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【デジタル展示】鯰絵

大阪府立図書館 > 大阪資料・古典籍 投稿 > 中之島 > 【デジタル展示】鯰絵

更新日:2023年9月30日

鯰絵とは

「鯰絵」とは錦絵のジャンルの1つで、安政2(1855)年10月2日に江戸で起きた安政の大地震の世相を表現したものです。

この地震による死者は江戸全体で1万人以上とされています。

地震を引き起こすのは地中にすむ大鯰で、普段は鹿島大明神が要石(鹿島神宮に祀られている石。)の力で大鯰を抑えているという古くからある伝説が、安政の大地震を契機に広まりました。

笑いや風刺を交えた鯰絵は200種類以上あり、庶民の情報源や世直しへの期待のメッセージとして流行しました。

当館が所蔵する『保古帖 5』【甲雑/58】から、「鯰絵」を紹介します。

『保古帖』は貴重書で、文書や一枚摺物(瓦版・番付・引札)など千数百点が貼り付けられています。

※画像をクリックすると「おおさかeコレクション」へリンクします。

地震方々ゆり状之事 (なまず+瓢箪図入)

地震方々ゆり状之事

江戸時代の奉公人の契約書である奉公人訴状を元に描かれた絵。

「橋々屋落右衛門」のところへ鯰の「ゆり助」を奉公に出すという内容で、震災後の建設ラッシュを反映している。

万歳楽鯰の後悔

万歳楽鯰の後悔

安政江戸地震を引き起こした大鯰を、人間から目の敵にされて迷惑している仲間の鯰が懲らしめている。

後悔した大鯰は、国土安穏、無病息災などのまじないを唱えた。

雨にハ困り野じゅく しばらくのそとね

雨にハ困り野じゅく しばらくのそとね

歌舞伎の「暫(しばらく)」をモチーフにして描かれた。正義の味方、鎌倉権五郎景政が鯰坊主を要石で抑えつけている。

「暫のつらね」というセリフを借りて、地震による芝居小屋の被害や、人々がしばらくは野外で寝起きしていることなどが書かれている。

骨抜どうせうなまづ大家破焼

骨抜どうせうなまづ大家破焼

鹿島大明神が鯰を捕まえ、鯰のかば焼き屋を開いている。

「家破焼」は「蒲焼」の洒落。客は料理屋、咄家、芸者など、震災で仕事を失った者たちである。

持○長者泣競

持○長者泣競

地震により家が壊れ、損をした持丸(金持ち)たちが溜め込んだ金銀を吐き出す様子が描かれている。

鯰絵を買うのは庶民に限られていたので、このように金持ちの災難を風刺する絵があった。

[ことぶき万歳楽]

[ことぶき万歳楽]

「万歳楽」と唱える花魁が鯰の上に乗る図。大正頃まで、地震が起こると関西では「世直り」、関東では「万歳楽」と唱えた。

花魁の着物には、鯰をおさえる道具である瓢箪が描かれている。吉原は安政の大地震で1000人以上が犠牲になったとされる。

両四時角力取組

両四時角力取組

鹿島大明神が行司を務め、要石が鯰を投げ飛ばした。

2日目には「大鯰」「揺出シ」等と地震発生を表し、3日目の最後には「御救」「頂キ」と震災後の状況を示すしこ名が書かれている。

どらが如来世直しちょぼくれ

どらが如来世直しちょぼくれ

ちょぼくれは、江戸時代後期に流行した門付芸。鯰が四つ竹を伴奏に語り歩き、木魚を持った雷神がお供をしている。

地震の後は相場が下がり、世の中は豊年万作になるだろうと結んでいる。

参考文献

■『鯰絵:震災と日本文化』(里文出版 1995.9)【387/125N/】

■『ドキュメント災害史 1703-2003』(国立歴史民俗博物館/編集 国立歴史民俗博物館 2003.6)【451.9/76N/】

■『今こそ知っておきたい「災害の日本史」:白鳳地震から東日本大震災まで PHP文庫」(岳真也/著 PHP研究所 2013.6)【L210.17/7N/】


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