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第42回大阪資料・古典籍室1小展示
平成13年4月17日(火)〜6月9日(土)


平成12年度新収資料展





中之島図書館では、日々出版される新刊書と共に、いわゆる古書も収集しています。
今回は、12年度に購入した資料のなかから、その一部を紹介します。



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(期間前半の展示資料)


狂哥活玉集(きょうかいくたましゅう) 上 貞峨庵法教契因(紀海音)編 元文5序刊     229.3-386

由縁斎貞柳の七回忌にあたり、実弟契因の発起により、追悼の釈教歌を集めたもの。巻頭に由縁斎狂歌犬百人一首(小倉百首狂歌)を掲げ、次に七回忌追悼月並釈教之狂歌と続く。作品は「笹かたげ通る人こそ一日ハあくまで酒に戎三郎」(十日戎)など平易な風が多く、当代の風俗を窺う資料でもある。



青陽帖  屋烏(三世八千房)編  大阪 松井忠蔵刊     226.3-576

屋烏(三世八千房)が、二世八千房の古希を祝って編纂したもの。八千房・屋烏井眉・奇渕等の作品が収められている。二世八千房は文化12年(1815)正月74歳で亡くなった。
柿衞文庫の目録に同書名の安永3年版(一世八千房編)・享和3年版(二世八千房編)・文化3年版(二世八千房編)の作品がみられる。



万家人名録拾遺  上・下 放雀園長斎編 長山孔寅等画 文政4年跋刊     226-78

「万家人名録」の続編



半可山人詩鈔 上・下 半可山人(植木玉崖)著  写     229.2-86

江戸時代の末期を代表する名作狂詩集。南木文庫旧蔵。



冠付 四季の花  月編  嘉永4年刊     226.8-50

浪花の冠附点者達の住居、庵号等を詳しく記し、当時流行高点の句を収め、児女子用に絵を付す。



文鳳画譜 (914-512)・文鳳山水遺稿 (914-510) 河村文鳳著

河村文鳳は京都の人、画を岸駒に学びまた諸家にも出入りし一家をなした。筆力雄偉、人物画・山水画に長じた。



大阪浪花橋大からくりの図  長谷川小信画 板元:いし川     枚215

大新板切組とうろう。関西では立版古ともいう。



瓦版 大地震大津波 木版刷 無彩色     枚216

摂州・大坂・泉州・河内・大和・紀州大地震大津波−都合五ケ国
嘉永七年十一月五日夕方七ツ半時に起こった大地震と、同暮六ツ時の大地震並びに大津波の際の大阪湾を中心とした各地の様子を描いた作品。



大坂登り嵐璃寛御見得口上 豊原国周筆 東京 山本平吉 明治14年刊     枚218

嵐璃寛・片岡我童・中村時蔵・沢村田之助等7名の歌舞伎役者を描いた作品。



住吉詣狂歌集 (上・中・下合冊) 窓廼屋編 天保5年刊     229.3-390



俳諧絹はかま(別名:俳諧絹袴集)元禄14年 大坂 書林刊     226.8-52



月の瀬遊記「伊勢拙堂先述梅渓遊記」付 井上唯中著 文久2年 写本     223.6-150

井上唯中(掬の舎の主)と廣孝の二名が、大坂から月の瀬の梅見に出かけた際の紀行文。道中の地名と里程、更には二名の句と彩色画入り
付録の「伊勢拙堂先述梅渓遊記」は、刊行迄に約20年を要した拙堂の有名な紀行文「月瀬記勝」の版本に比べ、図・本文の一部(記三の半分近く)と付録を欠くほか、本文にも異同がみられる。



三府役者顔似世大見立 笹木芳瀧画  八尾善板     枚221



泉州信田白狐伝 誓誉撰  宝暦7年刊     255.6-224

説教の材とした仏教長編説話の一つで、葛の葉の白狐伝説と天文道の伝来を、物語化したもの。



阿ふむ石  豊国画 天保12年刊     971-188

歌舞伎の名ぜりふ集。江戸では延宝頃から「台詞尽し」が発行され、以降盛んになったが、安永年頃から「おうむせき」の刊行をみるに至った。
本書は安政5年の「五人男五人女つらね」をはじめ、同6年『妹背山女庭訓』の「あふむせき」等13点が収載されている。



四季乃松島 〔長谷川〕貞信画  刊  彩色     578-136

大阪松島遊廓東京樓の外観・廓内図・新曲”四季の松島”芸妓名等収載。




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(期間後半の展示資料)


