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本蔵 -知る司書ぞ知る(22号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2016年8月20日版

トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』(内藤正典/著 集英社 2016.2)

先月(2016年7月)15日にトルコで軍事クーデターが勃発しましたが、翌日には制圧され失敗に終わりました。クーデターを起こした理由は、強権的な政治を行うエルドアン大統領がトルコのイスラム色を強めていることに対し、世俗主義(政教分離主義)派の将校たちが起こした反乱ではないかと言われています。トルコではこれまでも3回、1960年と71年、80年に軍によるクーデターが起き、いずれも成功していますが、今回は国民の大半が支持しなかったことから、失敗に終わったとみられています。

本書は、トルコ国内の現在の状況を解説するとともに、「イスラム国」(IS)との関係、クルド民族の独立を掲げるPKK(クルディスタン労働者党)との関係、エジプト、シリアをはじめアラブ諸国との関係、欧米との関係、さらには今回のクーデター未遂事件の首謀者としてエルドアン大統領から名指しされているフェトゥフッラー・ギュレン師(現在はアメリカに在住)のこれまでの運動内容やなぜ現政権と衝突するようになったのかについて、解説しています。語り口は平易で一気に読むことができる現在のトルコやイスラム世界を理解するための好適書です。

混迷を極める中東のなかでも、唯一民主化に成功した国だと言われるのがトルコ共和国です。共和国の前身であるオスマン帝国は、地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国へと発展しました。しかし、第一次世界大戦の敗戦により解体され600年の歴史に終止符が打たれます。オスマン帝国は、預言者ムハンマド亡き後のイスラム共同体、イスラム国家の指導者、最高権威者であるカリフを帝国のスルタン(皇帝)が兼ねる(スルタン=カリフ制)というほどのイスラム世界の中心国でした。

その帝国が第一次世界大戦で敗北し、西欧の列強諸国によって国土を解体されようとしていた時に、敗残兵らを率いて戦い抜き、現在のトルコの建国を勝ち取ったのが、ムスタファ・ケマル・アタテュルクです。彼は、西欧に範をとった近代国家の建設に乗り出します。スルタン制を廃止し、次いでカリフ制も廃止、女性のベールや男性のトルコ帽を禁じ、アラビア文字からラテンアルファベットに改め、酒の製造も認め、イスラムの法体系や政治への不介入といった徹底した欧化政策をとりました。

この結果、現在のトルコは、“ムスリムの国とは言えても、イスラムの国とは言えない。なぜかというと、イスラムというのは、キリスト教と違って精緻な法体系をもっている。そのイスラムの法に従って国をつくるなら「イスラムの国」と言ってもよいが、トルコはまったく違う。トルコの法体系は宗教とはほとんど関係なく世俗的なのである。国民がムスリムであっても、もっともイスラムから遠い国、それがトルコである”と著者は言います。

エルドアン大統領は、長い政治生活の前半を世俗主義との闘争に費やしてきたイスラム主義者です。国民からエルドアン大統領及び彼が率いる公正・発展党が支持され、国会で単独過半数の議席を有しています。その結果、世俗国家としてのトルコを維持しながらも、ベールやスカーフの解禁などに見られるように再イスラム化が進んでいます。著者は、この流れは民主化の後退ではなく、“アタテュルクのつくった世俗の国としてのトルコは生きにくいと、敬虔な市民が発言するようになり、それが国家の体制を変革していったのである。それまでの、宗教色のないエリート層や軍部に代わって、市民、それも敬虔なムスリムである市民の声が政治に反映されることになったのだから、これは明らかに民主化の進展である”としています。

それもあってか現在のトルコは、イスラム的公正観に照らして、相手がどこの国であろうと、おかしいと思っていることには首を縦にふらない国であり、“世界の虐げられたムスリムに向けて希望のメッセージを発し続けている”国であると著者は言います。トルコは、西欧とイスラム世界の接点に位置していることから、“東からはイラク戦争の余波でクルド問題が再燃し、南からはシリア難民が押し寄せ”、民主主義を標榜する“アメリカを含めて西からは、テロとの戦争に参加せよ、「イスラム国」に厳しく対処せよと、圧力がかか”っている中、“民主化を進め、同盟国の圧力をかわしながら戦争に巻き込まれないために最大限の努力をし”ている国であると言います。

ただエルドアン政権は、今回のクーデター未遂事件を口実に、フェトゥフッラー・ギュレン師との関係を疑われる人々を大量に弾圧しているとの懸念が拡大しており、一層の強権化が進んでいるとみられています。そういう中、今後、トルコは民主主義を守りながら世俗国家のままいられるのか、それとも、イスラム色の強い国になっていくのか、中東の今後を考えるうえで、トルコの動静からは目が離せません。

著者の内藤正典は、同志社大学大学院教授で、専門は多文化共生論、現代イスラム地域の研究です。近著には、中東研究の第一人者である著者とイスラム法学者である中田考がイスラムとの講和を模索して語り合う『イスラームとの講和』などがあります。(文中敬称略)

【慈】

貴志康一:よみがえる夭折の天才』(日下徳一/著 音楽之友社 2001.4)

1949年12月、湯川秀樹博士が日本人で初めてノーベル賞を受賞されました。授賞式のあと行われる晩餐会では、慣例として受賞者の国を代表する作曲家の作品が演奏されるそうです。

