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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 企画展示「魅せます!紙芝居展」【解説】

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年11月15日更新

はじめに

 本展示は、国際児童文学館の所蔵する印刷紙芝居を中心にして、1930年代に始まり現在に到るまでの長い歴史の中から、紙芝居の多様な広がりを一気に見ていこうとするものです。
 紙芝居の歴史を大きく二つに分けました。現在に直接つながる紙芝居の形式が確立され、それが広く人々に知られることになった、1930年代から1945年までの戦中期と、敗戦の後、歴史を重ねる中でさまざまな作品を生み出してきた現在までの時期です。
 どちらの時期においても、これまであまり注目されてこなかった作品にも目配りしました。特に戦後においては、あえて、今日主流となっている幼児向け作品以外のものに注意を向けてみました。

1.街頭の娯楽から教化・教育のメディアへ

 子どもたちに駄菓子を売りながら街頭で見せられていた紙芝居は、1930(昭和5)年に、それまでの立絵(たちえ)(ペープサートのような紙人形の芝居)から平絵(ひらえ)(絵が描かれた紙をめくって進められる、今日の紙芝居の形式)に変化し、特にその第3作『黄金バット』が人気を集めたことをきっかけに、子どもたちの世界で急速に支持を集めていきました。
 この街頭の平絵紙芝居は、表の絵を画家が手描きで制作した一点物で、紙芝居屋のおじさんは、その一点ものを順番に持ち回ってあちこちで演じていたわけです。やがて、子どもたちが夢中になっている姿を見て、紙芝居の圧倒的な訴求力に気づいた人たちの中から、さまざまな目的のために、紙芝居を印刷して大量に世に送り出すことを考えた人たちが現れました。
 その最初は、キリスト教伝道のために印刷紙芝居を手がけた今井よねです。今井は、東京の下町の教会で日曜学校を開いて子どもたちにキリストの教えを広めようとしていましたが、1933(昭和8)年から、当時所属していた日本日曜学校協会と自ら設立した紙芝居刊行会を通して、伝道を目的にした「福音紙芝居」【1-1】【1-2】の制作・発行を始めたのです。
 それに続いて、幼児向けの本や雑誌を出版していた高橋五山(たかはし ござん)が、1935(昭和10)年から、幼児教育を目的にする「幼稚園紙芝居」【1-3】を発行するために全甲社紙芝居刊行会を設立し、印刷紙芝居の制作・発行を始めました。高橋は、仏教の教えを伝えるための「仏教紙芝居」【1-5】も作りました。
 また、紙芝居とレコードを組み合わせたレコード紙芝居【1-4】も、同じ頃にいち早く登場しています。

※解説に出てくる資料名(著者名)の横にある「【】」内の数字は、資料展示リストの通し番号です。

2.戦時下国策宣伝紙芝居への展開

 1937(昭和12)年7月に日中戦争が始まり、国民精神総動員運動が推進されていきました。印刷紙芝居は、政府や軍部の後押しによって、戦意高揚・軍人援護・貯蓄奨励・銃後生活指導などの戦争国策を強力に宣伝するメディアとして、子どもだけでなく大人をも対象とするようになり、戦時下を通して飛躍的な発展を遂げていきました。
 国策宣伝紙芝居の制作には、コロンビアレコード【2-1】やキングレコード【2-2】など大手レコード会社や朝日新聞社【2-3】など、既存のマスコミ関連企業も参入しましたが、もっとも大がかりに推進していったのは、1938(昭和13)年7月に設立された日本教育紙芝居協会【2-4】【2-5】【2-6】でした。以前から、児童校外教育研究所や日本教育紙芝居連盟といった組織を立ち上げ、個人的に教育紙芝居の普及に尽力していた松永健哉(まつなが けんや)が中心となって創設したものです。
 また、街頭紙芝居業者たちが集結して設立した大日本画劇株式会社【2-7】【2-8】【2-9】も、国策宣伝の印刷紙芝居を数多く送り出しましたし、戦局が進むにつれて、かつてキリスト教伝道紙芝居や幼稚園紙芝居を制作していた人たちも、国策宣伝紙芝居【2-10】【2-11】【2-12】を手がけるようになっていったのでした。