万代実録  天正19年〜文政8年  写     325.5-70

東都神社仏閣年行事・下総舟橋神明宝物書抜・吉祥寺御由緒明細書・大坂御城在勤中書留・東都四ツ谷敵討実録(天正19年〜文政8年写し)の5作を収める。



大平螂斧談  天保8年3月17日  覚斎竹尾次春写     325.6-82

天保8年2月19日に大坂でおきた大塩の乱に関する一連の資料を収める。



聚珍画帖 上・中・下  石川大浪(薫松軒)著 享和3年刊     914-516

石川大浪は宝暦12年(1762)年生、文化14(1827)年没。大田南畝同様、幕臣の身でありながら、文化人として活躍、洋風画を能くし、大田南畝、大槻磐水、谷文晁などと交流があった。本作品は狩野探幽の画を縮模したもの。



かひあわせ  南井編  長山孔寅等画     226.3-568

奇淵の六十才の賀に寄せ、南井(東都の僧)が一集をものしたものに、長山孔寅、長春、嘉言等の絵をふしたいわゆる絵俳書。



俳諧浪花杖  素外序  下物編     226.3-570

浪花の各名所に句をそえた絵俳書。茶臼山・座磨社・住吉社・高津社等の名所、住吉新家のごろごろせんべい店・天下茶屋ぜさい店・浮瀬の鮑の杯等の名物が挿絵として描かれており、名物・名所の案内にもなっている。



近世名家詩鈔 上・下  長谷川子肇編 安政7年刊     237.2-194

森立之旧蔵本、柴邦彦・頼惟完・松崎慊堂・市川米庵・大槻盤渓等の詩を収める。



浪華之紀行  松風軒主  慶応2年写     223.6-148

笠間藩主牧野越中守が大坂城代を命ぜられた為、前任者吉田藩との打ち合わせに一足早く浪華へ出立した松風軒主の、旅立ちから無事御用済にて笠間へ帰る迄の紀行文に道中の写生図・歌を添えたもの。



現故漢画名家集鑒  東都 長島畏三編 安政5年刊     914-522

絵画の人名録で、大坂の画家は木村巽斎・金子雪操・岡田米山・岡田半江・与謝蕪村・十時梅崖・浜田杏堂・貫名海屋等の名が見られる。



浪花繁栄見物独案内 暁鐘成撰・画 弘化2年(1845)刊  彩色     枚219

「此余風流の茶店新規の酒亭に見世物等あまたありといへども、事しげくして・・・・其大概をあらハすのミ 悉ハ近日繁栄記をあらハしこゝに洩たるも不残加へ出板・・・」とあり、寺社を始め当時の名物−料亭トカク・松の尾・浮ム瀬、早竹虎吉の軽業、薬のぜさい・ウレヤス、梅やしき等々−地図の様相を呈している。
鐘成の浪花の繁栄を描いた作品としては、『浪華の賑ひ』暁晴翁著・松川半山画がある。



[浪花天保山入船亭口上]  刊  彩色     枚220

江戸末期に天保山にあった料亭入船亭の引き札。
大坂湾には、「身を尽くし」とかけて和歌にも詠まれて親しまれ、大阪市の市章にもなった澪標がみえる。
   ☆澪標:通行する船に通りやすい深い水脈をしらせるために立てた杭

わびぬればいまはたおなじ難波なる身をつくしてもあわむとぞ思ふ



曽我廼家五郎芝居番付     775.2-32N

明治10年堺の生まれで、曽我廼家十郎と共に、喜劇界に大きな足跡をのこした曽我廼家五郎一座の舞台プログラム集。
曽我廼家五郎による大阪喜劇「五郎劇」は、明治から昭和期の渋谷天外、藤山寛美による「松竹新喜劇」へと続く笑いの系譜の出発点ともいえる。



プ−ルサイド小景 庄野潤三著 牧羊社 昭和48年刊  限定署名本500部     ア1-155N

庄野潤三は大阪の生まれで、庄野英二の弟。安岡章太郎・吉行淳之介等と共に第三の新人と呼ばれた。『プ−ルサイド小景』は、第32回芥川賞を受賞した作品。



深田直城肉筆絵手本 深田直城絵     721.9-408N

深田直城(ふかだちょくじょう)は文久元年(1861)膳所生まれ。森川曾文に師事し、四条派を学んだ。 明治15年第一回内国絵画共進会に入選、同17年受賞し画家として認められた。 京都の画学校で教えた後、同19年大阪に移った。四条派の画家中川芦月と双璧と称された。昭和22年86歳没。



完瑛画譜  全 西山完瑛(謙一郎)著  刊  色刷り     721.6-8N

西山完瑛は西山芳園の男。天保5年(1834) 生まれ。父親に画法を受け、写生の奥義を究め、人物・花鳥を得意とした。儒学を後藤松陰に学び、主に北浜に居住、弟子も多かった。明治30年63歳没。
西山芳園 : 画家。文化元年大阪生まれ。京都に登り松村景文に師事、四条派の秘奥を究めた。大阪に戻り浮世小路に居住、人物と花鳥の第一人者となり、近世浪華画壇の名手と称された。