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本蔵 -知る司書ぞ知る(17号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2016年3月20日版

幻想と怪奇の時代』(紀田順一郎/著 松籟社 2007.3)

今から40年以上も前、1970年代から80年代は、わが国に怪奇幻想文学が花開いた時代でした。紀田順一郎は、荒俣宏とともにその時代を築いた人物です。書物に関する著作も数多いこの評論家は、筆者にとっては何よりも、怪奇幻想文学というジャンルをわが国の出版界に広め、定着させた最大の功労者として忘れられない人物です。
いまでは怪奇幻想文学という大仰な表現はあまり見られなくなりました。むしろ幻想文学と総称するか、このことばに内包されるいくつかのジャンルそれぞれに、ホラー小説とかファンタジー小説といったことばで語られる方が多くなっています。しかしその当時、まだ未開のこの分野を称するのに、「幻想と怪奇」あるいは「怪奇幻想」ということば以上に的確な表現はなかったのです。

わが国に西欧諸国の怪奇小説を知らしめたのは江戸川乱歩です。乱歩は評論集『幻影城』(1951年)収録の「怪談入門」で、A.マッケンやA.ブラックウッド、H.P.ラヴクラフトやA.ビアスなどを紹介し、自らがかつて書いてきた小説群の中にも、これら西欧の「怪談」分野に包含されるべき作品が多数あったことに新鮮な驚きを表明しています。
1958年になって、東京創元社が『世界恐怖小説全集』全12巻を刊行します。この叢書にはのちに紀田順一郎が師事することになる英米文学翻訳家の平井呈一が翻訳や編集に深く関わっていたようです。この叢書に収録された作品が、その後創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』(全5巻)や、J.S.レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』、マッケンの『怪奇クラブ』などに再録されて行きました。

しかし創元推理文庫を除いては寂しい限りだったこの分野にも、光が当たり始めます。発端は1969年から刊行が始まった新人物往来社の『怪奇幻想の文学』という叢書でした。全4巻のシリーズ(その後3巻が追加され全7巻)で、編集者として紀田順一郎のほか、ミステリ研究の第一人者であった中島河太郎と前出の平井呈一が名を連ねていますが、当時はまだ大学生であった荒俣宏も、実質的に編集に携わっていました。第1巻『真紅の法悦』に収録されたJ.ポリドリの『吸血鬼』、第3巻『戦慄の創造』に収録されたH.ウォルポールのゴシック小説の名作『オトラント城奇譚』、同じく第3巻収録のラヴクラフトの長編小説『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』といった、名のみ高かった小説が読めるようになったことは、愛好者にとっては大いなる福音でした。
新人物往来社の『怪奇幻想の文学』は、創元推理文庫が孤塁を守っていた怪奇幻想小説の分野に、新たな灯をともしたのです。
1970年8月、早川書房がハヤカワSF文庫を創刊しました。その第一回配本の中にR.E.ハワードの『征服王コナン』が入っていました。ラヴクラフトと同じアメリカのパルプ・マガジンで活躍した作家によるヒロイック・ファンタジーです。怪奇幻想文学のひとつのジャンルに位置付けられるヒロイック・ファンタジーの本邦初登場でした。翻訳者は団精二。これはアイルランドのファンタジー作家L.ダンセイニの名をもじった荒俣宏の筆名でした。荒俣はこれ以後、翻訳と評論活動によって英米の、とりわけラヴクラフトを中心とする作家たちを精力的に紹介して行きます。ラヴクラフトの作品世界を表現する「コズミック・ホラー」ということばが、筆者らの脳裏に深く刻み込まれたのがこの時代でした。

それまで異端視されていた怪奇幻想文学を受け入れる素地は、その少し前から生まれていました。桃源社が『世界異端の文学』と銘打った叢書を出したのは1960年代の中頃です。フランスのデカダンス文学の名作であるユイスマンスの『さかしま』など6点を刊行しました。同社はまた「大ロマンの復活」と称して、戦前のわが国で活躍していた大衆作家の忘れられた作品群を精力的に出版しました。国枝史郎の『神州纐纈城』や『蔦葛木曽桟』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』『人外魔境』、橘外男『青白き裸女群像』、蘭郁二郎『地底大陸』、香山滋『海鰻荘奇談』等々……。さらに同社は、全7巻の『澁澤龍彦集成』も手がけるなど、プレ「幻想と怪奇の時代」における先導者でした。
同じ時期、講談社は全15巻の『江戸川乱歩全集』と全10巻の『横溝正史全集』を刊行し、社会系出版物を得意としていた三一書房も全7巻の『夢野久作全集』*や『久生十蘭全集』*を刊行していました。

