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本蔵 -知る司書ぞ知る(13号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2015年11月20日版

科学の罠:過失と不正の科学史』(アレクサンダー・コーン/著 工作舎 1990.6)

今からちょうど15年前、2000年11月5日の毎日新聞朝刊の一面には、滅多にないような大スクープが紙面のほとんどすべてを割いて報道されていました。数々の旧石器時代遺跡を発見して「神の手」と呼ばれていたアマチュア考古学愛好家が、遺跡の発掘現場に人知れず石器を埋めていたことが発覚したのです。日本の考古学界を震撼させ、史跡指定の取り消しや教科書の書き換えなど大きな影響をもたらした旧石器遺跡捏造事件の始まりでした。
昨年、およそ一年にわたって科学界を騒がせたSTAP細胞事件の顚末から筆者が想起したのが、この旧石器遺跡発掘捏造事件でした。二つの事件は、脚光を浴びていた時間の長さには大きな違いがあるものの、どちらも学界の通説を打ち破る画期的な発見ともてはやされながら、前者はメディアによるスクープによって、後者はインターネット上でのさまざまな疑義の指摘によって、栄光の座から滑り落ちることになったのでした。

残念なことに、世界に眼を向けるとこうした科学者による不正は数限りなく起こっているようです。今回紹介する本は、科学者たちによる誤りや不正の事例を数多く採り上げ、そうした事件が起こる原因や対策を分析、考察しています。類書として本書に先行する『背信の科学者たち』があり、こちらは1988年に出版されたものがSTAP細胞事件を受けて、昨年別の版元から再刊されています。『背信の科学者たち』は科学論文におけるさまざまな捏造、不正を採り上げているのに対し、『科学の罠』は悪意なき誤認や錯誤、結果として主題に影響を及ぼさないデータ操作なども採り上げ、そうしたことが起こる原因を分析しています。
学界の重鎮と呼ばれるほどの大科学者が、大きな誤認を犯した例として挙げられているのが、ルネ・ブロンロによる「N線の発見」です。20世紀初頭、レントゲンによるX線の発見が契機となって放射線の研究が西欧諸国の科学者の注目を浴びていたころ、フランスのナンシー大学の高名な物理学者であったブロンロが、まったく新しい放射線を発見し、それをN線と名付けました。1901年のことです。ブロンロの発見を受けて多くの著名な科学者が追試に成功したと発表し、それ以来数年にわたりフランス科学界はN線の一大ブームとなったのですが、1904年にアメリカの物理学者ウッドによって、N線の存在は完膚なきまで否定されてしまいます。著者はブロンロの失敗を「ブロンロを惑わせたものは、自分の発見に対する彼自身の熱狂と信心だったように私には思われる」と評し、多くの科学者が追試に成功したと考えたのは「(ブロンロの)信念のせいであったのか、科学共同体の側における熱狂のためであったのかは判然としない」と述べた上で、「自分の存在を教授にとって不可欠なものと印象づけようとした過度に熱心な実験助手が産み出したものかもしれない」と言及しています。
研究者が知らないところで、実験助手などが研究者に都合のよいデータが得られるよう実験を操作する事例はいくつか紹介されています。血清を加えずに動物細胞を培養できると主張したゲイの実験は、他の科学者による追試が成功しませんでした。ゲイの実験は、実は助手によってひそかに血清が加えられていたのです。著者は忠実な助手が「培養細胞のために外部から介入することは、ゲイの幸福を維持するためになら行なう値打ちのあることだ」と信じていたのだと述べています。
ほかにも、スターリン体制下でルイセンコが支配していたソビエト科学界の驚くべきエピソードが語られていますし、科学史に有名なカンメラーの不正や、ピルトダウン人化石捏造事件、「若き天才」と呼ばれたマーク・スペクターの事件なども当然ながら採り上げられています。
これほどまでに、科学界には不正が蔓延しているのかと思いたくなるかも知れませんが、そうした不正を招く背景にも著者の洞察の目は行き届いていますので、冒頭に記したわが国の旧石器遺跡捏造事件やSTAP細胞事件がなぜ起こったのかを考える上では、有益でしょう。

