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本蔵-知る司書ぞ知る(59号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2019年9月20日版

今月のトピック 【ラグビーに懸けた人々】

2019年9月20日、ラグビーワールドカップ2019日本大会が開幕しました。44日間にわたる熱闘に世界中が盛り上がっています。当館でも展示「ラグビーを楽しもう!」を開催しています。この機会にラグビーについての本を読んではいかがでしょうか。

友情 [1]平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』(講談社 2017.10)

iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥とラグビー選手・監督として活躍した故・平尾誠二との交遊をインタビューや対談で振り返った一冊です。二人は2010年の週刊誌の対談で出会い、家族ぐるみで食事するほど親交を深めます。そして、平尾の闘病生活を山中が支えました。二人の駆け引きのない関係、家族を気遣いつつ治療に臨む平尾の姿に心打たれます。

知と熱:日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐』(藤島大/著 文藝春秋 2001.11)

本書はラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督を歴任した大西鐵之祐の評伝です。日本代表監督時代のオールブラックスジュニアからの勝利、イングランド代表との接戦はファンの間では伝説です。当時指導を受けた選手たちの証言やインタビューから、大西の思想が浮き彫りになります。フェアプレーと勝利の追求、科学的分析と闘争心など相反する要素を包み込むところに引き付けられました。

インビクタス:負けざる者たち』(ジョン・カーリン/著 日本放送出版協会 2009.12)

ネルソン・マンデラのアパルトヘイト撤廃への苦闘と、ラグビーワールドカップ1995南アフリカ大会の開催国優勝を描くノンフィクション。1990年台初頭、南アフリカでは黒人と白人の憎しみ合いが続き、内戦寸前に陥ります。黒人のラグビーへの関心は乏しく、代表チームも結束が固まっていませんでした。マンデラはラグビー南アフリカ代表の勝利が国を一つにすると考え、国民や代表チームに働きかけを行います。特に、黒人の歌がきっかけでチーム内の距離が縮まった場面が印象的です。本作はモーガン・フリーマン、マット・デイモン主演で映画化もされています。

今月の蔵出し

最後の読書』(津野海太郎/著 新潮社 2018.11)

アラウンド・エイティの元編集者で筋金入りの読書家である津野海太郎氏が、自らの老いを感じる中でどのように読書を続けているか、また様々な作家や教養人の「最後の読書」について興味深く紹介されています。

哲学者の鶴見俊輔氏は、89歳で脳梗塞で倒れ、言語の機能を失い、書くことも話すこともできなくなります。そんな中で亡くなるまでの3年半、ただ黙々と病床で読書を続けました。津野氏はそのことにショックを受けますが「モーレツな雑書多読派(中略)の習慣をつらぬいてきた鶴見さんにとって、じぶんをためす手段として最後にのこるのは、やはり読書しかなかったのだろう。」と考え、鶴見氏が「ただし、なにかのためでなく、じぶんひとりの「習う手応え」や「よろこび」を得るためだけの読書。『団子串助漫遊記』*に熱中した3歳児のころを考えてみよ。かつて私はそのようにして本を読みはじめた。とすれば終わりもおなじ。私の読書史はまもなくそのように終わってゆくにちがいない。」との思いで読むことをつづけたのだろうと述べています。

現場で本をつくる編集者のほとんどが、小さな活字の本が老人には読めない、読めてもきわめて読みにくいという現実に気づいていないと小活字へのうらみを語ったり、歳のせいで覚えが悪いと嘆くのは努力不足が原因で、記憶の仕組みが起動するには、強い興味をいだき、熱中したり感動したりすることが必要と説く若い脳科学者に、「老人の日常には努力の引き金となる野心や欲望(中略)つよいリズムは存在しない、むしろ心身ともにそのリズムで生きることがむずかしくなって、はじめて人は老人になる」との反論にはうなずけるものがあります。

現在の若者がシニアになる頃には、資料のデジタル化が進みスマホやタブレットで、文字を拡大して読書を楽しむようになるのでしょうか。いずれにせよ小さいころに知った読書の楽しみは人生の最後まで続くのだと感じます。当館も人生のどの段階においても読書の楽しみを提供できる場所でありたいと願っています。

*の資料は国際児童文学館館内利用のみです。

【熊猫】

歌う国民:唱歌、校歌、うたごえ​​(中公新書)』(渡辺裕/著 中央公論新社 2010.9)

私の祖母は生前よく、戦時中の子どものころの思い出話をしてくれました。その中で、小学校で歌ったという歌―満州国建国の歌や、皇太子様(今の上皇陛下)の誕生をお祝いする歌など―の話もよく聞きました。そんなときはいつも、「昔は何でも歌にしていたなぁ」と締めくくられるのが常でした。そんな時代の背景を解き明かしてくれるのがこの本です。
この本では、江戸時代から明治になり、政府が中央集権的な「日本」という国家を作っていく過程で、「国民」に必要な心性や知識を普及させるために、歌が活用されたことが、様々な事例を通して述べられています。
声をひとつにし、合唱することは、健康な身体や健全な心を育て、「国民」に必要な連帯意識を醸成し、秩序正しい社会を作るのに資すると考えられました。様々な唱歌が作られ、また巷に出回る俗楽を「改良」して国民にふさわしい音楽を作るというのが国家事業として進められました。鉄道唱歌や地理唱歌は国土についての知識を深めさせるため。「郵便貯金唱歌」は貯蓄の大切さを知らしめるため。まさに「昔は何でも歌にしていた」のだと驚かされます。
終戦で、国家主義的な唱歌の時代は終わりましたが、戦後は一転して、「うたごえ運動」という左翼的な運動や労働運動に歌が活用されます。戦前と戦後で一見逆に見える方向ですが、「皆で一緒に歌うことによって、『健全』な『国民文化』をつくりあげてゆこうとする、そういう一種の使命感というか、国民としての自覚というか、そういうものがこれらの活動を下支えしているという構造」があったことは共通していると著者はいいます。
何より驚くべきは、歌のもつ力です。この本では、他にも、校歌、社歌、県歌など、様々な歌の事象を通じて、日本のコミュニティの在り方が述べられています。
祖母やその時代の人々が、激動の時代の中で、何を歌い、思い、生きてきたか。読んだ後にはそんなことを考えさせられました。

【ハチ公】


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