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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 企画展示「子どもの本のはじまり」【解説】

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更新日:2023年11月10日

はじめに

 日本を代表する子どもの本の研究者で、IICLO(一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団)の前理事長の三宅興子さん(1938-2022)は、英語圏の児童書を中心に膨大なコレクションを所蔵されており、その大部分を、大阪府立中央図書館国際児童文学館に寄贈されました。
 本展示では、三宅興子コレクションの中でも特に珍しい、英語圏の子どもの本の源流をたどる本から、19世紀の優れた画家の絵本やしかけ絵本、シンデレラ本、人形の絵本、海外から見た「日本」を描いた児童書などを紹介します(注)。
 展示の企画は、三宅先生とともに子どもの本の研究をすすめてこられた多田昌美さん(美作大学教授)、藤井佳子さん(大阪公立大学非常勤講師)、松下宏子さん(関西大学ほか非常勤講師)と、IICLOの協力によります。
この展示をきっかけに、子どもを魅了した本とは? 子どもの本はいかに変化しているのか、子どもの本の魅力とは?などを考えていただければうれしく存じます。

※解説文中に出てくる【 】内の数字は、資料展示リストの通し番号です。

三宅興子さん

 1938(昭和13)年大阪生まれ。児童文学研究者、絵本研究者。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団前理事長、梅花女子大学名誉教授。日本イギリス児童文学会(現 英語圏児童文学会)会長、絵本学会会長、日本児童文学学会理事などを歴任。
 第四回環太平洋児童文学会議(京都大会)実行委員長を務める。また、2010(平成22)年4月から2015(平成27)年6月まで大阪国際児童文学振興財団理事長を務め、のち特別顧問となる。2019(令和元)年に世界で優れた研究者に与えられる国際グリム賞を受賞。絵本研究、英語圏児童文学研究、日本児童文学研究などを、作品研究のみならず、翻訳研究、受容研究など、幅広い視点で研究し、研究プロジェクトのリーダーとして、多くの後進を育てた。2022(令和4)年10月21日逝去。

主な著書

<単著>

『イギリス児童文学論』 翰林書房 1993年
『イギリス絵本論』 翰林書房 1994年
『イギリスの絵本の歴史』 岩崎美術社 1995年
『もうひとつのイギリス児童文学史』 翰林書房 2004年
『児童文学の愉楽』 翰林書房 2006年
『ロバート・ウェストール』 Ktc中央出版 2008年
「三宅興子<子どもの本>の研究」全3巻
 『イギリスの子どもの本の歴史』、『イギリスの絵本の歴史』、『日本の絵本の歴史』 翰林書房 2019年


<共著、編著、翻訳から>

『アメリカの児童雑誌「セント・ニコラス」の研究』
「セント・ニコラス」研究会/編 「セント・ニコラス」研究会 1987年
『児童文学はじめの一歩』 島式子、畠山兆子、三宅興子/著 世界思想社 1983年
『日本における子ども絵本成立史-「こどものとも」がはたした役割-』 三宅興子/編著  ミネルヴァ書房 1997年
『きょうはこうめのひ-梅花幼稚園絵本クラブ「こうめ文庫」活動報告書-』 三宅興子/編著 梅花女子大学児童文学科絵本研究会 2000年
『児童文学研究を拓く 三宅興子先生退職記念論文集』 三宅興子先生退職記念論文集刊行会/編    翰林書房 2007年
『大正期の絵本・絵雑誌の研究-一少年のコレクションを通して- 』 三宅興子、香曽我部秀幸/共編著 翰林書房 2009年
『こぐま社の絵本研究』 「こぐま社の絵本」研究会/編 「こぐま社の絵本」研究会 2013年
『こどもの本100問100答-司書・読書ボランティアにも役立つ-』 大阪国際児童文学振興財団/編 創元社 2013年
『バーネット自伝-わたしの一番よく知っている子ども-』 フランシス・ホジソン・バーネット/著 松下宏子、三宅興子/共編訳 翰林書房 2013年
『広島市こども図書館所蔵 ベル・コレクション解題目録』 長谷川寿美、森本和子、三宅興子/著 広島市こども図書館 2016年
『黄金時代』 ケネス・グレアム/著  三宅興子、松下宏子/共編訳 翰林書房 2018年
『イソップ絵本はどこからきたのか-日英仏文化の環流-』 加藤康子、三宅興子、高岡厚子/共著 三弥井書店 2019年
『「ひげよ、さらば」の作家 上野瞭を読む』 上野瞭を読む会/編著 創元社 2020年

