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本蔵 -知る司書ぞ知る(15号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2016年1月20日版

ウイルスX:人類との果てしなき攻防』(フランク・ライアン/著 角川書店 1998.4)

一昨年の2月ごろから西アフリカ諸国を襲ったエボラ出血熱の大流行は、一年半以上にわたって猛威をふるい、一万人以上の死者を数える空前の事態となりました。この間、アメリカやスペインなどでも医療者の感染・発病が報じられ、一時日本国内でも疑い患者の存在が発表され緊張が走ったことは記憶に新しいと思います。
恐ろしい感染症の流行は、西アフリカのエボラ出血熱だけではありません。お隣の韓国では昨年、中東呼吸器症候群(MERS)の流行があり30人を超える死者が出ました。
エボラ出血熱やMERSなどは、エマージング感染症(出現感染症)と呼ばれ、20世紀の半ば以後に新たに発見されたウイルスによる感染症です。本稿で採り上げる『ウイルスX:人類との果てしなき攻防』という本は、こうしたエマージング感染症について書かれた科学ドキュメンタリーです。

本書では主として三つのエマージング感染症が採り上げられます。最初に登場するのは1993年にアメリカのニューメキシコ州などで起こったハンタウイルス肺症候群です。
マイケルとロジーナという若い夫婦が立て続けにインフルエンザ様の症状を呈して入院し、治療する間もなく死亡するという事件が起こります。レントゲン写真に写った肺は真っ白で、解剖すると肺の隅々まで分泌液が充満していました。著者は「マイケルは自分自身の分泌液で溺れ死んだ」と表現しています。この類例のない病気は、やがて過去に何例か発生していたことが判明し、さらにロジーナの兄やその妻、マイケルとロジーナの解剖を手伝った助手、入院していたときの介護士などが次々と発病したため、メディアが大々的な報道を行ない、住民の間にはパニックが起こりました。州の公衆衛生当局はCDC(合衆国疾病管理予防センター)に協力を要請し、CDCの介入による疫学調査が始まります。本書では、原因ウイルスの特定や、ウイルス媒介動物の発見に至るプロセスが詳細に、かつ迫力を持って語られます。病気を引き起こしたのはハンタウイルスの一種の未知のウイルス(のちにシンノンブレウイルスと命名)であり、媒介したのは北米大陸に広く棲息するシカネズミでした。ハンタウイルスは朝鮮戦争の際に米軍を悩ませた腎症候性出血熱の原因ウイルスで、日本でも1960年代に大阪の梅田周辺で流行して「梅田奇病」と呼ばれたことがあります。
ハンタウイルス肺症候群に続いて採り上げられているのは、1976年にスーダンのヌザラとザイール(現コンゴ)のヤンブクで時を接して起こったエボラ出血熱と、1980年代から90年代にかけて爆発的に感染が拡大して全世界を震撼させた後天性免疫不全症候群(AIDS)です。どちらもハンタウイルス肺症候群の例と同様に、その発生から原因ウイルスの発見などの過程を、研究者の動静を通じてリアルに描いています。
本書は、これら三つのエマージング感染症を詳述しつつ、あわせて人類と感染症との闘いの歴史、ウイルス探索や疫学調査の実態、安全実験室の重要性などを述べ、さらに未知の感染症が出現する原因まで考察しています。最終章では、グローバリゼーションが進んだ人類社会における公衆衛生対策への警鐘を鳴らしています。
本書では、エマージング感染症が起こったときの人間社会の様相、すなわちメディアの過熱や市民のパニック、いわれない差別や偏見の発生なども語られていますが、そうした事態は決して遠い外国の話ではありません。2009年に新型インフルエンザ(インフルエンザA/2009H1N1)が日本に上陸したときの、国内の大騒動を思い起こすと、どれだけ医学が進歩しても、人は感染症の流行に対して強い恐怖感を払拭することができないということが知られるでしょう。

