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本蔵 -知る司書ぞ知る(8号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2015年6月20日版

詰むや詰まざるや』(伊藤宗看・看寿/著 平凡社 1975.12)

まだ戦争の記憶も消えやらない昭和26(1951)年。神戸の町にあった一軒の古本屋の店先で、12歳の少年が一冊の本のページをじっと見つめていました。そのページには一局の詰将棋の問題が印刷されていました。少年は何日かその古本屋に通って駒の配置を記憶し、自宅でその詰将棋に挑みました。おそらく直ぐには解けなかったでしょうが、ようやく解けたその69手詰めの美しい手順に、少年はすっかり魅了されてしまいました。
少年はのちにプロ棋士になり、王位などのタイトルも獲得して九段にのぼりつめました。その少年とは、今年の三月で現役を引退した内藤國雄九段その人です。
内藤國雄少年が古本屋の店先で見ていたのは、江戸時代中期の宝暦5年(1755)ごろに編まれた『象棋百番奇巧図式』*、俗に『将棋図巧』*と呼ばれる全百局の詰将棋作品集で、作者は伊藤看寿、七世名人伊藤宗看の実弟で、次期名人に予定されていながら四十二歳で病没し、死後に名人を追贈された人物です。

平凡社東洋文庫の一冊である本書は、その伊藤看寿の『将棋図巧』*と、七世名人伊藤宗看の『象戯図式』(俗に『将棋無双』と呼ばれています)とが、それぞれ全編収録されたもので、全部で二百局の作品それぞれに、詰将棋作家の門脇芳雄が解説を付けています。どちらも古典詰将棋の最高峰と呼ばれている作品集ですが、作風は大きく異なります。伊藤宗看の『将棋無双』は、そのあまりの難解さに往時より「詰むや詰まざるや」と呼ばれてきた作品集で、本書の書名もその事歴に因んだものです。一方の『将棋図巧』*はさまざまな趣向を盛り込んだ精緻華麗な作風です。
詰将棋といえば新聞や週刊誌などの片隅に載っているものを想起されるかもしれませんが、本書収録の詰将棋は到底そうしたものとは同列に論じられません。宗看も看寿も、この詰将棋作品集を道楽で作ったわけではありません。当時、名人すなわち将棋の家元を継ぐことになった者は、詰将棋百局を作って将軍家へ献上するのが慣例でした。宗看らは次期名人の矜持をかけ、全知全能を傾けて、この献上図式を作り上げたのです。
そのため、新聞詰将棋のようにせいぜい15手程度で詰み上がる実戦型の作品は、本書ではほとんど見られません。51手を超えるような長編も数多く収録されています。長編作品となると、プロ棋士を目指す若者や棋力の高い詰将棋愛好家なら自力で解くこともできるでしょうが、筆者のごときへなちょこでは解説を片手に駒を動かしてみるのが精々のところです。ですが、単に詰め手順を鑑賞するだけでも、十分に人知の深みに感動することができるはずです。『将棋無双』第30番、第70番、『将棋図巧』*第1番、第99番などの、駒の動きの美しさをぜひ味わってもらいたいものです。

内藤國雄九段が若き日に魅了されたのは、看寿の『将棋図巧』*第1番で、雄大な構想の名作ですが、『将棋図巧』*には特筆したい作品が外にふたつあります。
ひとつは第99番、一般に「煙詰」の名で知られる作品です。この作品は盤面に詰方の玉を除いた39枚の駒すべてが配置され、手順を進めていくうちに盤上から一枚ずつ駒が消えていき、詰め上がりは玉と詰め方の駒二枚、合計三枚しか残らないという趣向作品です。盤面から駒が煙のように消えていく手順に煙詰の異名を与えた江戸の将棋愛好家の風趣が感じられます。煙詰の創作には看寿以後の詰将棋作家の多くが挑みましたが、長い間誰も39枚から3枚まで駒を消すことができませんでした。第2号の煙詰は昭和29(1954)年に黒川一郎が発表した「落花」という作品で、看寿の煙詰以来、実に200年ぶりのことでした。
もうひとつは第100番で「寿」の異名があります。この作品は龍追廻しという趣向を用いた大長編で、詰め手数は611手にのぼります。当時の最長手数作品で、この記録は昭和30(1955)年に奥薗幸雄が発表した「新扇詰」(873手)に破られるまで、200年のあいだ長手数詰将棋の首座に君臨し続けました。現在の最長手数作品は橋本孝治の「ミクロコスモス」で、1525手です。

