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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 資料展示「ハイジと妖精の国 スイスの子どもの本-日本・スイス国交樹立150周年記念-」 解説

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更新日:2014年9月24日


1.はじめに

2014年はスイスと日本の国交樹立150周年です。
これは、1864年2月6日、第14代将軍徳川家茂(1846~66)とスイス連邦との間で最初の修好通商条約が締結されたことを記念しています。
日本で、スイスの子どもの本と言えば、まず、多くの方が『ハイジ』を思い浮かべられることでしょう。また、妖精の絵が魅力的なクライドルフの作品を思い起こされる方もいらっしゃるかもしれません。
他にも『こねこのピッチ』のフィッシャーや『ウルスリのすず』のカリジェ、『にじいろのさかな』のフィスターなど、美しいアルプスの風景や動物たちの姿を描いた日本で人気の作品も多く出版されています。
本展示では、これらの日本になじみの深いスイスの作家の子どもの本とともに、スイス児童文学賞を受賞した斬新な絵本作品も紹介します。
子どもの本を通した「スイス」をお楽しみください。

2.ハイジに出会おう

ヨハンナ・シュピーリ(1827~1901)が書いた『ハイジ』は、1880-81年にスイスで出版されました。

孤児のハイジがアルプスの山に住む遠い親戚のがんこ者のおじいさんの家に預けられます。ハイジは羊飼いのペーターと友だちになり、毎日を楽しく過ごしていますが、おばさんがクララという足の不自由な少女の世話をするためにハイジをドイツのフランクフルトのお屋敷に連れ去ってしまいます。ハイジはアルプスの山々が恋しくて夢遊病になり、おじいさんの元へと帰され、後にクララもやってきて、自分の足で歩けるようになります。

日本では、アニメーション「アルプスの少女ハイジ」(高畑勲演出、宮崎駿場面設定・場面構成、小田部羊一キャラクターデザイン・作画監督)が有名ですが、日本に最初にハイジが紹介されたのは、1920年で、訳者は野上弥生子で英語からの重訳でした。1925年には『楓物語』(山本憲美訳、福音書館)【当館未所蔵】(注)というタイトルで出版され、ハイジは“楓”に、ペーターは“弁太”になっています。

スイスやドイツでも数多くのハイジが出版されており、さまざまな挿絵が付されています。

(注)国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。

3.古典的なスイスの絵本から クライドルフ、ラワタ

ドイツ語圏での近代絵本の創始者と言われるエルンスト・クライドルフは、1863年にスイスのベルンで生まれました。中学校を終えると石版印刷工になり、自分で学費を工面してミュンヘンで美術を学びました。1894年、31歳のとき、『花のメルヘン』を描き始め、1989年に石版リトグラフの絵本として出版され、大成功を収めました。それから『くさはらのこびと』『バッタさんのきせつ』など、美しい自然に息づく花の妖精や虫などの小さき者たちを描いた絵本を作り続けます。1956年スイスのベルンで93歳でなくなりました。

斬新で画期的な昔話絵本を創作したW.H.ラワタは、1913年にスイスのチューリヒ州、ヴィンタートゥールで生まれ、昨年生誕100年を迎えました。生まれてから9年間はモスクワやアテネで暮らしましたが、故郷に戻り、チューリッヒの芸術学校でグラフィックアートを勉強しました。そして、1937年にチューリッヒにスタジオを開設し、スイス銀行のロゴなどをデザインしました。1962年に『ウィリアム・テル』を線や記号だけを使ったジャバラ折りで絵本で作り、同じ形態で『白雪姫』『うらしまたろう』『あかずきん』などの絵本を作り、その斬新さは現在でも高く評価されています。

4.日本に紹介されたスイスの絵本作家たち (古典編):カリジェ、フィッシャー、ホフマン

 クライドルフより後に生まれたスイスの絵本作家の中で、アロイス・カリジェ、ハンス・フィッシャー、フェリックス・ホフマンは日本でも人気の高い作家です。

アロイス・カリジェは、1902年、アルプス山脈の中にあるロマンシュ語を話すトルン村に11人の子どもの7番目として生まれ、9歳の時、クールというドイツ語の町に引っ越します。州立高等学校を中退後、装飾画家の見習いになり、1923年にチューリッヒの広告会社に就職、退職してグラフィックの会社を立ち上げます。そして幼稚園教師ゼリーナ・ヘンツの依頼によって1945年『ウルスリのすず』が初めての絵本として出版され、人気を博しました。日本では『アルプスのきょうだい』(1954年、岩波こどもの本)が最初に紹介された絵本です。カリジェは1966年に世界で最も優れた子どもの本の作家に贈られる国際アンデルセン賞を受賞(第一回)しました。カリジェの作品は、アルプスの風景の中で生まれ育ったからこそ描ける自然や、そこで暮らす人々の様子が魅力的です。

