本蔵 -知る司書ぞ知る(23号)
更新日:2016年9月20日
2016年9月20日版
『おやすみなさい おつきさま』(マーガレッド・ワイズ・ブラウン/作 クレメント・ハード/絵 せたていじ/訳 評論社 1979.9)
大きなみどりの部屋のなか。子うさぎがベッドに入り眠りにつくところ、うさぎのおばあさんは、暖炉の前でロッキングチェアに座って編物をしている・・・「おやすみなさい」、そう、あの絵本です。
「無条件に愛されていることが感じられる、ゆったりとした、静かな場所が必要なのです。それは、安定した自己意識が芽ぐむところがあって、そうした安定感こそ、大人の世界が子どもに与えることのできる、最高の贈り物です。『おやすみなさい おつきさま』の、夢の国に誘ってくれるような、不思議な力を持つ言葉と楽しい絵のうちに、3世代の子どもたちがそうした場所を見出してきました」と、『「おやすみなさい おつきさま」ができるまで』に解説されています。私自身、この絵本のヘビーユーザー(正確には、妻である「おかあさん」が主語になりますが…)で、安心と心地よい眠りにいざなう定番中の定番ではないでしょうか。
少し古くなりますが、今年(2016年)5月に、『「おやすみなさい おつきさま」ができるまで』の筆者が講師を務めるフォーラムに参加の機会を得たところ、原書『Goodnight moon』も是非一読を、との奨めがありました。「おやすみ くまさん おやすみ いすさん」、「Goodnight bears Goodnight chairs」など原書は韻を踏んでいて、まさに絵本は声に出して読むものと、あらためて実感されられます。
かつて私が読み聞かせをしていた際には、部屋にあるものや月など見えるものひとつずつに「おやすみなさい」と語りかけることに斬新な印象を受けたように記憶していますが、最近の絵本の中にも同様の手法により、安心して眠ることができるものがありました。『しきぶとんさんかけぶとんさんまくらさん』。こちらは、しきぶとんたちが「まかせろまかせろ、おれにまかせろ」と答えてくれています。なお、この絵本は、当館こども資料室が作成した『ほんだな2015:こどものほんのリスト』でも紹介しております。
最後に、絵本の読み聞かせが、脳の発達に与える影響についての一冊『読み聞かせは心の脳に届く』。経験的に読み聞かせは子育てにはとても良いことと考えられていますが、はたして脳はどのような働きをするのか?…、興味深い結果が紹介されています。
【まる】
『一〇〇年目の書体づくり:「秀英体平成の大改刻」の記録』(大日本印刷株式会社/著 大日本印刷 2013.10)
本書は、大日本印刷が2005年末から2012年の7年間にわたって行った、「秀英体」(大日本印刷の前身である秀英舎が独自に開発した書体)のリニューアルプロジェクト、「平成の大改刻」を記録したものです。第一章では「秀英明朝」、第二章では「秀英初号明朝」、第三章では「秀英角ゴシック」「秀英丸ゴシック」の改刻について記されています。
書体の製作に際して、プロジェクト監修者の片塩二朗氏は「個人の解釈や、個人の嗜好の徹底的な抑制」を求めたそうです。それは活字書体が「ひろく読者にむけた、おおやけのもの」で、このプロジェクトが「永続性を企図した開発」であることから来たものです。そんな片塩氏の要望のもとに、プロジェクトメンバーの方々が研究や調査を行い、何度も書体のコンセプトを確認し、試行錯誤しながら書体を作り上げていく様子を知ると、これから本を読む時、書体に込められた思いを考えずにはいられないと思います。
また、書体や文字の見本が多く載っていますので、改刻前後の書体や修正前後の文字をまちがいさがしのように見てみるのも面白いです。パッと見ただけでは気が付かなかった小さな違いに、書体づくりのこだわりが伝わってきます。文字をチェックした時の赤字の入った資料もありますので、どのように修正箇所をチェックしていたのかを見ることもできます。
秀英体についてもっと知りたくなった方は、中之島図書館のみの所蔵ですが、「平成の大改刻」を行うきっかけともなった資料で、片塩二朗氏による大著『秀英体研究』もありますので、ぜひご覧ください。
【紗】
『森の生活:ウォールデン』(ヘンリー・D・ソロー/著 講談社 1991.3)
「四十にして惑わず」、とは孔子の言葉ですが、五十になった今も惑いっぱなしです。ええ、もちろん天命なんて知りませんとも。いまだに「いまの生き方でよいのだろうか?」なんてことを考えたりもします。そのせいか、「どう生きるべきか」について書かれている本が紹介されているのを見ると気になってしまうのです。本書もその一冊でした。
