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本蔵 -知る司書ぞ知る(7号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2015年5月20日版

時代風俗考証事典』(林美一/著 河出書房新社 1977.10)

ちょっと小難しそうな書名ですが、事典といいつつ純粋な事典ではありません。むしろ時代考証をめぐる随筆集という趣きですから、読むのに専門知識がいるようなものではありません。
時代考証というのは、過去の時代を舞台にした小説やドラマなどのフィクションを創作する際に、設定された時代の風俗に適合した描写や演出ができているのかどうかを検証する行為です。たとえば、ラスト5分前ぐらいになると「この紋所が目に入らぬか」というキメ台詞が必ず出てくるあのドラマで、八兵衛さんが宿場町の居酒屋で燗徳利を傾けて一杯やっている場面が出てくるとしましょう。この場面で時代考証上問題になるのは、ドラマの時代設定が元禄ごろであるにも関わらず、居酒屋や燗徳利が登場することです。居酒屋は江戸においても寛政期ごろから盛んになったと言われていますし、燗徳利が用いられるようになったのは幕末のころからです。したがって時代設定より100年から150年ぐらい後の風俗が登場しているわけです。いわば大正か昭和はじめのころを舞台にしたドラマの登場人物がスマホでメールのやりとりをしているようなもので、これでは時代考証がきちんとできていないと評されることになるでしょう。
この本の著者の林美一(1922~1999)は、多くのテレビ時代劇や映画で、実際に制作現場に密着して時代考証を行ってきた人物で、この本の第一部はそうした体験を、ドラマ制作などの実例を挙げて解説しています。ドラマ制作における林美一の考証スタンスは、本書中で何度も言及されていますが、「考証のためにドラマがある」のではなく「ドラマのために考証がある」というものでした。そのスタンスから、演出の都合上やむなく史実や時代風俗に反するシーンを受け入れざるを得なかったケースも正直に語られていますので、映像制作現場での時代考証の理想と現実とのギャップもよくわかり、興味深く読み進めることができます。

一方、フィクションの世界であっても、時代考証をおろそかにすることを許せなかったのは三田村鳶魚(1870~1952)です。新聞記者などの職業の傍ら江戸の歴史や文化、風俗などを深く研究し、「江戸学の祖」とまで呼ばれた鳶魚は、著書『大衆文芸評判記』や『時代小説評判記』で、大正初期のころから盛んになった大衆文芸における時代考証の杜撰さを手厳しく批判しました。たとえば会話の中に「四六時中」という表現があれば、江戸時代に「四六時中」などということばがあるはずがない、ここは当然「二六時中」でなければならないと、何気なく読み過ごしてしまいそうな細部にまで厳しい目を向けています。
こうした批判の対象にされたのは、大佛次郎『赤穂浪士』、直木三十五『南国太平記』、白井喬二『富士に立つ影』、吉川英治『鳴門秘帳』、中里介山『大菩薩峠』、佐々木味津三『旗本退屈男』といった作品で、大衆文芸の大どころが勢ぞろいして鳶魚の舌鋒に撃沈された感があります。たとえば白井喬二については「よくもよくもこれほどトンチンカンな、ばかげたことが書けたもんだと思って感心する」、佐々木味津三に対しては「時代物を全く時代知識なしに書く。その胆力は感服すべきものであるかもしれないが、これほどムチャなことを書くのは、随分人を喰った話だ。それを読む人、ばかにされて嬉しがっているのかと思うと、これはまた言語道断だ」と、辛辣を極めています(いずれも『大衆文芸評判記』から引用)。
三田村鳶魚はテレビが普及していない時代を生きた人ですから、当然のことながら林美一が苦心したテレビ時代劇の考証を実見することはなかったわけですが、もしテレビ時代劇の全盛期に鳶魚が生きていたら、いったいどんな熾烈な批判があったことでしょうか。

林美一のように映像メディアの世界で時代考証を行うとなると、時代風俗を再現するために絵画を参照しなければならないのは必定です。江戸時代の草双紙や浮世絵などはその恰好の教材になります。林美一はもともと大映京都撮影所に十年ほど勤務した経験がありましたが、その後江戸文学や浮世絵などの研究を行っていました。そのため、浮世絵などに関する著作も数多く、特に『林美一江戸艶本集成』などに代表される艶本の研究には定評があります。
漫画の世界で時代風俗を再現するために浮世絵や艶本を学んだのが、46歳の若さで世を去った杉浦日向子(1958~2005)です。代表作『百日紅』をはじめ、『二つ枕』『とんでもねえ野郎』など、江戸時代を舞台にした漫画を数多く遺した杉浦にとって、当時の風俗をリアルタイムで描いた艶本などはなくてはならない資料でした。杉浦の時代考証は、林美一と並び称される考証家の稲垣史生(1912~1996)に弟子入りして学んだという本格派で、闘病のため漫画家を続けられなくなって「隠居」して以後は、江戸風俗に関する著作を数多く執筆しました。『大江戸観光』『江戸へようこそ』などの随筆集は、気軽に江戸の文化や風俗を知るための入門書に最適でしょう。

その杉浦日向子の『百日紅』が劇場用長編アニメーションになって公開中です。厳密な考証に基づいて描かれた杉浦ワールドが、アニメーションの中でどのように再現されているでしょうか。これもまた興味をそそられるところです。(文中敬称略)

【鰈】

乱歩おじさん:江戸川乱歩論』(松村喜雄/著 晶文社 1992.9)

