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【資料展示】小展示「黒崎義介の童画」展示資料一覧

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更新日:2025年6月27日

国際児童文学館の小展示「黒崎義介の童画」の展示資料一覧です。

展示資料一覧

1.昔話

  タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
1 ももたろう (講談社の年齢別絵本 3-5才 5) 黒崎義介/絵 神戸淳吉/文  大日本雄弁会講談社  1957 N57…./2-B-5 
2 桃太郎(講談社の絵本 ゴールド版 7-Ⅲ上 ) 黒崎義介/絵 福田清人/文  講談社 1964.7 N590201/2N/7<い> 
3 一休さん (講談社の絵本・ポケット版  4 ) 徳永寿美子/文 黒崎義介/絵  講談社 1976.10 N761020/4-4/2
4 はなさかじいさん(光文社の動く絵本  23 ) 黒崎義介/絵 坪田譲治/文 木山木呂古/工作  光文社 1958 N57 0000/4-23
5 つるの恩返し :日本民話 (講談社のマザー絵本 5 ) 有吉佐和子/文 黒崎義介/絵  講談社 1964.4 N631205/2-5 
6 キンダーおはなしえほん 1集2 ないたあかおに 浜田広介/文 黒崎義介/絵  フレーベル館 1968.2 PBJ/395N/1(2)
7 キンダーブック [再刊] 観察絵本 14集9編 うりこひめ 浜田広介/文 黒崎義介/絵  フレーベル館 1959.12 PBJ/376N/14(9) 

2.子どもの情景(夏)

 
  タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
8 コドモノクニ 15巻7号   東京社 1936.6 BC_KOD/24/15-7
9 ムシノウタ (六・七歳絵本 [3] ) 藤井樹郎/童謡 黒崎義介/画 童画書房 1941.7 N410730/1-(3)
10 ボクトポチ 黒崎義介/画・文 昭和出版 1943.1 N430130/4/3
11 ポチ 1 (主婦之友絵本 ) 黒崎義介/画 本郷保雄/編輯 主婦之友社 1946.1 N460125/2-1
12 オマツリ (主婦之友の絵本 ) サトウ・ハチロー/詩 クロサキヨシスケ/絵 主婦之友社 1946.1 N460125/1
13 チャイルドブック 16巻8号 プチのおはなし サトウ ハチロー/文 黒崎義介/え 国民図書刊行会 1952.8 PBJ/61N/16(8)
14 幼年えほん 2巻8号 うれしいなつ 黒崎義介/表紙画 新生閣 1949.8 PBJ/947NX/2(8)
15 ひかりのくに 4巻6号    昭和出版 1949.6 PBJ/261N/4(6)

3.子どもの情景(冬)

 
  タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
16 子供のまつり (ヨシスケヱ本 No3) くろさきよしすけ 文化建設社 1947.6 N470615/3-3
17 ひかりのくに 3巻1号 特集・ゆきとこおり   昭和出版 1948.1 PBJ/261N/3(1)
18 幼年えほん 2巻12号 メリークリスマス   新生閣 1949.12 PBJ/947NX/2(12)
19 ひかりのくに 7巻12号 ふゆがきたから   昭和出版 1952.12 PBJ/261N/7(12)
20 ひかりのくに 8巻1号 たのしいしょうがつ   昭和出版 1953.1 PBJ/261N/8(1)
21 キンダーブック [再刊] 観察絵本 13集10編 ゆうびん   フレーベル館 1959.1 PBJ/376N/13(10)
22 キンダーブック4~5才用 3集10編 きもの   フレーベル館 1967.1 PBJ/381N/3(10)

4.装幀・挿画(童話集と外国のお話)