詰将棋は指し将棋のルールを用いた知的遊戯ですが、『将棋図巧』*などはもはや芸術作品と呼んだほうがよいでしょう。詰将棋創作の才能は、指し将棋とは別のものと考えるべきで、煙詰などはプロ棋士でもおいそれと創作できるものではありません。昨今コンピューターソフトの進化によって、プロ棋士がコンピューターとの将棋対局で敗れることが相次いでいますが、まだコンピューターソフトは自動的に詰将棋を創作するレベルには至っていません。詰将棋創作の分野では人知の方がはるかに優勢です。
これまで詰将棋はアマチュアの努力によって発展してきました。上記の黒川一郎も奥薗幸雄もプロ棋士ではありませんし、現在活躍中の詰将棋作家もほとんどはアマチュアです。毎年、優れた詰将棋作品を顕彰する賞の名を「看寿賞」と言いますが、この受賞者もほとんどがアマチュアです。たとえば看寿賞を9回も受賞している若島正は、英米文学愛好者ならきっとご存知でしょう、京都大学教授の英文学者です。看寿賞60年の歴史の中で、プロ棋士の受賞者はこれまで3人(4回)しかいません。内藤國雄九段はその数少ない一人で、平成10(1998)年に「攻方完全実戦初型」という極めて難しい条件を史上初めてクリアした作品で看寿賞特別賞を受賞しています。ほかには浦野真彦八段が二回(短編賞、長編賞)と谷川浩司九段(特別賞)が受賞しています。歴代の看寿賞受賞作を鑑賞するなら『看寿賞作品集』をご覧ください。
内藤九段には作品集『図式百番』が、谷川九段にも『月下推敲』があります。上述した若島正にも詰将棋作品集『盤上のファンタジア』があります。江戸時代から昭和30年代までの詰将棋の秀作を鑑賞するなら本書の姉妹作『続詰むや詰まざるや』(門脇芳雄編)がおすすめです。(文中敬称略)

*の資料は館内利用のみです。
【鰈】

十二の肖像画による十二の物語』(辻邦生著 文藝春秋 1981.12)

この本は中世からルネサンス期に描かれた肖像画から十二枚を選んで、純粋に画に触発されて書かれた短編小説をまとめたものです。物語の前に画が載っており、画と物語を楽しむ趣向になっています。著者である辻邦生は1925年9月24日生まれ。今年で生誕90年です。(1999年に急逝)代表作には『背教者ユリアヌス』や『西行花伝』などがあり、長編の小説が多い作家です。

著者は、「…無数の人々の外見の下に、どんな人間が隠されているのだろう。にこやかな美女が思わぬ残忍さを秘めていたり、傲慢な男が意外に小心であったりする。人間の本性は、おそらく当人にも謎なのであろうか。こうした人間そのものを描く肖像画の奥には、当然、この種の闇が隠されている。画家はそれを、ともども塗りこめているにちがいない。…(中略)…私はかねがね私を魅惑する肖像画の中の<闇>を短い物語の形で解きほぐしてみたい…(「物語のはじめに」より)」と考えており、画から得たインスピレーションを基に、画の背景にある歴史的事実や美術史的背景とは関連のない絢爛たる物語世界を構築しています。

カバー表紙にもなった美しい女性の画はポライウォーロ作「婦人の肖像」。著者はこの女性を「ポリーナ」と名づけ、「謀(たくら)み」というタイトルで残酷で鮮やかな物語を紡いでいます。
ちなみにモデルの女性は「イタリアの女傑」と謳われたカテリーナ・スフォルツァの母であるルクレツィア・ランドリアーニと言われています。彼女のひ孫は初代トスカーナ大公コジモ一世で、その血はヨーロッパの主な王室に引き継がれています。(先日誕生されたイギリスのシャーロット王女もその一人です。)

