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第165回大阪資料・古典籍室小展示「令和3年度 新収資料展」

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更新日:2022年8月29日

大阪府立中之島図書館 第165 回小展示 タイトル画像

開催概要

令和3年度に収集した大阪関連の古典籍・既刊書の一部を展示します。

開催期間

令和4年8月29日(月曜日)~10月29日(土曜日)

前期:令和4年8月29日(月曜日)から令和4年9月24日(土曜日)まで
後期:令和4年9月26日(月曜日)から令和4年10月29日(土曜日)まで

※期間内に展示替えを行います。
※平日9時から20時 土曜日9時から17時 入場無料
※期間中の休館日は、毎週日曜日と祝日(9月19日(月曜日)、23日(金曜日)、10月10日(月曜日))、10月13日(木曜日)です。

場所

大阪府立中之島図書館 3階 大阪資料・古典籍室1

展示資料一覧

 ※タイトルをクリックすると資料の画像サンプルが見られます。データが少し大きいのでご注意ください。

前期展示 (令和4年8月29日(月曜日)~9月24日(土曜日))

池田町(現池田市)の商店の一覧を当時の松竹映画の俳優(田中絹代、市川右太衛門、水谷八重子など)の写真と織り交ぜて双六仕立てにしたもの。右下端より時計回りに中心に向かって進み、上りは大正12年(1923)映画館として開業した「明治座」となっていることから、おそらく同館が宣伝として制作したものと考えられる。

滑稽本。『東海道中膝栗毛』の人気を受けて類似した本が多数出版されたがその一つ。
「前篇」とあり、下巻の巻末には後篇の予告も掲載されているが刊行はされなかったらしい。

  • 祖塔之記 高松清喜序 高松清房述 写本 文政8年(1825) 【350/18】

白粉の製造販売で財をなした銭屋高松家は、一時期柏村新田(八尾市)の経営にも携わっていたが、その時期に柏村新田会所の敷地に先祖の霊を祀る五重石塔を建立した(現存せず)。
本書はこの祖塔建立に至る高松家の歴史を叙述したもの。
同題の史料(個人蔵)が『河内どんこう 第10巻22号』【雑/2549】や『新版八尾市史 近世資料編2』【216.3/52NX/2】で紹介されているが、掲載された図版とは絵柄が異なっており、別本と考えられる。

  • 進物帳 写本 文久4年(1864)~明治4年(1871) 【文書/293】

大坂両替商殿村家(屋号:米屋)の文久4(1863)年~明治4(1871)年の進物帳。
岡藩、忍藩、新谷藩、小城藩の御屋敷などに慶弔や見舞として贈呈した進物の品物が書かれている。
表紙に終わりの年の記載がなく、また、半分近く白紙のままなので、何らかの理由で途中で記録されなくなったと思われる。

死絵は人気の高い人物が死んだ直後、その人の似顔絵に没年月日や法名、菩提寺、辞世および追善の歌句などを記して売り出されたもので、これは大阪で亡くなった八世市川団十郎(俳名 白猿)のもの。
この件は大いに話題になったので死絵も百点以上刊行された。
3点のうち、紫の着物を着て左に振り向く立ち姿の白猿を描いた画像は大阪で活躍した浮世絵師、初代長谷川貞信(文化6年(1809)~明治12年(1879))による。

大阪馬車鉄道、現在の阪堺電気軌道​上町線の阿倍野停留所付近で撮影された写真。
撮影時期は不明だが、写真上部に架線と思われるものが見られるので、明治43年(1910)の電化後の写真と思われる。
停留所を写したものというよりその後ろの人力車に乗った僧侶らの行列を写したものと考えられるが、人物などの詳細は不明。


後期展示 (令和4年9月26日(月曜日)~10月29日(土曜日))