1.英語圏の子どもの本の源流 その1

 三宅コレクションには18世紀後半からの英語圏の児童書が多数含まれています。三宅は早くから児童書の古書を海外から取り寄せていました。昔は実物の画像を見ることができないためカタログの記載を頼りに買うしかなく、高額なものはドキドキしながら注文していたそうです。三宅はそうやって集めた蔵書を材料に、英語圏の子どもの本の源流となる作品について論考を残しています(『イギリスの子どもの本の歴史』所収)。またIICLOなどでの講演の際には蔵書を持参し、紹介してもいました。
 現在では電子化され、オンラインで内容を見ることができるものも多いですが、実物を見て「もの」としての本の存在感を感じ、これらの本を手に取った子どもたちとその時代に思いを馳せていただけたら、そして研究資料として今後の児童文学研究に活かしていただけたら幸いです。


 『ジェシカのはじめてのお祈り』【1】は神を知らなかった貧しい少女ジェシカが牧師の教えを通じて神を知り、祈ることを知る過程の物語です。『幼い子どものための小さな物語』【2】は三宅が自身のコレクションで「一番大切な本」と評していたもので、良い子・悪い子を挿絵と共に紹介しています。『あるネズミの生涯と遍歴』【3】【4】はネズミが見聞きした人間について語る物語で、後の『黒馬物語』などにつながる、動物の体験談の初期のものです。

『幼い子どものための小さな物語 1、2、3音節のやさしいレッスン』(展示目録No.2)

 「私のもっているものの中で『時代、コンディション、蔵書票』が三拍子そろった一番大切な本でした。(また、資料的価値も高いです。)」という三宅の自筆メモと共に保存されていたものです。
 出版年は1785年頃と推定されています。当時の児童書には革装のものも多かったのですが、この本を出版したジョン・マーシャルはこのような多色の紙を装丁に用いたハードカバーの小型の児童書を出していました。
 メモにある「蔵書票」は、18~19世紀の代表的な児童書出版者の1人、ジョン・ハリスによる刊行物の解説付きカタログ John Harris’s Books for Youth 1801-1843: A Check List (1976)を著したマージョリー・ムーンのものです。
 当時の教訓色の強い作品の1例ですが、1つの章で取り上げた子どもと縁続きの子どもを次の章で紹介するといった、読み手の興味を引こうとする工夫もされています。
 巻末には広告が収録されており、『あるネズミの生涯と遍歴』【3、4】や『針刺しの冒険』【9】などの書名が見られます。

『あるネズミの生涯と遍歴』 第1、2巻 (展示目録No.3、4)

 現在親しまれている英語圏の児童文学作品はほぼ19世紀後半以降に書かれたものですが、児童書の出版史は更に100年ほど遡ることができます。「教訓と楽しみ(instruction and amusement)」は初期の児童書を語る際に用いられる言葉ですが、18世紀後半から19世紀前半に出版されたものを見ると、教訓を目的としていても読者が楽しめる工夫が凝らされ、それが後に長く楽しまれる作品につながったことがわかります。
 『世界図絵』【5】は1658年のラテン語版の英訳で、絵にラテン語と英語を添えた図鑑にも辞書にも通じるものです。『村の学校』【6】は書名の通り学校を舞台にしています。『寓話風の話』【7】(【14】は【7】の改題版)はこまどりの兄弟姉妹が子どもの類型的な性格で擬人化された、動物ファンタジーにつながる作品です。「蝶々の舞踏会」(【8】に収録)は大勢が集まって舞踏会を開く物語詩で、絵本の形で流布し、多くの模倣作を生みました。『針刺しの冒険』【9】は針刺しが見聞きした人について語る物語で、子どもの身近な「もの」が語る設定は、後の人形などが語る物語につながります。『歌 神聖なものと道徳について』【10】は詩集、『二人の姉妹』【11】は家庭物語です。『ハバードばあさんと犬のゆかいな冒険』【12】は伝承童謡を元にした教訓色のない作品で、後に多くの版が出版されています。『デイジー』【13】は警告もので、三宅は「詩集『デイジー』考-怖くておもしろい絵本の源流-」という論考を残しています。