そうした下地に、新人物往来社の叢書が新たな種を撒いたことで、芽となって姿を現したのは、雑誌『幻想と怪奇』です。紀田順一郎と荒俣宏が共同編集者として名を連ねたこの画期的な怪奇幻想文学専門雑誌は、1973年4月に三崎書房から創刊号が発行されました。第2号からは歳月社へ発行所を移しましたが、折からのオイルショックによる不況もあって、爾後苦闘すること2年、12号まで刊行しましたが、刀折れ矢尽きて遂に休刊に至りました。
しかしその間に、怪奇幻想文学という異端の分野には、牧神社、創土社、薔薇十字社といった新興の小さな出版社が次々と進出し、百花繚乱の様相を呈していました。代表的な出版物を挙げると、牧神社は平井呈一の個人全訳で『アーサー・マッケン作品集成』(全6巻)や同じ平井が編集した『こわい話気味の悪い話』(全3巻)、『シャルル・ノディエ選集』(全5巻)などを刊行しています。創土社は叢書としての命名ではありませんが『ブックス・メタモルファス』と名付けたシリーズで『ラヴクラフト全集』(残念ながら2巻で中絶)や『ブラックウッド傑作集』、紀田順一郎訳の『M.R.ジェイムズ全集』(全2巻)、今や稀覯本に数えられるH.H.エーヴェルス『吸血鬼』などを次々と刊行しました。薔薇十字社からは種村季弘の名著『吸血鬼幻想』や種村が編集した吸血鬼小説のアンソロジー『ドラキュラ・ドラキュラ』、『大坪砂男全集』(全2巻)、渡辺温『アンドロギュノスの裔』などが出ています。
また月刊ペン社は荒俣宏の監修による『妖精文庫』という叢書を刊行しました。ファンタジー小説を中心に据え、G.マクドナルドの『黄金の鍵』や『リリス』といった名高い作品や、わが国ではほとんど知られていなかったベルギーの幻想作家J.レーの『マルペルチュイ』など、別巻も併せて3期34冊が刊行されました。この叢書には、のちにちくま文庫や創元推理文庫などで再刊されたものが多くあります。
ほかにも森開社やコーベブックスなどが、フランスのT.ゴーティエやM.シュオッブなどの作品集を刊行していたことが思い出されます。
そしてこうした怪奇幻想文学のムーブメントを集大成したのが、国書刊行会の『世界幻想文学大系』です。全45巻55冊に及ぶこれほどの叢書は世界にも類を見ません。ゴシックの名作M.G.ルイスの『マンク』やC.R.マチューリンの『放浪者メルモス』から、D.フォーチュンの『神秘のカバラー』のようなオカルティズム、D.リンゼイの『アルクトゥルスへの旅』のようなSF系幻想小説、ラテンアメリカ現代文学のJ.L.ボルヘスに至るまで、極めて広汎なセレクションの叢書となりました。第一回配本はボルヘスの『創造者』で1975年5月の発行、最終巻はL.ペルッツの『第三の魔弾』で1986年7月の発行です。実に11年という歳月を経て完結したのです。この叢書は、マーブル調のデザインの重厚なハードカバーで貼函入り、表紙を開くと本文とは異なる彩色紙に印刷した関連図版を折込で貼りこみ、本文は全ページ2色刷という凝りに凝った美しい装幀も評判になりました。趣味的に作られる特装本を除けば、これほど手をかけた装幀の叢書というのは、おそらく二度と実現しないでしょう。
国書刊行会からは、これ以外にも怪奇幻想文学の叢書が陸続と刊行されています。『世界幻想文学大系』よりも通俗的で怪奇小説色の強いものを集めた『ドラキュラ叢書』が全10巻、ゴシック文学の集大成である『ゴシック叢書』は2期に分かれて合計34巻が刊行されています。後者はゴシック文学といいつつも、D.バーセルミの『帰れ、カリガリ博士』やT.ピンチョンの『V.』のような現代文学も収録した斬新な編集です。また『ドイツ・ロマン派全集』(全22巻)、『フランス世紀末文学叢書』(全15巻)なども、この分野に近縁のシリーズです。1990年代には海外文学ばかりではなく、『日本幻想文学集成』(全33巻)を刊行、近世文学の分野では『江戸怪異綺想文芸大系』なども出しています。