 
  タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
23 水谷まさる 特選童話 2年生の巻 水谷まさる/著 黒崎義介/装幀・挿画 金の星社 1938.7 N380705/3-2/6
24 おじいさんとくま(ひろすけ家庭童話文庫 2) 浜田広介/著 黒崎義介/そうてい・さしえ 主婦之友社 1951.4 N510430/1-2
25 みみずくとお月さま(ひろすけ家庭童話文庫 3) 浜田広介/著 黒崎義介/そうてい・さしえ 主婦之友社 1951.9 N510430/1-3
26 ねずみとせん人(ひろすけ家庭童話文庫 4) 浜田広介/著 黒崎義介/そうてい・さしえ 主婦之友社 1951.11 N510430/1-4
27 カメレオンの王さま(ひろすけ家庭童話文庫 6) 浜田広介/著 黒崎義介/そうてい・さしえ 主婦之友社 1952.1 N510430/1-6
28 ドリトル先生アフリカ行  再版 ロフテイング/著 井伏鱒二/訳 黒崎義介/装幀・挿絵 フタバ書院成光館 1941.12 N411215/6/2
29 おやゆびトム (あおぞらえほん・名作シリーズ 1) 楠山正雄/編 黒崎義介/絵 井口文秀/構成 小峰書店 1948.1 N480105/2-1
30 イソップ絵話 (講談社の絵本[第2期] 37) 黒崎義介/絵 八波則吉/文 高村重惟/編集 大日本雄弁会講談社 1950.8 N49…./2-37
31 クオレ物語 (世界名作全集 13)  再版 池田宣政/著 アミーチス/原作 黒崎義介/表紙 大日本雄弁会講談社 1951.3 N500630/1-13/2
32 ピーター・パン (世界名作童話全集 22) ジェームス・バリ/作 北川千代/編著 黒崎義介/絵 大日本雄弁会講談社 1951.10 N501005/1-22
33 きんのがちょう (トッパンの愛児えほん 114) 黒崎義介/絵 山本栄/文 小高龍治/編集 フレーベル館 [不明] Q/386-114
34 ひかりのくに 6巻10号 くだものとやさいのおはなし   昭和出版 1951.10 PBJ/261N/6(10)

 

5.その他(戦争・コグマ・こびとといもむし)

  タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
35 童画報告 軍艦旗の行くところ 改訂版 黒崎義介/著 フタバ書院 1941.9 N410930/1
36 ミナミノコドモ 窪田文雄/文 黒崎義介/画 小学館 1943.3 N430330/4
37 コグマノカックゥキ 秋村童二/文 黒崎義介/画 国民社 1944.10 N441020/4
38 コグマノジープ クロサキヨシスケ/著 自然社 1947.5 N470510/5
39 小人といも虫(ヨシスケヱ本 No2)  再版 くろさきよしすけ/絵 肥塚あきら/原作 文化建設社 [不明] N470615/3-2/2
40 別冊キンダーブック 物語絵本 2(3) 秋の号  こびとといもむし 肥塚章/文 黒崎義介/え フレーベル館 1962.9 PBJ/391N/2(3)
41 キンダーおはなしえほん 6集4 こびとといもむし 肥塚章/作 黒崎義介/絵 フレーベル館 1972.4 PBJ/395N/6(4)
42 小人といもむし(かみしばい 幼児童話傑作選) 肥塚彰/原作 長崎源之助/脚色 黒崎義介/画 教育画劇 1965.9 HA/1697

国際児童文学館入口ケース

  タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
43 ももたろう (講談社のたのしい絵本) 黒崎義介/絵 神戸淳吉/文 講談社 1960 N600000/1
44 花のこども(主婦之友の絵本 11) くろさきよしすけ  石川数雄/編輯 主婦之友社 1947.12 N471205/4-11
45 ピーター・パン(小学館の幼年文庫) 奈街三郎/文黒崎義介/画 武井武雄/装本 小学館 1956.4 N531220/1-29
46 コドモノクニ 15巻10号    東京社 1936.8 BC_KOD/24/15-10
47 ひかりのくに 7巻9号 あきのむし   ひかりのくに昭和出版 1952.9 PBJ/261N/7(9)

 

 