関連資料として、『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか:インチキ!ブードゥー・サイエンス』は、メリーランド大学教授の物理学者が書いた本で、永久機関やビタミンOなどといった実例を採り上げながら、詐術的ニセ科学とそれをもてはやすメディアなどを痛烈に批判して、一気に読み通させる面白さがあります。
科学史上のさまざまな事件やスキャンダルを、面白おかしく読物に仕立てた資料には、『幻の大発見:科学者たちはなぜ間違ったか』『科学史の事件簿』『スキャンダルの科学史』『思い違いの科学史』などがあります。
また、生物学者の福岡紳一は、ベストセラーとなった著書『生物と無生物のあいだ』で、20世紀最大の発見と呼ばれるJ.ワトソンとF.クリックによるDNAの構造の解明に関して、ライバルである女性科学者ロザリンド・フランクリンが撮影したDNAのX線回折画像や彼女の未発表論文を、ワトソンがひそかに入手していた事実を、アンフェアな行為として厳しく指弾しています。科学における倫理問題のひとつの事例として参考になると思います。

なお、冒頭に言及した旧石器遺跡捏造事件については、スクープした毎日新聞旧石器遺跡取材班の『発掘捏造』にまとめられているほか、いくつかの資料が出版されています。STAP細胞事件については須田桃子の『捏造の科学者:STAP細胞事件』などがあります。(文中敬称略)

【鰈】

汽車旅12カ月』(宮脇俊三/著 潮出版社 1979.12)

お恥ずかしい話ですが、人に本を「オススメ」できるような読書をしているとは言い難いところがあります。読む範囲が狭いというか、極めて偏った読書をしています。小説は一年にわずかしか読みません。まして外国モノは登場人物を把握するのが苦手です。話題の本もよっぽど興味の湧いたものでないと手にしません。
さらに必要とされる情報を探すお手伝いをするレファレンスと違って、来し方行く末が自分と全く違うオススメ相手の現在の好みが那辺にあるか見当がつかない場合も多く、これとマッチングさせるのは至難の業です。オススメして、「つまらなかった」と言われるのはやはり辛いものがあります。