3.宗教叢書協会(Religious Tract Society)

 宗教叢書協会Religious Tract Society(RTS)は1799年にロンドンで設立された福音主義系の宗教団体です。神の教えを説いたトラクトという簡易印刷物を発行して配布しました。1809年に子ども向けの出版を始め、ヴィクトリア朝を代表する出版社になります。
 「悪しきはじまり」【15】はチャップブックと同じ仕様のトラクトです。三宅コレクションにはRTSのトラクトが大量にあります。それに続くものとして1冊16ページのトラクト11冊を私家製本したものがあり、「森の子どもたち」に展示しています。
 【16】は1冊8ページのトラクト19冊を合本したものです。内容は宗教的な物語や伝記です。
 RTSは1824年から子ども向け雑誌の発行を始めます。その中には人気を博した最初の子ども向け雑誌である『子どもの仲間』(1824-1922)【17】があります。月刊で1ぺニー(子どものおこづかいで買える値段)です。
 RTSは雑誌と並行して小型の単行本を出版しました。多色の表紙に金文字や装飾が型押しされ、色刷りの口絵や手の込んだ挿絵が入った豪華な体裁を持つ本は、日曜学校などで、ごほうびとして配布されたようです。
 「英語圏の子どもの本の源流」にも展示しているヘスバ・ストレットン(1832-1911)の『ジェシカのはじめてのお祈り』の1866年の初版も展示しています【18】。これはRTSの単行本の中でもっともよく読まれたということです。ストレットンは『我が家のようなところなし』も書いており【19】【20】、1881年の初版とそれ以降の版を展示しています。
 RTS単行本の典型的な様式は、【21】と【22】に見ることができます。それぞれ1870年代と80年代に出版されたと考えられます。
 RTSは、少年週刊誌『ボーイズ・オウン・ペイパー』(1879-1967)を発行しました。 1885年6月6日号【23】の巻頭作品は人気作家タルボット・リード(1852-1893)の学校物語『フェルズガースのコックハウス』です。『ボーイズ・オウン・ペイパー』は、週刊をまとめた形の月刊も年刊【25】も発行されました。 少女向けには週刊『ガールズ・オウン・ペイパー』(1880-1956)が発行されました【26】。両雑誌はよく売れて、RTSの海外布教活動の資金源になりました。
 18世紀末から20世紀後半まで、RTSは印刷技術の発達と呼応しながら、子どもの本の世界を牽引しました。三宅は本格的なRTS研究を強く望んでいました。