解説

黒崎義介年表

1905(明治38)年3月25日、長崎県平戸の醸造醤油家に、兄5人、弟3人、妹1人の10人きょうだいの6男として生まれる。
1923(大正12)年中学を中退。(18歳)
1926(大正15)年上京して川端画学校日本画部に入り、8か月で卒業。(21歳)
1927(昭和2)年中央美術展に「鞠つき」を出品、入選する。(22歳)
1928(昭和3)年宝文館、講談社などの読物に、挿絵を描くようになる。(23歳)
1929(昭和4)年鈴木仁成堂の赤本に絵をつけるようになる。(24歳)
1931(昭和6)年童画家として『オハナシノクニ』『児童文学』(文教書院)の編纂に参加。
川端画学校ではライバルであった時子夫人と結婚。(26歳)
1933(昭和8)年学校美術協会に1年間勤務し『略画事典』『曼画事典』など執筆。
日本画家としての制作は続くものの、「僕の全生命は童画である」と宣言。(28歳)
1934(昭和9)年新ニッポン童画会に参加。(29歳)
1936(昭和11年)以降『コドモノクニ』『コドモアサヒ』『チャイルドブック』『キンダーブック』『ひかりのくに』等に作品を提供。『講談社の絵本』、小川未明や島崎藤村の童話集の挿画・表紙のほか、昔話、翻訳ものなど多数の作品の絵をてがけるようになる。(31歳~)
1940(昭和15)年海軍慰問の宣撫班として中国・海南島方面に派遣される。(34歳)
1941(昭和16)年日本画家の安田靫彦門下となる。(35歳)
1946(昭和21)年第31回日本美術院展に入選(41歳)。以後、32、33回にも入選。
1949(昭和24)年童画研究会を主宰。(44歳)
1952(昭和27)年神奈川県藤沢市鵠沼(くげぬま)に転居。(47歳)
1961(昭和36)年日本著作権協会より、理事としてパリ・ユネスコ会議に派遣され、欧米を視察。
第二次日本童画家協会に参加。(56歳)
1984(昭和59)年8月12日、脳梗塞のため逝去。(79歳)
時子夫人により「義介福祉基金」設立、全作品と遺品のすべてが寄付される。
1988(昭和63)年時子夫人により「社会福祉法人藤沢育成会」に鵠沼の家屋と土地が寄付される。
参考:『黒崎義介・絵と生涯―童画と共に60年―』 高野修/著 よし介福祉基金発行 1988  
 『日本の童画 3 黒崎義介/林義雄/鈴木寿雄』 上笙一郎/解説 第一法規 1981

童画家 黒崎(くろさき)義介(よし)

黒崎義介(1905(明治38)-1984(昭和59)年)は、長崎県平戸市の、裕福な醸造醤油家の6男として生まれました。海軍兵学校入学を志望し、剣道や相撲が得意だった義介ですが、中学を4年生で中退し、絵が好きであったことから母の後押しを得て東京の川端画学校へ入学、日本画家として世に出ます。そして主に経済的な問題から描き始めた童画に天命を見出すこととなります。

童画について義介は次のように言っています。

「童画に僕としての生命はあるらしく思へる。…(中略)…結極童画そのものが僕を支配したのだ。…(中略)…僕の全生命は童画である」

また、義介は愛妻家として有名でしたが子宝には恵まれず、次のようにも言っています。「僕と登喜子の間に子なきが故に童画を描く、子供が欲しい故に、童画を描いて居ればいくらか気もまぎれる。故に、やさしく、明るき、強い子供を描く。」 「登喜子」は本名で「時子」は愛称

義介が描く、品よく穏やかで素朴な子ども達の姿や顔かたちは義介自身に似ています。絵の中の子どもは実際に、義介の子どもに他ならないからかもしれません。

出典:『黒崎義介・絵と生涯―童画と共に60年―』 高野修/著 よし介福祉基金発行 1988      

    『日本の童画 3 黒崎義介/林義雄/鈴木寿雄』 上笙一郎/解説 第一法規 1981

童画第二世代について

日本の児童出版美術史における「童画」は大正中期の児童文化ルネッサンスのなかで成立しました。

童画第一世代の担い手は、本田庄太郎、岡本帰一、川上四郎、清水良雄、初山滋、武井武雄などです。それぞれの画風は強烈な個性を放ち、高度に芸術的であり、このうえなく魅力的ですが、画家の自己主張を映したその画風は「現実の子ども」から離れてしまっているともいわれます。

