭和11)年の松竹少女歌劇など、すべて女優が演じました。そのなかで東童は、初演こそ「海賊船」と題する二幕ものでしたが、1931(昭和8)年には、主役を少年に演じさせてバリの戯曲どおり5幕6場構成の「ピーター・パン」を上演しました。狩野弘子訳の『ピーター・パン』(春陽堂、1932)は、もともとこの上演のために用意されたものです。

「ピーター・パン」は戦後も児童劇の代表的な演目として、着ぐるみ人形劇などを含めてさまざまな形式で上演されてきました。有名なのは、1980年代から女性タレントを主役に据えて毎年夏休み時期に上演されているミュージカル版でしょう。これは、バリの戯曲【前図(3)】にはない、ウェンディが大人になってからの寸劇部分を含んだ内容になっています。

1925年には前年にアメリカで制作された無声映画が公開され、大人気となりました。村上正雄訳の『ピーター・パン』(春秋社、1927)には、この映画で主役を務めた17歳の女優ベティ・ブロンソンの写真が口絵代わりに使われています。

ディズニー・アニメ『ピーター・パン』が日本で劇場公開されたのは、1955年のことでした。いまでは、そのビジュアル・イメージが、絵本やノベライズ版のみならず、多様なキャラクターグッズを通して子どもたちに浸透しています。また最近では、ウェンディの娘を主役にした後日譚や、ティンカー・ベルを主役にしたスピンオフ作品も制作され人気を集めています。

2000年代に入ると少年俳優をピーター役に据えて、CGや特撮技術を駆使した実写映画も制作されるようになりました。日本公開2004年の『ピーター・パン』がバリの戯曲や小説を忠実に再現しようと試みていたのに対して、2015年公開の『Pan――ネバーランド、夢のはじまり』は原作に縛られることなく、大胆に脚色して「永遠の少年」が誕生するまでの経緯を描いた前日譚です。1991年公開の「フック」も、大人になったピーターを描いた後日譚でした。

前日譚や後日譚は小説としても数多く出版されています。日本語で読める作品としては、バリ自身から著作権を譲られたロンドンの小児病院が公認している続編『ピーター★パンインスカーレット』や、ブロードウェーで舞台化された前日譚『ピーターと星の守護団』(上・下)などがあります。ほかにも多くの作家たちがピーター・パンやフック船長といったキャラクターを借りたり、バリの着想を利用したりして、新たな作品を次々に創りあげています。パロディを含めて二次的な創作物というものは、オリジナルに対する強い思い入れがあってこそ登場するものですから、さまざまな「ピーター・パン」の物語が世界中で再生産されつづけているという現状は、バリの原作に与えられた評価の高さを示す証拠ともいえるでしょう。

参考文献

・Birkin, Andrew. J. M. Barrie & the Lost Boys: The Real Story behind Peter Pan. New Heaven, Yale Up, 2003.
・Carpenter, Hamphrey and Mari Prichard. Oxford Companion to Children’s Literature. Oxford: Oxford Up, 1985.(神宮輝夫監訳『オックスフォード世界児童文学百科』、原書房、1997年』)
・Green, Roger Lancelyn. Fifty Years of Peter Pan. London: P. Davies, 1954
・Hanson, Bruce K. Peter Pan on Stage and Screen, 1904-2010. 2nd ed. Jefferson, Nc: Mcfarlad &Company, 2011
・アンドリュー・バーキン、『ロスト・ボーイズ――J・M・バリとピーター・パン誕生の物語』、鈴木重敏訳、新書館、1991年
・子どもの本・翻訳の歩み研究会編、『図説 子どもの本・翻訳の歩み事典』、柏書房、2002年
・鈴木重敏、『ピーター・パン写真集』、新書館、1989年
・水間千恵、「Daniel O’ConnorによるPeter Pan再話に関する一考察――J. M. Barrieのオリジナルとの比較検討を中心に」、『国学院大学紀要』第46巻、2008年、197-220頁
・水間千恵、「大正・昭和初期における『ピーター・パン』受容の一面」、川戸道昭・榊原貴教編『図説翻訳文学総合事典 第五巻 日本における翻訳文学(研究編)』、大空社・ナダ出版センター、2009年、95-118頁
・水間千恵、「『ピーター・パン』――永遠の少年と変わりゆく家族」、川端有子・水間千恵・横川寿美子・吉本和弘著『映画になった児童文学』、玉川大学出版部、2015年、131-169頁

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