角川ホラー文庫』は1993年に創刊されました。ホラーということばが定着したのは、おそらく80年代後半あたり、スティーブン・キングの小説が「モダン・ホラー」と称してもてはやされた時代からではないかと思います。この頃から「怪奇幻想文学」という呼称は少しずつ消えていったようです。それに代わってホラーということばが当たり前に人の口の端にのぼるようになりました。ホラーということばを冠した文庫の創刊というのはなかなか驚きでしたが、その後日本ホラー大賞という文学賞もでき、若い有能な作家を輩出しています。40年前、次々に刊行される怪奇幻想文学の諸作を書店の店頭で手に取り、表示されている値段を睨みつけながら、財布の中身の薄っぺらさを恨んだ時代を思い出すと、夢のようです。
怪奇幻想文学が当たり前のようにわたしたちの周りに存在するこの時代を作り上げた立役者の紀田順一郎も、おそらく筆者と同じような感慨を持っているのでしょう。今回標題に採り上げた『幻想と怪奇の時代』は、2部構成の第1部「幻想書林に分け入って」で、自らと怪奇幻想文学との関わりを、少年時代まで遡って回想しています。新人物往来社の仕事や国書刊行会から『世界幻想文学大系』が出ることになった秘話なども語られており、筆者のようにそのムーブメントの真っ只中にいた者にとっては、激しくノスタルジアを刺激される本です。同じ著者のもっと詳細な回顧録『幻島はるかなり』も併せて読んでほしい本です。

本稿では叢書を数多く採りあげました。紙数の都合上、叢書に収録された個別の書名はごく一部を除いて書いていません。本稿中、叢書名からのリンクは各叢書の第1巻にしか貼っていませんので、叢書の全容を調べる場合は、当館の蔵書検索システムで書名欄に叢書名を入力して検索してみてください。

筆者の「本蔵」はこれでおしまいです。ご退屈さま。(文中敬称略)

*の資料は館内利用のみです。
【鰈】

悲しみを生きる力に:被害者遺族からあなたへ(岩波ジュニア新書)』(入江 杏/著 岩波書店 2013.1)

当コーナーが2度目の春を迎えるにあたり振り返ると、当館の蔵書の約30%を占め、一番数の多い社会科学分野の本が、あまり紹介されていませんでした。社会といえば、近頃特に、「当事者の権利」のありかたや、犯罪を未然に防ぐ社会のありようが、盛んに報道で問われています。そこで、このテーマに関心を持ち始めた人向けに、最近の著作のなかから、社会科学的見地から書かれたルポルタージュ1点、社会科学分野の資料3点をご紹介します。

標題にあげた『悲しみを生きる力に』は、「二〇一一年三月一一日、東日本大震災が発生しました。」と書き起こされますが、著者が被害者遺族となったのは、2000年大晦日に発覚した事件の時で、本書の執筆時も、今も、犯人は捕まっていません。著者も携わった「凶悪事件の公訴時効廃止」実現は2010年4月。他人の人生を奪って、一生法の裁きを免れ続けることは可能かもしれませんが、逃げた者勝ちを追認する社会ではなくなりました。本書にも「犯罪の被害体験とは無縁の一般の人が、関心を持ってくれたことが嬉しかった」と記されています。当事者性が薄くても、できることもあるのですね。
「はっきりしない状態の苦しさ」(=「曖昧な喪失」)や、突然家族や家を失う体験は、理由が違っても同じはずと考えた著者が「人は悲しみを生きる力に変えてゆける」と実感したのは、東日本大震災以前の災害や事件で遺族となった方々と2011年4月に集い、「なにかできないか」という思いを分かち合った際のことだったそうです。災害や事件事故などに遭遇した人と知ると身構えて避けたいと感じる人、シリーズ名にジュニアとあるため対象年齢が違うと感じて読む機会がなかった人は、この機会にいかがでしょうか。

謝るなら、いつでもおいで』は、被害者家族の言葉をタイトルに、小学六年生が同級生を殺害した事件の、発生から10年目に刊行されました。刊行後まもなく、同地方で今度は高校生による同種の事件が起きたため、無力感で読まずじまい、という人もあるようです。でも、『地下鉄サリン事件20年被害者の僕が話を聞きます』の著者と同じように、それぞれ個性ある人間が、それぞれの方法で事件に対処しようとしている姿が記されています。加害行為者に対して感情的に罵りわめいていないからといって「被害者らしくない」と決めつける愚を再認識するとともに、人の可能性を信じたくなる本ではないでしょうか。