江戸川乱歩(本名・平井太郎 1894~1965)が亡くなってから、今年で50年になります。

乱歩が生み出した明智小五郎は、知らぬ人はいないほどの名探偵と言えるでしょう。明智小五郎と言えば、初登場作品は「D坂の殺人事件」です。探偵小説と乱歩自身について詳細に綴られた、江戸川乱歩著『探偵小説四十年』を確認してみますと、「D坂の殺人事件」は、舞台こそ東京ですが、乱歩が大阪に住んでいる時に書かれたことがわかります。ご存知でしたでしょうか。

さて、本書は、推理小説研究家、作家、翻訳家であり、江戸川乱歩の親戚である著者による江戸川乱歩論です。乱歩の各作品の評論に加えて、随所に親戚のやさしいおじさんである乱歩の姿を垣間見ることができます。著者は、少年の頃、乱歩に春陽堂版「探偵小説全集」の江戸川乱歩集を読むよう言われ、日本の探偵小説に心底脱帽したのだそうです。また、読書家だった乱歩は、感銘を受けた作品について詳細に語り聞かせてくれたそうです。時には、未読の探偵小説のトリックや犯人まで話されてしまい、困ったこともあったようですが、著者にとって乱歩の話す探偵小説の話は、全部この世の宝物だったのです。

探偵小説四十年』では、著者に関する記述を見ることができます。太平洋戦争後、外国から大変な苦労の末、帰って来た著者のリュックに入っていたのは、なんと手に入れた英仏の探偵小説が大部分だったそうです。船に乗る時に荷物が制限される中、探偵小説ばかりを持ち帰ったというのです。著者の探偵小説に対する想いの大きさをうかがうことができるのではないかと思います。

そんな著者の作品論は、乱歩作品と多数の外国作品などとの関連性を論じたものが散見されます。とは言え、けっして、乱歩の独創性を否定しているのではありません。その演出の巧みさや意味を論じているのです。そんな作品論の中に、乱歩の人間味あふれる姿が挟み込まれます。それが『探偵小説四十年』で乱歩本人が描く自身の姿とは一味違っていて興味深いのです。一例を挙げてみますと、「鏡地獄」や「お勢登場」における閉ざされた空間への恐怖を論じるところで、乱歩がエレベーターの前に立っていた話が出てきます。乗ればいいのに、なぜエレベーターの前に立っているのか。そのエピソードがなんとも微笑ましいと言いましょうか、かわいらしいと言いましょうか・・・。読むにつけ、作品と共に乱歩への愛着が増していきます。

日本の探偵小説界にとって、乱歩はなくてはならない存在でした。そんな巨星の作品を、親戚である著者にしか書けない本書を通して見つめてみるのはいかがでしょうか。(文中敬称略)

【Q】

思考の用語辞典』(中山 元/著 筑摩書房 2000.5)

「辞典」と「事典」の違いをご存じでしょうか。どちらも分厚くて、重くて、色々なことが説明されている、高価な本、とイメージされるかもしれません。
けっこう似ていますし、厳密に使い分けられているわけでもありませんが、両者にはきちんと違いがあります。

軽く説明しますと、

事典――別名「ことてん」。英語でいうとEncyclopedia。事柄の解説をしている書物。

辞典――別名「ことばてん」。英語でいうとdictionary。文字や単語等の言葉について、意味や用法を説明した書物。

です。
「事典」は事柄を扱い、「辞典」は言葉を扱います。「国語辞典」はあっても「国語事典」はなく、「動物事典」はあっても「動物辞典」はありません。

さて、『思考の用語辞典』のお話です。
なぜ私が「じてん」のお話をしたかと言いますと、この本、私は何度も読み返しているのですが、そのたびに「思考事典」だなあ、と勝手に思っているからです。
タイトルが間違っているわけではありません。確かに用語を説明する辞典です。
ただ、国語辞典とは違って、意味や用法が書かれているだけではないのが、この本の特徴です。

例えば、「暴力」という言葉があります。有名な国語辞典『広辞苑 第6版 机上版 た―ん』でこの言葉を引いてみましょう。

「乱暴な力。無法な力。なぐる、けるなど、相手の身体に害をおよぼすような不当な力や行為」(P2573より引用)

では『思考の用語辞典』で引いてみましょう。

「暴力について考えよう。これを考えることは、他者との関係を深く考えることだ。暴力とは何か? さいしょにハンナ・アレントの定義をみてみよう――」(P365より引用)

国語辞典ではきっちりと言葉が定義されています。まさしくこの意味だ、と。
一方の『思考の用語辞典』は、その言葉・概念が真にどういうものなのかが、いわゆる哲学者たちの考えの下に述べられていきます。
意味や解釈は決して1つではありませんし、正解があるわけでもありません。「暴力」も計7人の哲学者の考え方が解説されています。

そうです。これはいわゆる哲学の本です。しかし、小難しいことを無味乾燥に書いているのではありません。
語りかけるような口調で、私たちが疑問を抱きそうなところ、つまずきそうなところを丁寧にすくいあげ、哲学者たちの思考を説明してくれています。哲学初心者向けの本です。

私たちが普段何げなく使っている「正義」や「夢」「まなざし」といった言葉、聞いたこともないような「アレゴリー」「換喩」「ラング」といった言葉。
それらの中ひとつひとつに、多くの哲学者たちの思考が詰め込まれています。

読み進めていくうちに、私にはこの本がただの用語事典ではないと思えてきました。
1つの言葉に割かれた2~4ページの紙の上に、多くの哲学者たちの思考が図鑑のようにひしめいている。
様々な「思考」が一冊にまとまった事典、だから「思考事典」。こじつけっぽいでしょうか?

【RY】

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