ただ、この「森の生活」、私にとっては、<書名だけは知っているけれど・・>という本の一冊でした。つまり、書名と著者は何度も見聞きして知っているけど、読んだことはない、といった本です。本書についても「読んだことはないけれど、まぁ、文明や社会の批判、自然賛美の本なんでしょ?」といった勝手な思い込みがあったわけです。ところが、いわゆるスローライフやシンプルライフに通じる生き方について書かれている本として紹介されているのをみて、そうだったのか、ではこれを機会にちょっと読んでみようかと軽い気持ちでページをくってみたのでした。すると、冒頭の訳者はしがきで、いきなり次の文章に出くわします。
「今日の時代において、ソローの≪生命エネルギー≫を感得しない者は人生の半分も生きなかったことになる。否、君は精神の堕落を救済することができず、最後は、人生を見失うだろう。」
・・・こうして気が弱い私は、追い立てられるように読み進んだのでした。
本書が出版されたのは1854年。あのペリーが浦賀にやってきた頃です。アメリカにも産業革命の波が押し寄せ、社会が拡張と加速をはじめている時代。そんな昔の本ではありますが、このように人生について書かれている部分は少しも色あせていません。人間の本質というのは変わらないものなのでしょう。
しかし、なぜソローは森で生活するようになったのか。その理由については、次のように書かれています。
「私が森へ赴いたのは、人生の重要な諸事実に臨むことで、慎重に生きたいと望んだからである。さらに、人生が教示するものを学び取ることができないものか、私が死を目前にした時、私が本当の人生を生きたということを発見したいと望んだからである。人生でないものを生きたくはない。生きるということはそれほど大切なのであるから、やむにやまれぬ事情がないかぎり、諦めることはしたくなかった。」
ちなみに、ソローが森に住んでいたのは2年と2か月。意外です。てっきり森の中で半生を過ごしたのかと思っていましたから。やはり読んでみないといけませんね。「でも、忙しいから、仕事に関係の無い本は定年後にでもゆっくりと」、などと思っていると、つぎのような文章が待ち構えています。
「つまり、その時まで生きていればいいのだが、その時がくるまでには、旅行しようという元気や希望は多分、失ってしまっているだろう。こんなふうに、人生の最も価値のない老境に至って、あやしげな自由を楽しむために、生涯の最高の時期に稼いだ金を浪費しているのを見ると、私はあるイギリス人を思い出す。彼は最初、財産を作るためにインドに渡り、それからイギリスに帰って詩人の生活を送るつもりだった。この男はただちに屋根裏へ入って行くべきだったのだ。」
何かをするために蓄えや準備に追われていると、やりたいことができないまま人生を終えてしまうかもしれないよ、と注意を促しているわけですが、それだけ、目的のための手段だけで人生を終えてしまうことが多いということなのかもしれません。
これらのほかにも、本書にはつぎのような名言がちりばめられています。
「われわれは、自分の部屋に籠っている時よりも、外出して人ごみの中にいる時のほうが、たいていの場合もっと孤独である。」
「知と清潔さは努力に由来し、無知と色欲は怠惰から生まれる。」
「犬でも、生きていれば、死んだライオンよりましだ。」
どうでしょう?読みたくなってきませんか?
「不惑」や「知天命」とされる世代になってくると、足し算のように年齢を重ねていたのが、いつしか残り○○年と引き算のように考えるようになっていることに気づかされることがあります。でも、本書を読み終えたとき、その残された時間の中で、<書名だけは知っているけれど・・>という本も少しずつ読んでいこうか、と思うわけです。
教科書で一部分だけ読んだ名著、歴史の時間に登場した作品、学生時代にひたすら書名と作者だけ覚えた小説、話題になったベストセラー・・・そういった本に、みなさんも、もう一度、出会ってみませんか?
それらの本について具体的な内容を知らず、なんらかの先入観があれば、実際に読んでみて、その思い込みと実際に書かれていることのギャップを埋めていくような本の読み方もよいのではないでしょうか。そこに新たな発見があるかもしれませんし、それによって惑わず、天命を知ることができるかもしれません。
【oton】