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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 資料展示「武井武雄のおもちゃ箱展」【解説】

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更新日:2014年10月17日


はじめに

 1925(大正14)年、日本で初めての「童画展」を開催した武井武雄は、志を同じくする初山滋、川上四郎、岡本帰一、深沢省三、村山知義、清水良雄らとともに日本童画家協会を設立、以降日本におけるこどものためのイラストレーションの歴史を形成してきました。自ら童話を書き、画を添えたことはもちろん、その仕事は造本・装幀や函の意匠など出版物のあらゆる面に及び、版画や図案デザインをも手がける一方で、カルタや双六のデザイン、玩具の収集など、児童文化のさまざまな分野にその関心は向けられました。作風は独創性にあふれ、極めて斬新かつ大胆、モダンなデザインは今なお読者をひきつけてやみません。こどものためのイラストレーションの仕事は、武井によって芸術にまで高められたといえるでしょう。

 2014(平成26)年は、武井が生を受けてから120年の記念碑的な年にあたります。節目となる年を迎え、国際児童文学館では武井の童画にかかる仕事をあらためて振り返り、その類稀な世界を顕彰しようと考えました。本展示では豊かで多岐にわたる武井武雄の世界を、当館の所蔵資料とパネルでご紹介いたします。大正から昭和にかけて、こどものためのイラストレーションに心血を注いだ芸術家の作品をご覧いただければと思います。

                主 催: 大阪府立中央図書館 国際児童文学館

                協 力: イルフ童画館   後 援:NHKサービスセンター

武井武雄について【1894(明治27)年~1983(昭和58)年】

長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)西堀に生まれる。東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科卒業。1921(大正10)年から絵雑誌『子供之友』その他にこども向きの絵を描き始める。「こどもの心にふれる絵」の創造をめざして、自ら「童画」という言葉を生み出し、大正から昭和にかけて童画、版画、刊本作品、玩具やトランプのデザインなど様々な芸術分野で活躍。童画というこどものための絵を総称する提案を行うとともに、童心を巧みに表現した独自の画風で童画界をリードした。

武井武雄肖像

武井武雄肖像

こどものためのイラストレーション 最初の仕事 『子供之友』

大学を卒業した武井が、最初に取り組んだ挿画の仕事が雑誌『子供之友』(婦人之友社)への執筆でした。『子供之友』は、1914(大正3)年に創刊した月刊絵雑誌で、村山知義・竹久夢二・清水良雄らが画を寄せており、武井も同誌に多くの作品を描いています。「もしもあめのかわりに」は、1924(大正13)年9月号に掲載された作品で、画に添えられた文「もしもあめのかわりに/ねこだの/いぬだの/ねずみだのがふってきたら/まあ/どんなにかおかしいでしょうね」は、村山籌子のもの。「ゲベルベット」は1927(昭和2)年7月号掲載。

もしもあめのかわりに ゲベルベット

「もしもあめのかわりに」『子供之友』11巻9号 婦人画報社 1914.9(『子供之友原画集3』婦人之友社 1986.3刊から転載)

「ゲベルベット」『子供之友』14巻7号 婦人画報社 1927.7 (『子供之友原画集3』婦人之友社 1986.3刊から転載)

日本童画家協会

日本童画家協会は、武井武雄、初山滋、川上四郎、岡本帰一、深沢省三、村山知義、清水良雄ら、近代童画揺籃期に活躍した7人によって結成されました。日本橋丸善ほか、大阪三越などでも童画展を開催し、童画芸術の発展と啓蒙に貢献しました。しかし、時局緊迫に伴い、情報局の要請により「新ニッポン童画会」「童心美術協会」などとともに「日本少国民文化協会」に統合され解散しました。(活動期間:1927年~1943年ころまで)

童画家協会メンバー
日本童画家協会メンバー写真

前列左から初山滋、川上四郎、村山知義。後列左から武井武雄、深沢省三、清水良雄

我が国初の芸術的な絵雑誌『コドモノクニ』

『コドモノクニ』は、大正時代、児童文化ルネッサンスと呼ばれるさなかに、幼児教育の高揚を背景に生まれた芸術的な絵雑誌です。従来の常識を破ったB5判の大型誌面、厚手の画用紙のようなマット調の用紙。五色刷りの定価は50銭で、当時5~10銭の赤本の多いこどもの本の市場では破格の値段でした。『コドモノクニ』の出現は、独立した絵・一枚絵を掲げる舞台を提供しました。それは文学の附随物から独立したものとしての童画の確立を果たしたといえます。こどもの絵雑誌を説明なしにもみることができ、楽しむことができるようなものとなり、これは後の絵雑誌に大きな影響を与えました。企画段階からかかわった武井武雄は、創刊号の表紙絵・題字ともに手がけています。

コドモノクニ創刊号表紙 ネンドザイク
 『コドモノクニ』創刊号表紙 東京社 1922.1

「ネンドザイク」『コドモノクニ』6巻7号 東京社 1925.7

絵物語の創作

武井は画を手がけただけでなく、自ら絵物語などの創作も行っています。絵雑誌『コドモノクニ』創刊の年である1922(大正11)年、「化けマンドリン」(『少女画報』同年1月)「流れ星」(同7月)などの童話を発表、翌年にはそれら17編をまとめた第一童話集『お噺の卵』(目白書房)を出版しています。いずれもナンセンスな物語展開とユーモアあふれる線画が特徴で、当時から動物の擬人化やこどもの身の回りにあるものなどを素材に独創的な画風を追求していたことがわかります。