ハンス・フィッシャーは1909年、スイス・ベルンに生まれ、ジュネーヴの美術学校で装飾画を、チューリッヒ芸術学校で版画を学びます。1931年から1年間パリの広告会社で働きながら勉強し、ベルンに戻って舞台美術やショーウィンドウの飾りなど美術にかかわるさまざまな仕事をします。その後、雑誌に風刺画を描いたりし、1944年、長女ウルスラのために初めての絵本『ブレーメンのおんがくたい』を作ります。それからは、『たんじょうび』『こねこのぴっち』『るんぷんぷん』などの絵本を制作し、1958年90歳でなくなります。流れるような線から個性ある動物や人間たちが浮き上がり、動き出すように表現されるフィッシャーの絵は「物語る絵」の手法としてふさわしく、世界で長く読み継がれています。日本で最初に紹介されたのは、『こねこのぴっち』(岩波子どもの本)でした。

フェリックス・ホフマンは1911年、スイス・アーラウ市に生まれ、ドイツの美術学校で木版とイラストレーションを学びました。1932年には子どもの本の挿絵を描き始め(本のタイトルは『聖夜』)、1935年からアーラウで中学校の美術教師を26年間勤めました。初めての絵本は1949年に出版された『ラプンツェル』で、四色手刷リトグラフでした。その他にも『七羽のからす』等が出版されました。日本では『おおかみと七ひきのこやぎ』(福音館書店、1967年)が初めて紹介された絵本です。ホフマンの絵はもともと自分の子どもたちのために作られた絵本です。存在感のある温かい人物の描かれ方に特徴があります。

5.日本に紹介されたスイスの絵本作家たち (現代編):ミュラー、ベント、フィスター

カリジェたちの後に日本に紹介された絵本作家には、イエルク・ミュラー、ケティ・ベント、マーカス・フィスターなどがいます。

ミュラーは1942年、スイス・ローザンヌ生まれ。チューリッヒとビールの工芸学校で絵画を学んだ後、広告代理店で働き、独立しました。『うさぎの冒険』(すばる書房、1978年)や展示作品である『ぼくはくまのままでいたかったのに……』など、繊細でシュルレアリスム的な手法で描いた絵が登場人物の心理描写や風景から読み取れるメッセージを巧みに表現しています。

ベントは、1942年、スイス・オルテン生まれ。グラフィック・デザイナーとしてパリやチューリッヒで仕事をしたのち、子どもの本の挿絵作家になります。繊細な線が重なりあって描かれる風景は美しさと不気味さを合わせ持っており、風景の中に妖精が登場しても全く違和感がありません。

マーカス・フィスターは1960年、スイス・ベルンに生まれ。ベルンの美術工芸学校で学んだ後、グラフィック・デザイナーとして1981年~83年まで働きました。日本では、「にじいろのさかな」(講談社、1995年から刊行中)シリーズが人気を博しています。ペンギンピートやにじいろのさかななど、親しみやすいキャラクター作りが特徴的です。

6.現代のスイスの絵本

スイスには、ヨハンナ・シュピリ財団が運営するスイス児童メディア研究所(注)があり、スイス児童・青少年メディア賞を隔年で授賞しています。

今回は、2000年以降の受賞作品の中からユニークな作品を選んで展示しています。その中には、ドーデの古典的作品「スガンさんのやぎ」の絵本化(La Chevre de Monsieur Seguin、スガンさんの家のやぎが山へ逃げ出して自由を味わうが、狼に襲われ、闘いながらも最後は狼に倒されてしまう)や、家の上に家がどんどん建っていく『高層ビル』(Les Gratte-ciel)、何か「大きく感じられるもの」を探している男の子と見かけが大きいものを探す大人との関係を描いた『大きいもの』(Quelque Chose de Grand)、男の子が毛糸の糸をたどって月や太陽によりよいものを求めて旅する『世界のおとぎばなし』(Das Märchen von der Welt)などがあります。

注:2002年にスイス国立児童文学研究所とスイス児童文学連盟を統合して設立されました。スイス国内の児童書を収集している図書館も併設し、読書推進、児童文学研究を促進しています。(国立国会図書館国際子ども図書館のHPより)

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