では無感動に本を読んでいるのか、といえばけっしてそうではなく、自分なりに「いい本だった」と思うことがあります。
どんな本が「いい本」か。つらつら考えてみるとだいたい二種類あります。
一つは書かれている文章にユーモアがあって小気味よい頭になじむ本です。こんな本を読むと、読んでいる最中から、日常生活のあれこれを、その文体を真似て頭の中で記述しています。
もう一つは書かれていることに反対か賛成かは関係なく、じっくりと考えさせる本で、これも頭の中ではありますが、自分なりに反論したり評論したりする文章を綴っています。
要するに読書中も含めて読後にその作品の余韻に浸ることのできる本が私の「いい本」のようです。
さて、今回ご紹介する『汽車旅12カ月』は、この前者に相当する「いい本」です。家蔵の文庫本の奥付を見ると、1986年1月の発行となっています。おそらく高校2年生の時に購入したものと思われます。それ以来、何度も読み返している愛読書です。
『汽車旅12カ月』は著者の宮脇俊三が中央公論の編集者だった時期、国鉄(当時)の全線を乗りつぶしていた頃の汽車旅を基に、1月から12月ごとに章立てして、その月々の日本と鉄道をめぐる様々な風景を描いたエッセイです。「1月/汽車旅出初式」、「3月/新幹線16号車16B席と祖谷渓」といった具合です。例えば11月、「上越線と陰陽の境」の書き出しは次の如くです。
「秋の季節列車は11月上旬で運転を終える。北国や山岳地帯のバスも11月3日の祭日か10日頃までで運転は打切られ、以後は「冬期運休」となる。時刻表の紙面に隙間風が通りはじめる。今年も終わりだな、と思う。
けれども、その淋しさは夏の終わりとはちがう。どこか腹の据った淋しさである。」
よく似た構成の本にはカレル・チャペックの『園芸家の十二ケ月』(カレル・チャペック/著 海山社 2013.10)(『園芸家の一年』と記載される場合もあります)があります。また最近のベストセラーでは、といってももう二十年も前のことになりますが、『南仏プロヴァンスの12か月』(ピーター・メイル/著 河出書房新社 1993.1)も同じような章立てでした。
編集者だった著者は自分が興に乗って面白がって書いた文章を他人は喜ばないことを心得ており、筆致を押さえて旅の風景を綴ります。
上越線で新潟に向かう特急「とき」が三国峠を越えたとたん、川端康成の『雪国』のように突然晴れから雪に変わったことを、その時隣に座っていたおじさんの「ありゃ、急にらしくなりましたなあ」というつぶやきで表現しています。著者もおじさんのあまりに適切なつぶやきに同意し、「急にらしくなりましたねえ」と返しています。
また、広島から芸備線で三次を経由し、三江線に乗って江川の上流可愛川に沿って進む汽車の窓からは、
「空は青いが川面には淡く靄がただよい、嵐気が山峡を包んでいる。きのうの夕方はあの慌ただしい東京にいたのに、一夜明け ればこの別世界である。飛行機を常用している人から見れば、そんなことは日常茶飯のことであろうが、私は夜行列車に乗るたびにそれを感じる。大げさに言うと魔法にかかったような気さえすることがある。」
文脈から取り外した引用ですのでどれだけご理解いただけるか自信はありませんが、このような文章に接すると私は取るものも取り敢えず旅に出たくなります。軒に吊るされた干柿、そこに夕日が映えた時を見事だと言い、「干柿を見に旅行にでかけてもよいくらいだ」と著者に誘われれば同意せずにはいられません。
加えて、チャペックの『園芸家の十二ヶ月』がそうであるように、『汽車旅12カ月』もユーモアと皮肉が随所に散りばめられています。
汽車に乗るとすぐに「早く遊びたい」と降りたがる子どもについて「鉄道に対する考え方が大人たちと同じである」と言ったり。新幹線に乗せるため山口線(山口県)でSLを復活させた国鉄に対して「大局的、抜本的な赤字対策においては駄目だけれど、SL復活程度の小さなことになると冴えるらしい」と評したりします。
汽車旅については、正面切って力説するのははばかられると言いながら、移動のための手段である限り交通機関は「文明」だが、手段を目的に置き換えると汽車や船が「文化」に昇華する、と述べます。しかし、そのすぐあとに、
「要するに新幹線は文明にすぎないが、遊園地の豆汽車は文化であるというあたりに落ち着きそうだから、さっそくにも打ち切る…」
といって、話をすすめるあたりは宮脇俊三の読者なら首肯してもらえるのでは、と思います。
著者は自分の汽車旅を客観的に眺め-今はやりの言葉ではメタ認知とでも言うのでしょうか-、単に面白おかしくならず、かといって自虐的にもならず、文章を紡いでいくのですが、ここに「いい本」としての魅力があります。
それにしても、『汽車旅12カ月』の時代はなんていい時代だったか、と思わざるを得ません。著者がこの本の中で旅したのはだいたい1975年頃です。まだ上越新幹線も東北新幹線も開業していません。ようやく山陽新幹線が博多まで開通した頃です。
そんな時期、特急、急行、鈍行を次々に乗り継ぎ、寝台列車を利用し、食堂車で同僚と食事を楽しんでいます。今や急行も寝台列車も食堂車も定期列車としては絶滅寸前です。
東京を16時48分に出る「ひかり」に乗って三原に22時08分着。22時20分発の寝台特急「彗星1号」に乗り継ぐと翌7時06分に延岡に到着します。「彗星1号」に始発駅である新大阪から乗ろうとすると15時には東京を出発しないといけないので、三原で乗り継ぐことで2時間近く節約できる、と教えてくれます。けれども新幹線と寝台列車がほぼ並行して走らなくなった現在ではあまり使える手ではありません。
寝台列車を使うことで夜を有効活用できる。それに新幹線を加えることでさらに効率的に時間を使えるわけですから、新幹線一辺倒の現在の方がよっぽど不便だと感じるのは、私だけでしょうか。
また、
「夕方に羽田を発って札幌から夜行列車に乗り継ぎ、翌朝眼を覚ますと道東や道北の原野を走っている、という演出は私の好きなものの一つである。東京の感触が払拭されないうちに寂寞としたさい果ての景観に接するから、旅に出た実感がひとしお強くなる。」
今では、こんな旅もできなくなりました。
かくの如き『汽車旅12カ月』ですが、当館では『宮脇俊三鉄道紀行全集 1 国内紀行』でも読むことができます。この『全集1』には著者の初期三部作ともいえる『時刻表2万キロ』『最長片道切符の旅』も収められています。
この三作品。いずれも「いい本」です。