私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』(中之島図書館所蔵)には、通称「ストーカー規制法」施行から約15年、いまだに善意の第三者・家族・友人・職場仲間・対応窓口など、味方のはずの人の言動が解決の妨げになることもあり、「対策」しても殺される確率はゼロにならないだろうことなど、「不都合な真実」が記されています。納得できない「対策」「助言」については、「やってるっちゅうねん」「したっちゅうねん」「ギャグか」とまで「はっきり言う」著者ですが、同時に真摯な担当者に感謝し、加害者を生む社会構造にも言及します。著者の言葉に反発する人も、共感する人も、読後にささやかに変化したらこの種の犯罪を減らせるような希望も感じられます。

以上、現在書店でも購入可能なタイトルからご紹介しました。本に反映された当事者の姿は、事件と認められた犯罪の中でもごく一部にしかすぎませんが、公刊された資料だけとはいえ、図書館には古い本や雑誌新聞、非売品ほか、様々な観点の資料が、誰かに届くのを待っています。ぜひご利用いただければと思います。

【笑門来福】

石光真清の手記』(石光真清/著 石光真人/編 中央公論社 1988.2)

朝の連続テレビ小説が好調です。明治という新しい時代を女性の経営者が九転十起という究極のポジティブ思考で、内助の功の配偶者の助けも得ながらたくましく生きていく、その様子が見ている私たちの気持ちを明るくしてくれるからかもしれません。ドラマは実話に基づいたフィクションですが、今回ご紹介する本は同時代を諜報員として生きた石光真清の実体験の忠実な手記という形をとったノンフィクションです。
石光真清は1868(明治元)年に熊本細川藩士の石光真民の次男として生まれました。旧藩士族の生活の激変を身近で経験し、父の死後15歳で陸軍幼年学校に入学、近衛士官となります。明治という時代は、現代の私たちにとっては想像もつかないような激動の時代であり、多くの若者が新しい祖国を守るという共通の目的のために志を持ち、人生を捧げ、奔走していました。日清戦争が勃発し、台湾に出征した真清は、ロシア研究の必要性を感じて戦後軍人を辞し、私費留学生としてロシアへ渡ります。ロシア語を勉強し、軍の依頼を受けてシベリア・満州を中心に大陸での諜報活動に従事します。
菊地正三という仮名で写真館や洗濯屋を営みながら、大陸へ渡ってきた様々な政治家、実業家、二葉亭四迷等文化人と交流し、満州の馬賊とも親交を結びながら活躍します。窮地を機知で切り抜け、生死の境を何度も潜り抜けた真清の諜報活動ぶりは、まるで第一級のスパイ小説を読んでいるようです。ロシア人や中国人との人間味あふれる交流や現地で出会った日本人女性達の姿が生き生きと描かれており、大部な本ですがあきることなく読み進められます。
日露戦争が始まると満州から日本へ引揚げますが、すぐに召集令状を受けロシアに出征。過酷な戦闘や親友の死を経験し、帰国後は東京世田谷の三等郵便局長を務めしばらく家族と平穏な日々を過ごしますが、1917(大正6)年にロシア革命が起こると再び軍参謀本部の命令でシベリアへ渡ります。過激派と反革命派の息の詰まるような攻防に接し、ロシア人とも深い親交を結びますが、日本軍の無方針について派遣軍司令部へ上申すると「君は一体誰のために働いとるんだ」と叱責を受けます。1919(大正8)年召集解除後は夫人の死や負債を抱え、大陸で始めた様々な事業にも失敗し失意の日々を送り1942(昭和17)年74歳でひっそりと没します。多くの功績を成しながらも晩年は報われず、時代の移り変わりに翻弄された彼の人生は非常に多くのことを考えさせてくれます。
石光真清が残した史料は、廃藩置県や西南戦争にゆれる熊本の生活をはじめ、日露戦争、ロシア革命前後のシベリア・満州での生活、諜報活動等を記録したもので、残された手記・メモ・写真などの原本は、現在国立国会図書館の憲政資料室に保管されマイクロフィルムで公開されています。同室に保存されている史料としては唯一、政府高官ではない一般人の史料だそうです。
石光真清は死の直前、自身の人生を恥じ、膨大な活動記録を焼却処分しようとしたため、残された史料には多くの時代の欠落がありました。本書は長男の真人が関係者に当時の状況の聞き取りを行い、史料に追補し編集したものです。自伝四部作『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』としても刊行されています。
現在も研究者による石光文書の研究プロジェクトが進行しているそうです。今後新しい事実が明らかになるかもしれません。自伝の傑作として、もうひとつの近代史としておすすめの本です。

【パンダ】


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