これに対し日本童画の第二世代は昭和初年代から10年代にかけて登場した、黒崎義介、鈴木寿雄、林義雄、安泰、安井小弥太などです。第一世代の「子どもばなれ」から現実の子どもの姿に立ち返り、「異常な事物は描かぬことで教育性に沿うようにする一方、単純化はするけれども過度のデフォルメはせず」、子どもたちにもわかりやすく、受け入れられやすい絵であることを特徴としました。そして、昭和20年代後半の、幼児向き絵雑誌への執筆率は、第一世代の童画家たちをおさえて、「林義雄・黒崎義介・鈴木寿雄」の3人が上位3位を占めるということもありました。

出典:『日本の童画 3 黒崎義介/林義雄/鈴木寿雄』 上笙一郎/解説 第一法規 1981

    『子供とお話』 松村康平/編 主婦の友社 1955

展示資料について

今回の展示では、ケースごとに「昔話」「子どもの情景(夏)」「子どもの情景(冬)」「装幀・挿画(童話集と外国のお話)」「その他(戦争・コグマ・こびとといもむし)」の5つに分けました。

☆「昔話」

「ももたろう」は異なる版がいくつもあり、好んで取り上げた昔話のひとつです。1964(昭和39)年発行の「講談社の絵本ゴールド版」(展示資料2)は、描かれた場面が17面と多く、友達とすもうをとったり、水汲みをしておじいさんとおばあさんを助けたりする珍しいシーンもあります。

源義経は、お話として以外に、絵の題材としても描きました。国際児童文学館入口のケースには「コドモノクニ」15巻10号(展示資料46)に掲載された「義経ノ八艘飛」を展示しています。精緻に描かれた鎧が華やかです。

☆「子どもの情景(夏・冬)」

月刊の絵雑誌に掲載された作品は、季節感がよく映し出されており、大正・昭和の子ども達の生活する情景が感じ取れます。

☆その他「コグマ」(展示資料37・38)

義介は擬人化された動物たちが活躍する絵本も数多く描きました。その多くは、力持ちで心優しいクマが、ウサギやサルの子どもを助けます。

「子どもの情景」と同じく、「コグマ」にも、戦時中に描かれた作品は、その影響を受けた作品が見られます。

『軍艦旗の行くところ』『こびとといもむし』

◎『軍艦旗の行くところ』(展示資料35)

義介は1940(昭和15)年、海軍慰問の宣撫班として中国・海南島方面に派遣されました。その報告として出版されたもので、子どものために書かれたものではありません。南方の風景や人々の暮らし、子ども達の様子が生き生きとスケッチされ、交流した日本の兵士たちのようすも描かれています。

このときに体感した情景は『ミナミノコドモ』(展示資料36)などの絵本にも描かれました。

◎『こびとといもむし』(展示資料39~42)

絵本のあとがきによると、この童話の原作者、肥塚彰さんは、1943(昭和18)年に20歳前後で学徒出陣により出兵し、1945(昭和20)年6月に千島列島沖で戦死しました。死後、兄から義介のもとに寄せられた原稿用紙300枚に及ぶ未稿の作品を原作として絵本にしました。義介は原作者と面識はなかったのではと思われますが、「この話に出てくる『若い小人』のように、やさしい人でした。」としています。

初出は、おそらく1946(昭和21)年ですが、国際児童文学館で所蔵するもっとも古いものは1947(昭和22)年の再版です。思い入れのある作品であるらしく、何度も描き直しており、画風をはじめ、細かいエピソードや、いもむしが変身したあとの蝶の色や柄などそのつど変更が加えられています。今回は、1965(昭和41)年に出版された紙芝居も展示しています。

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