4.「森の子どもたち」  ‘Children in the Wood’​

 この物語は‘The Babes in the Wood’というタイトルでも知られています。両親が病死した幼い兄妹は、財産をねらう叔父が雇った悪漢に連れ去られます。子どもを不憫に思う悪漢と、もう一人の悪漢が死闘し、森に置き去りにされた子どもたちは恐怖と悲しみの中で餓死します。兄妹の死体にコマドリたちが木の葉をかける最終場面が涙を誘います。
 もとはバラッドです。残存する最古はロンドンの出版者トマス・ミリングトン(Thomas Millington)が1595年に出した計160行の物語詩です。長期にわたって絵本化されました。三宅によると19世紀前半のチャップブックの大半に「森の子どもたち」が入っているということです。
 チャップブックとは16~19世紀に流布した安価な印刷物のことで、1枚の紙の裏表に印刷して折りたたみ、本の形にしたものです。
 ラッシャーとケンドリューはチャップブックを印刷した2大発行所と言えます。【27】はラッシャー版、1ペニーのチャップブックです。「森の子どもたち」の後日譚で、死んだと思われた子どもたちが実は生きていたというお話です。18ページ中7ページに木口木版の挿絵があります。
 マンチェスターで出版されたチャップブックもあります【28】。
 1830年頃には、ブロードサイドと呼ばれる、片面印刷を折って綴じた全8葉の手彩色本も出版されました【29】。「劣化しているので、コピーなどしないこと」という三宅のメモがありますが、色彩は鮮やかです。
 宗教叢書協会(RTS)も「森の子どもたち」を出版しています。展示しているのは【30】、各16ページのトラクトを11冊合本したものです。その中の「森の子どもたち」の副題は「ノーフォークの悲劇」となっていて、No. 42というトラクト番号がふられています。全ページに挿絵があります。
 トイブックにも「森の子どもたち」があります【31】。ディーン社で出版され、6ペンスで彩色されており、それがシリーズ名になっています。
 ランドルフ・コ-ルデコット(1846-1886)もこの物語の絵を描いています【32】【33】。三宅は最終場面に「静かな悲しみが漂っている」「稀有な」絵本だと評価しています。
 メルヘンタッチの20世紀の絵本もあります【34】。この本では、兄妹は天国で幸せになることになっています。
 「森の子どもたち」はアメリカでも人気を博し、出版されました【35】【36】【37】【38】。本展示では、1850年代【35】、1860年代【36】【37】、1870年代【38】を選んでいます。
 三宅は「森の子どもたち」について、「怖いもの尽くし」の一種として説明し、特に結末の子どもたちの死の描写に着目していました。

5.イソップ本​

 三宅は『イソップ絵本はどこからきたのか-日英仏文化の環流-』【39】という共同研究を行っており、イソップ本も多数所蔵していました。今回はその中からよく知られた版や、文や絵に特徴のある版を紹介します。
 英国でのイソップ本の歴史は、15世紀に英国で初めて活版印刷を行ったカクストンに遡ります。17世紀にはジョン・ロックによる『教育に関する一考察』がイソップ物語を子どもの読み物として推奨しており、17世紀末には後にエブリマンズ・ライブラリーに収録されて現代まで読み続けられるレストレインジェ版【46】(展示は19世紀のもの)が、18世紀初頭には出版から50年で10版を重ねたクロークスオール版【40】【41】(展示はいずれも19世紀のもの)が登場するなど、多くの版が出版されました。韻文を用いて物語をより印象付けようとした版【43】も登場しています。
 イソップ本は元々口絵や挿絵が入ったものが多かったのですが、印刷技術が進むにつれ、著名な画家による絵の入ったものが登場します。ここでは珍しく動物が服を着た姿で描かれているチャールズ・H・ベネット画のもの【42】、19世紀後半に動物の挿絵で定評のあったハリソン・ウィアが絵を手掛けているもの【44】、『不思議の国のアリス』のイラストも手掛けたチャールズ・ロビンソンが挿絵を描いているもの【45】を紹介しています。