ほかにはレオナルド・ダ・ヴィンチなどのフィレンツェ派、ベルリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノなどのヴェネツィア派、またロヒール・ファン・デル・ウェイデン、デューラー、レンブラントといった「北方」の画家たちが描いた、よく知られた画もあれば、知る人ぞ知る隠れた名画もあり、それらを絶妙にセレクトして、「鬱ぎ(ふさぎ)」、「妬み(ねたみ)」、「怖れ(おそれ)」、「傲り(おごり)」、「驕り(たかぶり)」、「吝い(しわい)」、「狂い(ものぐるい)」、など少々恐ろしいタイトルのもとで、領主、召使の老女、学者、市長、騎士、男装の麗人、女流詩人、などを主人公として、堅牢な身分制度が存在した時代の様々な人々の愚かさや賢さ、そして奇妙な体験が描かれています。

これらの物語は、もともと1980年3月から1981年2月まで、雑誌『文藝春秋』*に美しい口絵とともに毎月1話ずつ1年間連載されていました。本の大きさは美術書によくあるA4版で、画を楽しむには最適な大きさです。実は今年2月に別の出版社から本書の復刊がありましたが、残念なことに大きさが本書のおおよそ2分の1くらいに縮小されての復刊となっています。

もう1つのおすすめが、同じ著者による『十二の風景画への十二の旅』です。「前作、好評につき」ということかもしれませんが、「肖像画」から2年後に『文藝春秋』での連載を経て刊行されました。こちらはセザンヌやブリューゲル、フェルメールなどの画家による様々な手法で描かれた風景画から「行きずりの旅人の視点」で描かれた物語です。切り取られた風景のもとでの豊かなイマジネーションから生み出された物語は、読者を新たな旅に誘ってくれます。

二冊とも刊行されてから30年以上もたちますが、丁寧に造られているため、まだまだ美しいです。手に取ると「手間やお金がかかってもよいものを造ろう」とする編集者や出版社の良心がうかがえますし、これらが刊行された1980年代はいわゆる「バブル」とは別の意味で「豊かな時代」であったことが感じられます。

どちらも短い物語が12編ずつ収録されており、(繰り返しますが)画とは全く関係ない著者の空想による物語です。「芸術にはこんな愉しみ方があるのだな」ということを教えてくれます。

*は館内利用のみです

【non】

醤油鯛』(沢田佳久/著 アストラ 2012.9)

このコーナーで御紹介する鯛の本、第2弾です。
いったい醤油鯛って何?と思われた方は、表紙写真をご覧いただければ一目瞭然、あの駅弁やお寿司に入っている魚型の醤油入れを、著者がそう名付けたとのことです。本書は醤油鯛の魅力の虜になった著者が20年来収集してきたコレクションを元に、3年がかりで編纂されました。
本書がユニークなのは醤油鯛という題材もさることながら、それをきわめて博物学的かつユーモラスに論じている点です。例えば定義の項では醤油鯛を「量産された合成樹脂製の液体調味料容器で、全体で魚の形を模したもの」と定義づけた後、「どこまで『醤油鯛』と呼べそうか?」と問題提起し、豚の形をしたトンカツソース入れは、近い仲間で何となく醤油鯛の弟分ではあるが、醤油鯛ではない。では魚ではあるが鮎の形のものは?と考察を深めていきます。さらにその起源から進化までを俯瞰し、観察の部では醤油鯛の種と型、分類や形質が豊富な写真とともに分かりやすく解説されています。
そして圧巻は醤油鯛を写真・イラスト入りで6科21属76種に体系づけた、コンパクトながら本格的な図鑑の部です。実際に醤油鯛を手にして同定する時に使える検索表も付いているという充実ぶりに、いつしか醤油鯛への愛着を覚えずにはいられなくなってしまいますが、近ごろ国内では安価なフィルム式の醤油袋が人気になり、醤油鯛は徐々に「昭和レトロ」へ軸足を移しつつあるとのことです。
ちなみに本書の「起源」の項で紹介されている醤油鯛製造メーカー、株式会社旭創業のホームページには「大阪の人は新しいもの好きだから」との理由で昭和32年に大阪市西成区で旭食品工業として創業したとあり、現在も様々な形の容器とフィルムタイプのものが製造されているようです。
なお本書の著者は、実は昆虫学者でいらっしゃいます。当館では『オトシブミ(カラーアルバム昆虫)』『オトシブミハンドブック』(いずれも共著)を所蔵しています。

【SN】

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