本書よりも広汎なエマージング感染症について書かれたものには、ローリー・ギャレットのピュリッツァー賞受賞作『カミング・プレイグ:迫りくる病原体の恐怖』(上)があります。また同じ著者による姉妹編『崩壊の予兆:迫りくる大規模感染の恐怖』(上)もあわせて読めば、世界を取り巻く公衆衛生の危機的状況への理解がより深まることと思います。ただ、『カミング・プレイグ』と『崩壊の予兆』をそれぞれ上下巻あわせると、総ページ数は1600ページにも及びますので、読み通すには覚悟が必要でしょう。
世界的なウイルス・ハンターの一人、ジョーゼフ・B・マコーミックの著書『レベル4/致死性ウイルス』は、CDCで長年にわたって危険なウイルスの研究に携わってきた著者の、数々の経験が語られています。書名に使われた「レベル4」とは、安全実験室のレベルすなわちバイオ・セーフティ・レベル4(BSL4)のことで、エボラ出血熱などの極めて危険なウイルスを扱うことができる安全実験室を指します。日本でもさきごろ、国立感染症研究所でレベル4実験室の運用が始まったと報道されていました。
歴史的観点から感染症を見るなら、『コロンブスが持ち帰った病気:海を越えるウイルス、細菌、寄生虫』(ロバート・S・デソウィッツ)が読みやすいと思います。著者は米国の熱帯医学の権威で、翻訳は寄生虫学者として著名な藤田紘一郎です。
日本人研究者の著作としては、人畜共通感染症の権威である山内一也の『エマージングウイルスの世紀:人獣共通感染症の恐怖を超えて』や『エボラ出血熱とエマージングウイルス』を挙げておきましょう。山内はローリー・ギャレットの上記著作の監訳者でもあります。
日本人にとって最大の感染症はいまも結核です。多剤耐性結核菌の出現によって、結核はいまだ日本人にとって脅威であり続けています。抗生物質が発見される以前、日本人が結核にどのようなイメージを持っていたのかを、文学者の病歴から追ったユニークな論考が、福田眞人『結核の文化史:近代日本における病のイメージ』です。少し毛色の変った感染症関係の資料として掲げておきます。(文中敬称略)

【鰈】

知っておきたい日本の年中行事事典』(福田アジオ/著 吉川弘文館 2012.2)

地域や家庭により違いはあると思いますが、年明けから七草粥、鏡開き、小正月と楽しんだ方も多いのではないでしょうか。本書は、こういった日本に伝わる年中行事を紹介した資料です。
さて、2月といえば「節分」ですね。「豆まき」「鰯の頭を柊の枝にさして門口に飾る」といった伝統的な風習と共に、最近では「恵方巻き(太巻き)のまるかぶり」もすっかり定着してきたように思われます。
本書によると、「節分」とは2月のものだけをいうのではなく、「本来は、季節の分かれ目の意味であり、二十四節季の立春・立夏・立秋・立冬の前日をさす。その中でも、太陰太陽暦、いわゆる旧暦の正月に近い立春の前日がもっとも重要だとされており、現在では立春の前日のみを節分というようになった。」とのことです。
今は、国立天文台が毎年2月に翌年の二十四節季の日取りを決めて発表しています。国立天文台のホームページで確認してみると、今年の節分は「2月3日」、立春は「4日」とありました。
年々季節感が薄くなってきていますが、テレビで気象予報士の工夫を凝らした解説を見るにつけ、二十四節季など、季節の移り移り変わりを現す言葉はまだまだ生活の中に息づいていると感じられます。バレンタインデーなどの外国から来たイベントも年中行事として定着し、季節に彩りを添えています。
本書には、「バレンタインデーとホワイトデー」の項目もあります。バレンタインデーの起源、欧米と日本の違い、日本で一般にひろまったのは昭和50年代以降で、製菓会社の宣伝によるものであることなどを説明しています。さらに女性が男性にチョコレートを贈り愛の告白をする日とされていることは、「日本独自」と断言しています。また、「恋愛に限らない」として、最近の「義理チョコ」「友チョコ」の流行についても説明があります。ちなみにホワイトデーは、「飴を製造する業界などの宣伝により始まった日本独自の習慣」だそうです。