【茶風鈴】

清貧の思想』(中野孝次/著 草思社 1992.9)

20数年前のバブルがはじけた頃に話題になった本です。その時も読んで感銘を受けましたが、あらためて読み直してみてやはり心に残るよい本だと思いました。

「清貧」とは“貧乏だが、心が清らかで行ないが潔白であること。余分を求めず、貧乏に安んじていること。”と『日本国語大辞典 第二版』(小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2001.7)に書いてあります。すなわち、清貧は、単なる貧乏ではなく、みずからの思想と意志によって積極的に作りだした簡素な生の形態、を意味しています。

繁栄を謳歌しているようにも見えていたバブル経済期(1987年頃から1990年頃まで)の日本は外国の人の眼には次のように映っていました。非常に高度な工業技術と生産性を持っている国、大量のツーリストが海外に渡航する国、それが日本である、と。しかし、この著作で中野氏は、それは日本および日本人の現在(バブル経済期)のある一面には違いないが、日本人には貧しくとも清く美しく生きる者を愛する気風があり、つい先ごろまではそれが一般的であった、と自身の所感を述べています。さらに、「日本文化の一側面」として「日本には、現世の富貴や栄達を追及する者ばかりでなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある。私はそれこそが日本の最も誇りうる文化であると信じる。」とも述べていて、これがこの本のテーマになっています。

前半の1章では、本阿弥光悦、鴨長明、良寛、池大雅、与謝蕪村、橘曙覧、吉田兼好、松尾芭蕉など、清貧に生きた私たちの先達(著名な文人たち)の系譜、エピソードを具体的に事例でもって示しています。後半の2章では、前半でとりあげた先人たちの生き様を材料として、自身がそれについてどう思いどう感じているか、読者に訴えたいこと、日本人はそうあってほしいと思っていること、を記しています。これらの先人たちの生と思想について中野氏は「彼らの生き様は最も純粋にただ魂のために生きる生の模範である。彼らは、人間の所有の欲にはきりがなく、生の感覚は身を貧しくするほどにとぎすまされてくる、と知っている。」と語っています。

中野氏は、戦前の市井には清く貧しくけなげに生きていた多くの人びとがいたことを自らの体験から感じ取っていました。そんな人達に思いを馳せて、「清貧を尊ぶ思想は、日本の一部の文人たちだけに限られたものではなく、かれらのようにはすぐれた言語表現能力を持たないふつうの生活者、庶民の中にも根強く広く行き渡っていた。」と思うところを述べ、そしてそれが日本文化の精髄だと思いたい、と書き記しています。

この著作は、古典の詩歌も多く引用されていますので少々読み辛く難しいところもありますが、内容は言うまでもなく、高潔で気品のある文体、文章で綴られていて清々しい気持ちにさせてくれる本です。

                                     【SS】


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