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建物紹介 : 大阪府立中之島図書館

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年11月27日更新

※ 中之島図書館は、建物の一部が国の重要文化財に指定されています。

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>> ドーム改修工事

本館・左右両翼 | 正面玄関 | 中央ホールとドーム | 建館寄付記 | 増築寄付記

 2つの彫像 | 棟札 | 川田順 歌碑

【 中之島図書館本館・左右両翼 】

本館正面の写真  中之島図書館の本館(中央部分と1号書庫)は、明治37年に第15代住友吉左衛門氏の寄付によってつくられたものである。
 設計は住友家の建築技師長であった野口孫市氏により、日高胖氏が技師として参加した。外観はルネッサンス様式を、内部空間はバロック様式を基本としながら、優れたデザイン力による格調の高い建築である。コリント式円柱に支えられる正面はギリシア神殿を、ドーム状の中央ホールは教会を思わせる造りとなっている。
 大正11年に住友家の寄付により日高胖氏の設計で左右の両翼が増築され、ほぼ現在の建物が完成した。
 昭和49年には本館及び左右両翼の2棟が国の重要文化財に指定されている。

⇒ 関連 : 第60回小展示「日高胖(ゆたか)の足跡」

【 正面玄関 】

正面玄関・写真

  中之島図書館の前に立って正面玄関を見上げると、そこには右から左に「大阪図書館」の文字が読める。それは「大阪府立図書館」ではなく、あくまでも “大阪” 図書館なのである。

「大阪図書館」題額

  このことは、中之島図書館が開館した明治37年以前に、大阪に図書館らしい図書館が皆無だったことと無縁ではないと思われる。

【 中央ホールとドーム 】

中央ホール階段とドーム

 中央ホールギャラリー上部のフリーズ(中間帯)には、本館を新しい八聖殿になぞらえて、階段正面上から右回りに菅原道真、孔子、ソクラテス、アリストテレス、シェイクスピア、カント、ゲーテ、ダーウィンの八哲の名を記した。

【 建館寄付記(大銅板額) 】

建館寄付記・写真

図書館内部に入って、中央ホールに見られる巨大な銅板「建館寄付記」の中で、この図書館の寄付者であった住友家15代吉左衛門氏は言う。 「我が大阪は関西の雄府にして、人口百万、財豊かに物殷んにして、諸学競い興る。而かして図書館の設独り焉を闕く。・・・」
 つまり、大阪府は人口も多く、色々な物が揃っていて学問も盛んだが、図書館だけが無いというのである。このあとの文章は、「図書館の建物と図書購入の基金を寄付して微力をつくしたい」と続くのだが、その意気や壮とすべきであろう。

■ 書き下し文

 「我が大阪は関西の雄府にして、人口百万、財豊かに物殷(さか)んにして、諸学競い興る。而かるに図書館の設独り焉(これ)を闕(か)く。是に於いて、府庁、建館の議有り。某、自から揣(はか)らず、図書館一宇曁び図書財本若干資を献じ、もって微力を効さんことを請う。府議して之を納れ、明治三十三年十一月に起工し、三十七年一月に至って成れり。
 夫れ、宇内の交通、五州の貿易経済の術は、商工より急なるは莫し。而かして大阪は商工の淵藪と称す。斯の館に入る者は、仰いで国家の盛運を思い、俯して我が府の富源を察し、之を培い、之を養い、諸学理に参じ、益ます功を将来に収めよ。
 庶幾くは、府庁建館の議に負かず、某も亦余栄有るに与(あずか)らんことを。従五位住友吉左衛門識す。」

【 増築寄付記(小銅板額) 】

増築寄付記・写真

住友家の寄付により大正9年から始められた本館両翼等の増築工事の際、建築寄付記の下にはめ込まれたもの。

 ■ 書き下し文

 「曏(さき)に、某、本館曁び図書財本を本府に納め、聊(いささ)か効を報ぜり。其の端末は銅に記して上に扁(かか)ぐる如し。事は二十秊(ねん)前に在り。
 今や奎運旺んにして、教化行わる。入館の士子咽を填め、設備窄狭を告ぐ。本府の慶為らざるべけんや。
 是に於いて、府庁の允許を得、館の左右各おの新館一宇を増築し、規制を恢張す。工は大正十年一月に興し、翌年十月に訖りて竣す。
 今よりして後、士子閲覧に便にして、精研洞究、昭代休明の化を黼黻(ふふつ)するは、独り某の素願に愜(かな)うのみに非ずして、其の本府を埤し、国家を益すること、盖し浅鮮ならざるもの有らん。
 夫れ、府庁建館の議の若きは前に記備われり。茲(ここ)に之に及ばずという。従四位勲二等男爵住友吉左衛門識す。」

【 2つの彫像 】

野神像

文神像

 

 中央ホールの左右の壁面に彫刻が2つ立っている。どちらも銅製のギリシア風半裸の青年像である。むかって右側の引き締まった表情で前方を注視しているのが「野神像」で、「野性」を表し、左側の「文神像」は広げた書物に眼差しをむけており、「知性」を表現していると言われている。
 この彫刻がおかれたのは、おそらく大正11年の左右両翼の増築の時で、作者は「長崎平和祈念男性裸像」で知られる北村西望氏である。

 

 

【 棟札(置札) 】

棟札(表)・写真

棟札(裏)・写真

 明治36年8月挙行の上棟式に使われた『棟札(置札)』。
 表の面(左)に施主住友吉左衛門氏の名に加えて、工事顧問として辰野金吾博士の名、設計・監督者の野口孫市・日高胖の両工学士などの名が墨書されている。 裏面(右)には、石工職・煉瓦職・大工職等の各種の職工の代表者の名が見える。

【 川田順 歌碑 】

川田順 歌碑

 昭和29年に創立50周年を迎えたとき、当館ゆかりの歌人川田順は、それを祝って次の歌を寄せた。館の正面脇には、その歌碑が残る。
『難波津の まなかに植ゑし 知慧の木は 五十年を經て 大樹となりぬ』