6.しかけ絵本の魅力​

 三宅は、子どもがいかに本を読むかに強く関心を持っていました。それゆえ、これまであまり研究対象となってこなかったしかけ絵本を多く集め、その系譜を論じました。
 本展示では、まず、パノラマ本(Fold-Out Book、折りたたみ絵本、ジャバラ絵本とも言う)として、『戴冠式の行列』【47】を選びました。博覧会や王家の行事などでよく出版される本の一冊で、1837年に行われたヴィクトリア女王の行列になっています。広げると約3月3日mになります。
 『ゆかいな役者たち』【48】は、「しかけ絵本のアーティスト」といえる、ドイツのローター・メッゲンドルファー(1847-1925)のしかけ絵本です。ページ下のタブを引っ張るだけで、両手、眼玉、あご(歯がでてくる)、足などが動く複雑なしかけと、ユーモラスなストーリーが特徴です。
 『幼い子どもたちの楽しみ』【49】は、アーネスト・ニスター(1842-1909)の「回転方式」の絵本です。丸い型につけられた短いヒモを引くと全く異なった場面に変わるおもしろさがあります。
 『ブッカーノ童話集』No.10【50】は、S・ルイ・ジーロー(1879-1950)が作ったシリーズです。クリスマス・プレゼントとしての需要もあり、17巻まで作られました。半透明のセロファン紙で光を調節するなど、斬新なデザインと立体的で美しい場面が特徴的です。
 現代を代表するしかけ絵本として、ジャン・ピエンコフスキー(1936-2022)の『おばけやしき』【51】を選びました。「怖さ」が多様に演出され、読者を夢中にさせる作品です。

7.「シンデレラ」本​

 シンデレラは世界中で知られていますが、グリム系の物語より、ペロー系の物語が流布している点が興味深いと思います。三宅には、シンデレラに関する論文があり、コレクションにも多くのシンデレラ本が含まれています。
 本展示では、19世紀初頭の着せ替え人形の「シンデレラ」【52】、クリスマスシーズンに家族でシンデレラなどの劇(パントマイム)を見る風習を背景に、シンデレラが夜中の12時になって去っていく場面を舞台のように立体的に見せている絵本【53】、シンデレラの物語が歌になっていて楽譜が付き、絵は金箔が使われている絵本【54】を展示しています。また、体格がしっかりして、片方の足は靴がないシンデレラが描かれた本もあり【55】、その本には絵を見てアルファベットの一文字から始まる言葉を当てるパズルや、「長靴をはいた猫」、音楽にあわせて10人の兵隊が一人ずつ減っていく遊び歌なども掲載されています。
 19世紀の絵本からは、ディズニーの「シンデレラ」のイメージとは異なるシンデレラの絵が数多く見られます。
 「シンデレラ」は現代も、さまざまな形で語り継がれており、『シンダー・エリー ガラスのスニーカーをはいた女の子』【56】は、家族から大切にされていないエリーが、バスケットボール選手と恋に落ちる物語で、『エラの大きなチャンス 語りなおされたおとぎ話』【57】は、洋服屋の娘エラが公爵に見初められたにもかかわらず、彼女を支え続けてくれたドアマンの青年と結婚する物語です。

8. 子どもの本に描かれた人形たち

 三宅は早くから英国の人形の物語に関心を持っていて、子ども部屋の文化の一つの系譜として論じました。人形の物語は、多文化紹介の役割と、ごっこ遊びによる人生のシミュレーションの役割を果たしていると考察しています。コレクションのなかにも19世紀末から20世紀にかけて英国で出版された人形絵本が多数あり、そのなかには英国の人形のほかにフランス人形、オランダ人形、日本・中国・韓国などの人形、水兵や兵隊の人形が登場します。
 本展示では、人形をお風呂に入れたり、着替えさせたり、結婚させたりする物語【58】、日本人形の型抜き絵本【59】、日本人形が英国の人形に恋をして求愛する絵本【60】を展示しています。また【61】は、人形たちがホームパーティを楽しむ絵本で、水兵の人形と日本人形がヒロインの人形を奪い合うような場面もあります。アーネスト・ニスターが出版した非常に美しい絵本で、三宅は、こんなにきれいなのは「Rare(珍しい)」というメモを残しています。
 E・ネズビットの文で、5人の人形が家出して冒険する『5人の反抗的な人形のお話』【62】や、おもちゃ屋でクリスマスツリーの妖精に生命を吹き込まれた人形たちが、踊ったり、自動車でドライブに出かけたりして、楽しい時間を過ごす『踊る人形』【63】もあります。『ヴィルヘルミナ、オランダ人形の冒険』【64】は、船便で英国に来たオランダ人形が、裸で辛い思いをした後に結婚して、月光の妖精の操る木靴の形の船で帰国し、人形の家で幸せに暮らす物語です。『かわいそうな愛しの人形たち』【65】は、布絵本で、三宅は「人形絵本の大珍品。人形がこわれたり、行方不明になる「あるある」を扱っている」というメモを付けています。この中で行方不明になるのは日本人形です。『人形の一生』【66】は、宗教叢書協会(RTS)の出版で、大きな家で苦労した人形が、質素だけれど愛情のある家で幸せに暮らします。『ジョセフィーンとその人形のお話』【67】は、兵隊の人形を戦争に送り出したり、病院ごっこや学校ごっこをしたりする物語で、第一次世界大戦の影響が見られます。『二つのオランダ人形の冒険』【68】は、黒人の人形であるゴリウォグ人形が人気となったシリーズの第1巻です。ゴリウォグとオランダ人形や、様々な国の人形がペアになって、一緒にダンスを踊る場面があります。
 こうした人形を描いた子どもの本には、人生の困難や人間の感情が映し出されています。これらの豊かな作品群が、ルーマー・ゴッデン(1907-1998)の『人形の家』(1947)などに繋がっていったと思われます。