  • 神葉薫四圓 5枚組​ 中井芳瀧画 元治2年(1865)頃 【枚/616】

中井芳瀧(天保12年(1841)~明治32年(1899))は、長谷川貞信と並び称される代表的な上方浮世絵師。中判役者絵の作品が多いが、美人画、風景画、絵入り本の挿絵、明治期には錦絵新聞も手がけた。
一見芝居絵のように見えるが、このような芝居はなく、記紀にある天岩戸の神話の登場人物を当時の役者に見立てて創作したもの。

江戸後期から明治にかけての小判の役者絵を44点貼り込んだもの。見開きで対になるようになっている。

  • 物草太郎 10冊 西州散人錯 合川みん和画 河内屋茂兵衛他 文化5年(1808)【255.5/126】

読本。御伽草子の「物ぐさ太郎」を元にしつつも、そこに宇治の悪左府が長岡王子と共謀して橘右府、深草、山蔭、北畠などの賢臣を退けるものの深草中将の息子雄武丸が物草太郎を名乗り仲間と集って悪左府を倒すという話が組み合わされ、さらに妖狐退治などの話も織り交ぜられている。

明治4年(1871)に大阪で初めて西洋風の鉄橋として架橋された高麗橋を東から写した写真。
橋を渡った西詰の南北にあった矢倉屋敷が見える。
撮影時期は不明だが、橋の上の人物に髷が見られることから、架橋後それほど経っていない時期に撮影されたものと思われる。

明治4年(1871)に開業した大阪造幣局(当時は大阪造幣寮)の写真。大川から写真、陸側からの写真、引込線の線路が写された写真がある。

市場村(現在の東大阪市)の2名の人物の所有する田地を仕分けしたもの。
所在する村ごとになっており、対象の田地は市場村の他岩田、若江、小阪、衣摺、福万寺、横小路、吉田、加納、灰塚、大蓮、水走、伊賀ケなど現在の大東市南部から大阪市生野区東部まで及ぶ。

明治25年(1892)3月20日~4月14日道頓堀角座にて、東京から尾上菊五郎(五代目)が来て芝居を行ったが、その直前の3月8日に船乗込みを行った。
当日は高麗橋の三越呉服店から北浜に出て、そこで船に乗り込み、いったん土佐堀川を東に向かい、天満市場から堂島川に入って西へ向かい、朝日新聞社や毎日新聞社で挨拶をしたのち、西横堀川から道頓堀川に入って日本橋南詰から上陸し、いくつかの芝居茶屋に挨拶をしたのち角座に入った。
本資料はこの船乗込みの開催を知らせる引札として制作されたもの。


サイネージ・パネル展示 (全期間 ただし実物の展示はありません)

文政3年(1820)9月の中座での「お染久松色読販」に取材したもの。江戸から上方へ来た五代目岩井半四郎が早替りでおそめと久松両役を演じたが、それを異時同図法で描いている。
作者の有楽斎長秀は上方浮世絵の草創期の絵師。

文政3年(1820)9月の北堀江の芝居「時再興在原景図」と角座「八陣守護城」に取材したもの。同時期に別劇場で行われた芝居を大首の1枚にまとめている。
二代目嵐吉三郎、三代目中村歌右衛門ともに19世紀初頭の上方歌舞伎で人気を二分した役者だったが享和4年以来共演がなかった。しかし、翌年に共演の約束ができていたらしくそれを記念して作成されたもの(その後吉三郎が亡くなったため実現しなかった)。
作者の北洲は葛飾北斎に入門したともいわれる大坂の浮世絵師。

表題・年などは外袋による。
絵図上に書かれた地名「堂嶋新地弐丁目」及び敷地形状から武蔵国忍藩のものと考えられるが確証はない。
雁木と納屋のある大川浜から通りを挟んで番所のある門、東側の米蔵や稲荷社、西側・北側の役所・住居として使われていた建物(2階部分は貼り込みされている)が、座敷や茶の間、庭、井戸、釜、風呂などの用途や広さなどの形状も含め詳細に描かれている。

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