3.日本教育紙芝居協会

 日本教育紙芝居協会は、機関誌『教育紙芝居』【3-1】(後に『紙芝居』【3-2】と改題)や各種のパンフレット【3-3】【3-4】【3-5】を発行し、紙芝居は「いつでも、どこでも、だれにでも」できるものとして、その普及を強力に推進していきました。制作した紙芝居作品を頒布するだけではなく、その初期においては作品の貸出も行っていました。 
 創立直後から、官庁や公的機関の援助による国策宣伝紙芝居の制作によって経営基盤を固め、やがて1940(昭和15)年、朝日新聞社の出資で設立された日本教育画劇株式会社にその経営を委ねたことで、戦時下における最大の紙芝居発行所へと成長していったのです。

4.戦時下教育紙芝居の諸相

 戦時下とはいうものの、紙芝居の世界は、けっして国策宣伝一色というわけではありませんでした。それ以外にも、特に子どもたちを対象にして、幼児向けの創作作品【4-1】、小学校教材としての昔話(教材紙芝居)【4-2】、国内外の偉人伝【4-3】、名作童話の紙芝居化【4-5】など、さまざまな作品が数多く制作されていました。それらの中には、戦後に名作として高く評価されたものも見られます。

 5.川崎大治の幼児紙芝居

 日本教育紙芝居協会の幼児向け紙芝居制作において、その中心的な役割を果たし、もっとも多くの作品を手がけたのが、童話作家・川崎大治(かわさき だいじ)です。 
 脚本を執筆するだけでなく、自らコマ絵を描いた上で、画家と緊密に意見交換しながら作品を仕上げていきました。絵の一部分を、別紙の絵を使って変化させる「さしこみ」という技法も多用しています。
 戦時下に制作された川崎大治の幼児向け作品は、戦後にリメイクされたものも数多く、今日に至る幼児向け紙芝居作品の礎を築いたといっても過言ではありません。その作品とともに、制作過程など当時の状況をうかがわせる貴重な資料や日記などもあわせて紹介します。
 きわめて初期の作品『ヒヨコノサンポ』【5-1】は、『昭和14年の日記』【5-2】に他の作品とともにその名が記されています。また、『金太郎サン 角力ノ巻』【5-3】については、その制作過程で作られたと思われるコマ絵【5-4】が残っており、さらに彼自身が戦争末期にこの作品を実演した記録が『昭和20年の日記:決戦日誌』【5-5】に見えます。このほか、日本教育紙芝居協会の専用用紙に書かれた脚本原稿「シャボン玉と蝶」【5-6】も興味深いものです。この作品は貸出作品として制作されましたが、これまでのところ、現物は確認されていません。

6.敗戦後の名作紙芝居

 敗戦の後にも、印刷紙芝居はかなり早い時期から発行されていました。その中で現れた一つの傾向は、子ども向けの読み物としてすでに定評を得ていた名作を紙芝居化した作品群の存在です。
 宮沢賢治【6-1】や小川未明【6-2】の童話、アンデルセン【6-4】やミルン【6-6】の童話、さらにデュマ【6-3】やスウィフト【6-5】の小説などをもとにした紙芝居が見られます。
 また、画家として、敗戦前から活動していた山川惣治【6-2】や梁川剛一(やながわ ごういち)【6-3】に加えて、後に童画家となった岩崎ちひろ(いわさき ちひろ)【6-4】の名前も見えます。
 こうした名作の紙芝居化は、その後現在まで長く続いています。