この時演奏された曲こそ、貴志康一の「竹取物語」でした。

とは言え、やがて戦争へと突入していく1937年に亡くなったこともあり、貴志康一は日本人にすら忘れられていた存在だったそうです。しかし、没後62年の1999年3月、康一に大阪市から上方芸能人顕彰が贈られます。このように康一の曲が再評価されるひとつのきっかけとなったのが、甲南高等学校に開設された貴志康一記念室でした。
今回ご紹介する『貴志康一:よみがえる夭折の天才』では、日本人にすら忘れられていた貴志康一が再評価されたことや、そのきっかけとなった「貴志康一記念室」の活動について知ることができます。

貴志康一は1909年に吹田で生まれ、大阪の桜宮で育ちました。10歳の時に芦屋へ転居。甲南高等学校を中退し、海外留学をします。三度の海外留学で、ヴァイオリンや作曲、指揮を学び、作曲家・指揮者として海外・日本で活躍しました。日本で初めてベートーヴェンの「交響曲第九番」を暗譜で指揮をしたのも貴志康一です。映画製作も行っており、実に色々な才能を持っていたことがうかがえます。
また、年齢は離れていますが、山田耕筰と親しく、康一は「ジョークマイスター」と呼ばれていたそうです。明るい性格を愛されていたのが伝わってきます。ちなみに山田耕筰はビール好きなので「ビールマイスター」と呼ばれていたそうな。
ストラディヴァリウスを購入したことでも有名です。ストラディヴァリウスといえば、言わずもがなの名器。のちに手放してしまいますが、当時で6万円、今で言うなら数億円です。音楽にかける情熱が感じられますが、それにしても驚きです。
しかし、康一は、1937年、28歳という若さで亡くなってしまいました。もし、もっと彼が生きていたなら、と思わずにはいられません。
貴志康一は、まさに夭折の天才だったのです―――。

『貴志康一:よみがえる夭折の天才』の著者、日下徳一は、甲南高等学校に勤務し、貴志康一記念室の創設、及びその運営に携わった方です。この本では、甲南高等学校に貴志康一記念室ができるまで、そして楽譜集の出版、レコードやCDの製作など、貴志康一の再評価につながった貴志康一記念室の様々な活動、その軌跡に触れることができます。また、康一に関するテレビ番組やラジオ放送、演奏会記録についてもまとめられています。フィクションを織り交ぜつつも康一の生涯をロマンティックに描いたオペラ「ベルリンの月」についても、詳細に知ることができます。「作品解説ノート」もあり、康一の作品には、「日本組曲」の中の「道頓堀」や「淀の唄」、歌曲「かごかき」など、大阪を音に描いた作品があるのがわかります。
この本には、康一がオーケストラの練習の前に「ぼくは皆さんに、芸術家である前に芸人であっていただきたい」とよく言った、というエピソードが書かれています。聴衆の時間、すなわち人生を預かったんだから、それを無駄にしてはいけないと。大きな指揮台の上で踊るように指揮をしたり、彼のいたベルリンでは珍しくないのですが、薄化粧をして指揮台に上がったりしたそうです。こういうところも、なんとなく大阪の人だなぁと感じさせてくれて、親しみがわきます。

最後に、今回の紹介を書くにあたって、『貴志康一:よみがえる夭折の天才』と共に参考にした資料を挙げておこうと思います。まず『貴志康一永遠の青年音楽家』(※中之島図書館のみ所蔵)は、貴志康一の生涯を非常に詳しく知ることができ、写真もたくさん掲載されています。また、都島区役所発行の『天才音楽家貴志康一と都島』や『貴志康一の生涯』は、貴志康一について、とてもわかりやすくまとめられています。
CDについても一部紹介しておこうと思います。まずノーベル賞の晩餐会で流れた曲である「竹取物語」は、『貴志康一:青少年のための音楽伝記』に入っています。康一の作品は、他に『ロームミュージックファンデーションSPレコード復刻CD集 [3] 日本SP名盤復刻選集2』や、『転生:貴志康一作品集』、『交響曲「仏陀」他』などで聴くことができます。(文中敬称略)

【Q】

青い光に魅せられて:青色LED開発物語』(赤﨑 勇/著 日本経済新聞出版社2013.3)

今日、発光ダイオード(LED)照明が様々なシーンで利用されています。家の中の照明もさることながら、液晶パネルのバックライト、駅の案内表示、信号機、自動車のヘッドライト等の生活に根付く照明や、植物育成用ライトなど新しい分野における照明と幅広い利用がなされています。LED照明がどのような原理で発光しているかは、『発光ダイオードが一番わかる(しくみ図解)』がわかりやすいかと思います。

1962年に赤色LEDが開発され、パイロットランプ等には使用されていましたが、白色照明として利用するためには光の三原色である、赤、緑、青が全て揃う必要があり、波長的に遠い青色LEDの開発、実用化が望まれていました。そして、1993年に青色LEDがついに開発され、1998年には青色LEDの黄色蛍光体による白色LEDが開発されることとなりました。

これ以降、様々な改良が加えられ、生活の中に溶け込んでいきましたが、やはりこの青色LEDの開発は大きなブレークスルーとなったと言えるでしょう。著者はこの青色LEDを発明し、2014年のノーベル物理学賞を天野浩氏、中村修二氏と並んで受賞されています。

この本は著者の口述による自伝をまとめたものです。青色LEDの開発を当時の主流ではない手法で信念をもって継続され完成された経緯が、様々なエピソードと共に記されています。日本の技術力の根幹を垣間見ることができるようで、科学にまがりなりとも携わってきた者としては、非常に興味深く読めました。
興味を持たれましたら、ぜひご一読頂き、科学への理解を深めて頂けると幸いです。

【一休】

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