9.イギリスの絵本作家たち その1​

 アルフレッド・クロウクィル(1804-1872)は「パンチ」誌の画家の一人でした。2年で「パンチ」誌をやめたあと、多数の絵本を出版しました。特徴であったグロテスクさは子どもの本では弱められていますが、表情に富んだ絵は表現力豊かです。
 本展示では『童謡集 第3巻』【69】を選びました。英国伝承童謡の絵本で、黒色の背景にキャラクターが浮き上がるように描かれています。有名な「ヘイ・ディドル・ディドル」は、狡猾な眼差しのネコが印象的で、踊る犬にも躍動感があります。ヴァイオリンの前後に細い線が描かれていますが、三宅はこれを「ヴァイオリンの音色が「見える」絵」(『もう一つのイギリス児童文学史』)と評しています。
 英国を代表する挿絵画家の一人であるウォルター・クレイン(1845-1915)は、多数の美しい色彩絵本をつくりました。本展示では、『くつ二つちゃん ウォルター・クレインの大型絵本シリーズ』【70】を選びました。『くつ二つちゃん』は、三宅が注目していた物語で、1765年に出版されてから20世紀に入っても読まれていました。三宅は、その理由を、絵本という短い形になったためと分析しています。中央見開き全面をつかった図版のページは、知識があり動物に好かれるくつ二つちゃんが魔女ではないかと疑われて、調査官がやってきた場面を描いています。

10.イギリスの絵本作家たち その2

 三宅は、これまであまり研究対象になってこなかった挿絵にも関心を持っていました。ヴィクトリア時代の挿絵画家E.V.B.(Eleanor Vere Boyle, 1825-1916)に注目して、イニシャル名で活躍したイギリスの女性挿絵画家の先駆者として評価しています。自然のなかにふっくらとした幼子を置いて描く手法が独特で、三宅は3巻本の研究書の表紙絵にもE.V.B.の挿絵を用いています。
 本展示では、『続 子どものあそび』【71】を選びました。英国伝承童謡の画集で、絵の中に詩が手書きされており、16枚のカラー図版があります。カッコウの唄のページでは、上部手前の枝の中にカッコウを配し、その下にふくよかな猫と赤いケープを纏った幼子、遠方に風景を描いており、奥行きのある印象的な構図となっています。
 ヴィクトリア時代を代表する挿絵画家の一人のケイト・グリーナウェイ(1846-1901)も、魅力的な幼子を描きました。古風な衣装を身につけた幼子を精緻なタッチで描いた絵本は、今日まで長く愛されています。
 本展示では、『子どもの一日』【72】を選びました。愛唱歌の画集で、朝起きるところから寝るまでを歌った9曲が、楽譜とともに美しい花に飾られて描かれています。三宅は、「美本」と書いたメモをつけています。