7.占領下における国策宣伝と民主化運動の中で 

 敗戦後、占領下にあった日本では、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策として民主化が推進されていきます。GHQでは、民間諜報局(CIS)の一部門である民間検閲局(CCD)による検閲を通して、軍国主義・超国家主義など反民主主義的な内容の紙芝居を排除していきました。それと同時に、民間情報教育局(CIE)を通して、民主主義を普及するための視聴覚教材として、学校教育や社会教育の現場で紙芝居を活用することを奨励しました。
 たとえば、婦人警官が親身になって浮浪児を世話する姿を描くことで、国家警察から民主警察への転換を訴える作品(『母よいづこ』【7-2】)。工場で過酷な労働を強いられていた13歳の少年が、労働基準監督官によって助けられる姿を描き、労働基準法を周知させようとする作品(『楽しい五郎君』【7-3】)。これらは、戦後における国策宣伝紙芝居と言えましょう。
 一方で、民間で盛んだった民主化を求める政治運動においても、紙芝居は盛んに活用されていったのです。貧しい農民の子がその土地を奪った地主の子と闘う姿を描き、土地制度の改革を訴える作品(『正作』【7-1】)や、怠け者で大金持ちの主人に食べられそうになったニワトリが、仲間たちと協力して主人を懲らしめるという、虐げられているものたちの団結を表現した作品(『コケッコー』【7-4】)です。

8.ラジオ・テレビ・児童文学作品・絵本・マンガを原作に

 戦後の経済復興と技術革新を背景にして、子どもの世界にも、ラジオやテレビなど新しいメディアを通して、新たな物語が続々ともたらされるようになり、そこで人気となった作品の紙芝居化も行われていきました【8-1】【8-2】。
 さらに高度経済成長の中で、児童文学作品【8-3】【8-4】【8-5】をはじめ、絵本【8-6】【8-7】やマンガ【8-8】など各種の児童文化財ジャンルからも、子どもたちに豊かな作品が届けられるようになると、そうした他のジャンルで高い評価を獲得した作品を原作とする紙芝居も次々に登場しました。
 こうした傾向も、その後の紙芝居制作において一つの大きな流れとなっていきました。

9.教材紙芝居の系譜

 小学校の各教科・道徳の授業や生活指導において、視聴覚教材として活用されることを目的とした紙芝居制作も盛んに行われました。しかし、テレビ放送の普及などを背景にして、1967(昭和42)年に文部省が小学校の教材基準から除外したことで、紙芝居が小学校で使われる機会は次第に少なくなっていきました。
 結果として、小学校教材としての紙芝居制作は衰退し、その後は保育所・幼稚園で使用される幼児向け作品が主流となりました。
 しかし、その数は少ないものの、教材紙芝居は、食育【9-5】や調べ学習【9-6】など新たなテーマを掲げて、今日でも意欲的に作られ続けています。

 10.海外から、海外へ

 日本で生まれた紙芝居は、他に類を見ない独特なメディアとして、次第に海外でも評価され、紹介されたり活用されたりするようになってきました。
 そうした中で、海外の作家による作品が日本で出版【10-1】されたり、日本の作品が翻訳されて海外で出版【10-2】【10-3】されることも続々と行われています。
 国際的な広がりの中から、新たな発想で子どもたちを魅了する紙芝居作品が生まれてくることも、今後大いに期待できると思われます。

 

 主要参考資料

浅岡靖央編『雑誌『教育紙芝居』・『紙芝居』』(全11巻)金沢文圃閣、2013~2014年

石山幸弘『紙芝居文化史』萌文書林、2008年

神奈川大学非文字資料研究センター編著『国策紙芝居からみる日本の戦争』勉誠出版、2018年

上地ちづ子『紙芝居の歴史』久山社、1997年

髙塚明恵「印刷紙芝居の黎明 今井よねによる紙芝居の出版と発展」(『児童文学研究』第50号)、日本児童文学学会、2018年

高橋洋子編著『教育紙芝居集成 高橋五山と「幼稚園紙芝居」』国書刊行会、2016年

谷暎子『占領下の児童出版物とGHQの検閲』共同文化社、2016年

 

解説執筆:浅岡靖央(白百合女子大学教授・一般財団法人大阪国際児童文学振興財団特別研究員)

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