1924(大正13)年には『ペスト博士の夢』(金星堂)、1927(昭和2)年にはおもちゃの国で巻き起こる不思議な話を集めた童話集『おもちゃ箱』(丸善)を刊行。さらに、1934(昭和9)年から『東京朝日新聞』で連載された「赤ノッポ青ノッポ」(のち鈴木仁成堂より単行本化)は、桃太郎の子孫にあたる今野桃太郎が「鬼が島」の村長である赤鬼と青鬼を小学校に入学させるというユニークなものです。戦時下に山本有三の編集で刊行された『日本少国民文庫』に収録され、また戦後も引き続き小学館や講談社から刊行されるなど、武井の代表作の一つとしてよく知られています。

おもちゃ箱表紙

『おもちゃ箱』表紙 丸善 1927.6

戦後の仕事

戦後、武井は大人向き刊本作品の作成をライフワークにする一方、児童文学においても精力的に作品を発表し続けました。装幀や挿絵の仕事では、平塚武二や片山昌造、北畠八穂、筒井敬介らの作品に取り組んだほか、単独の絵本でも『象の話』(鈴木仁成堂)、『梟の話』(同)、『キセカエ人形』(同)などを刊行しています。また、絵雑誌の仕事も多く、『キンダーブック』(フレーベル館)『チャイルドブック』(国民図書刊行会、のちチャイルド本社)などにも次々と作品を発表。洋の東西を問わず、昔話からファンタジーまで実に多様な武井ワールドを展開・確立しました。

あおのまほう
 「あおのまほう」『キンダーブック5-6才用』24集9編 フレーベル館 1969.12

装幀・挿絵の仕事

『アンデルセン童話集』は、菊池寛編集の「小学生全集」に収録された1巻です。「醜い家鴨の子」「チビ子物語」「幼いマッチ売り」「小さな人魚姫」など、おなじみのアンデルセン作品に武井の繊細かつ流麗な線画が付されています。1928(昭和3)年に描かれた作品ですが、今もなお鮮烈な輝きを放っています。

一方、冨山房より刊行された『イソップものがたり』は、楠山正雄編集の大判の書で、叢書「画とお話の本」の第2編です。本叢書は、大正期を代表する著名な叢書「模範家庭文庫」に引き続き、楠山の手になる豪華版童話集で、この期の造本美術上の代表的成果とも言われています。作品とは別に画にそれぞれ見出しをつけているところに、「画とお話の本」の個性があります。こちらもイソップのよく知られた名作「うさぎとかめ」「きたかぜとたいよう」「まちのねずみといなかのねずみ」などに武井がユーモアあふれる画を付与しています。

『アンデルセン童話集(小学生全集5)』表紙 『イソップものがたり(画とお話の本2)』表紙

『アンデルセン童話集(小学生全集5)』表紙 文藝春秋社 1928.8

『イソップものがたり(画とお話の本2)』表紙 冨山房 1925.10

デザイナーとしての仕事

武井は優れたデザイナーでもありました。それは本の世界にとどまることをせず、刺繍の図案、さまざまなロゴ、診察券や招待状のデザイン、またアロハシャツや菓子箱のデザインなど、その活動は多岐にわたります。時代を超えて愛される武井の童画の根本に、武井のモダンで洗練されたデザイナーとしての力量があるといえるでしょう。

「明治チョコレート」デザイン
「明治チョコレート」デザイン

版画

日本版画協会に入会し、積極的に創作木版を手がけた武井。自ら表現方法を追求し、「VARI-TYPE(ヴァリタイプ)」という、版の素材の高低差を使って刷りだす方法を考案しています。また、郷土玩具をモチーフに、浮世絵と同じ制作方法をとり、絵師は武井、彫師、刷師はそれぞれ職人が担当するという企画も手がけました。

「空想」 銅板絵本『地上の祭』
「空想」 銅板絵本『地上の祭』 アオイ書房 1938

本の宝石 刊本作品

「本の宝石」と呼ばれる刊本作品は全部で139点。一回ごとに異なる技法と素材を用い、絵も文もすべて武井武雄のオリジナル。記番署名入りで300部限定が原則。上梓した入魂の芸術作品は、半世紀にわたる武井のライフワークでもありました。

『ラムラム王』 刊本作品№55 1964.9 刊本作品と専用本箱
『ラムラム王』 刊本作品No.55 1964.9 刊本作品と専用本箱

イルフトイス

新しいおもちゃの創造をめざし、玩具・小手工芸品展を開催した武井。こどもが、お母さんのおっぱいの次に触れるのがおもちゃだと考えた彼は、こどもたちのためにいろいろなイルフトイスを設計しました。これは、もともと郷土玩具の蒐集をしていた武井が自然と行き着いた活動だったといえます。イルフは古い(フルイ)の逆読みで、新しいという意味の武井の造語です。カルタやトランプなども精力的に創作しました。

「RRRのアイウエおもちゃ」1952
「RRRのアイウエおもちゃ」1952

ミニアチュール ほか

武井の得意とする緻密な描写はさまざまな身の回りの小さいものを生み出しました。版画の蔵書票はもとより、切手型の蔵書票やミニアチュール、トランプ、のし袋など、武井の魔法の国を小さな画面にとじこめたのです。

ミニアチュール「いつか来た道」
ミニアチュール「いつか来た道」1973

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