11.子どもの本に描かれた日本

 三宅は、英米で出版された子どもの本がどのように、他国について表現してきたのかに、関心を持ち続けました。「イメージの伝播、変通のなされかた」から、文化への偏見、あるいは理解を阻むものがどのように生じるのかを見ることができると考えていました。日本や日本人が描かれた子どもの本の膨大なコレクションから3冊を展示します。
 『日いずる国』(1896)【73】では、オランダ人形と日本人形を持つ金髪の巻き毛の女の子が、夢で月に行ったり、中国風の日本を訪れたりします。4行連句の心地よい詩による描写があります。
 フローレンス・ケイト・アプトン(1873-1922)著『ゴリウォグの自転車クラブ』(1896)【74】は、計13巻のゴリウォグシリーズ中の第2巻です。黒人人形ゴリウォグとオランダ人形が自転車で世界を回ります。計63ページ中、日本の描写は8ページあり、芸者、富士山、人力車という、当時の典型的な日本のイメージが描かれています。
 ヘンリー・メイヤー著『ある日本人形の冒険』 (1901)【75】は日本人形が世界を巡る、ゴリウォグとは逆のパターンです。字と絵のあるページの裏は印刷がありません。コウノトリとともにアフリカやアメリカ、ヨーロッパを旅する日本人形、父である人形細工師の名前はチン・リン、チュン・ワーと中国風ですが、日本画を思わせる美しい絵が描かれています。

12.日本を紹介する絵本

 三宅は「絵本にみられる「世界」というテーマは、20世紀前後に出版された絵本の新しい題材」になったと述べています。20世紀前半までに出版された、世界に日本を紹介する絵本を並べました。
 『世界の赤ちゃん』【76】は1909年頃の出版だと考えられます。計24か国の赤ちゃんが紹介される中で、最初に‘American-Negro Baby’、黒人の赤ちゃんが描かれ、日本は20番目ですが、表紙と表題紙は日本の赤ちゃんです。おんぶの習慣や、叱られず育てられること、肌が黄色で頭のてっぺんが剃られていることなどが、絵と詩で紹介されています。
 ABC絵本【77】はリアルな日本の子どもたちが、日本の風習とともに描かれています。
 『桃太郎ほか 日本の昔話』(1928)【78】は日本の昔話を集めた絵本で、おおむね正確に描かれています。表紙になった「桃太郎」と「舌切り雀」をご覧ください。
 八島太郎(1908-1994)と八島光(1908-1988)著『道草いっぱい』(1954)【79】はニューヨークで出版されましたが、八島が小学校時代に見た日本の大人たちの仕事や風土がいきいきと描かれています。「世界の中の日本」というテーマを体現するものとして、この項に分類しました。

13.子どもの本の作家との交流(手紙類)​

 三宅は、多くの子どもの本の作家や研究者たちと交流があり、多くの手紙類が残っています。ここでは、その一部分を紹介しています。
児童文学作家では、現代日本児童文学の礎を築いたとも言える人たちとの交流がわかります。関西では今江祥智(1932-2015)や上野瞭(1928-2002)、東京では石井桃子(1907-2008)、古田足日(1927-2014)などを展示しています。作家・翻訳家であり、三宅の大学の先輩にもあたる渡辺茂男(1928-2006)、翻訳家で小説家、評論家であった高杉一郎(1908-2008)とも深い交流がありました。
 また、詩人のまどみちお(1909-2014)、作家の中川李枝子(1935-)、画家の長新太(1927-2005)、田畑精一(1931-2020)、哲学者である鶴見俊輔(1922-2015)等の書簡や葉書も残っています。
 関西在住の作家今関信子(1942-)、あまんきみこ(1931-)の手紙も数多くあり、あまんは、晩年の三宅と毎週電話で話していました。
 海外からの手紙の中には、展示にあるように、「グリーン・ノウ」シリーズのイギリスの作家、ルーシー・M・ボストン(1892-1990)からのものもあります。
 これらの書簡からは、三宅が国内外の作家や研究者と密に連絡をとりながら、研究をすすめてきたことがわかります。

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