年中行事について書かれた本はたくさんありますが、もう1点『日本の年中行事を英語で紹介する事典』も紹介します。日本の風習を、外国人に理解しやすいように説明した本です。日本語と英語の対訳で、適宜関連する写真や図が掲載されています。
「節分」「立春」「豆まき」の項目では、日本での行事の来歴と伝統的な方法の説明があります。「豆まき」では、鬼役の人、あるいは家の外に向かって豆を投げるという一般的な説明に加えて「年男や年女である人気者の運動選手や芸能人が、全国の大きな神社や寺院で多くの参拝者たちに向かって大豆の入った小さな袋を投げます。」とあり、読みながら思わずにっこりしてしまいました。
また全国各地の祭りや伝統行事だけではなく、「新年会」「花見」「忘年会」等の項目もあります。意味あいとして「勤務先の人達とのパーティ」等と表現されており、日本における「職場」「勤め先」の位置づけの高さがうかがわれます。そのほか、たとえば「福袋」の項目では、「衣類やアクセサリー、その他の品物が数点、紙の買い物袋に入れられ、これらの袋は3千円、5千円、またはそれ以上の均一価格で売られます。袋には小売値の2倍から3倍の価値のある商品が入っているので買い得だといわれていますが、消費者は時に、これらの商品が売れ残りだったり、流行遅れだったりして失望することがあります。」と描写され、テレビニュースの解説とはひとあじ違った味わいがあります。
「バレンタインデー」の項目には、起源や、欧米と日本の違いとその理由の説明がありますが、残念ながら「ホワイトデー」の項目はありません。果たしてクールなジャパンの「ホワイトデー」は、外国人の目にはどう映るのでしょうか。

【みぃ】

石と笛123上3下』(ハンス・ベンマン/著 平井吉夫/訳 河出書房新社 1993.5/6/7/9)

初めて私が本書を手にしたのは十代の頃で、当時は手当り次第に本を読み漁っていました。読み応えのある本を探していたところ、偶然本書が目につき、そのシンプルなタイトルに惹かれて読んだものです。不思議と印象に残る本だったため、今回紹介させていただくことにしました。

本書のジャンルについては、出版社による紹介文ではファンタジーと書かれていますが、訳者のあとがきによると、著者のハンス・ベンマンは「メルヘン」と表現していたそうです。ちなみに、ハンス・ベンマンは日本ではあまり知られていませんが、地元のドイツでは本書が高く評価され、『モモ』や『はてしない物語』等で有名なミヒャエル・エンデと並び称されることもある人物だそうです。

この物語は、中世ヨーロッパを思わせる架空の世界を舞台としています。主人公の「聞き耳」は裁判官の息子に生まれ、恵まれた環境で育ちますが、ある人物から不思議な石を譲り受けたことをきっかけに、旅に出ることになります。また、旅の途中で名高い笛匠である祖父から特別な力を秘めた笛も引き継ぎます。この物語は、これらの石と笛を巡る「聞き耳」の長い旅路(人生)を描いたビルドゥングスロマン(教養小説・自己形成小説)としての側面も有しています。

「聞き耳」の人物像を一言で表現すると、「愚か者」という言葉がしっくりときます。「聞き耳」は浅慮や虚栄心に基づいて行動することが多く、女性に唆されるなどして愚かな失敗を繰り返します。その度に代償を払うことになるのですが、なかなか成長しません。そしてついには、取り返しのつかない過ちを犯してしまいます。

今回、この「本蔵」を書くために本書を久しぶりに読み返したのですが、十代の頃とはかなり異なる印象を抱きました。十代の頃は、「聞き耳」のバカさ加減に腹が立って仕方がありませんでした。世界に二つとない石や笛を与えられ、非常に恵まれた状況にあるはずの「聞き耳」が、これらの使い方を誤り、懲りずに何度も失敗していることに怒りを覚えていました。ところが、今回はなぜかそれほど腹が立ちませんでした。むしろ、その失敗からは学ぶべきものがあるようにも感じられました。それなりに人生経験を積み、私自身も失敗を繰り返してきたことで、「聞き耳」の失敗も寛容に捉えられるようになったのかも知れません。

この物語は、反面教師ともいえる「聞き耳」の人生とともに、重層的に織り込まれた様々な寓話や箴言を通して、読者も自身の人生について考えるきっかけを与えてくれます。冒頭でも述べたように、この物語はファンタジー(またはメルヘン)に該当するかと思いますが、内容は大人向けで読みやすいものではありません。全4冊で合計1000ページ以上ありますので、読み通すにはそれなりの時間と労力が必要になります。このため、万人にはおすすめできませんが、読み応えのある本を求めている「活字中毒」の方がいらしたら是非ご一読ください。

【隊長】


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