大阪府立図書館

English 中文 한국어 やさしいにほんご
メニューボタン
背景色:
文字サイズ:

本蔵 -知る司書ぞ知る(19号)

更新日:2024年1月5日


本との新たな出会いを願って、図書館で働く職員が新人からベテランまで交替でオススメ本を紹介します。大阪府立中央図書館の幅広い蔵書をお楽しみください。

2016年5月20日版

人間という仕事』(ホルヘ・センプルン/著 未來社 2015.11)

本の題名からどのような内容を想起するでしょうか。毎日、仕事をしているのに、人間が生きていること自体までが仕事なのかと想起しませんか。この本は、人間はいかに生きるべきかを考えさせてくれる本です。
ナチズム、ファシズムが吹き荒れる時代を背景に、オーストリアの哲学者エトムント・フッサール、フランスの歴史学者マルク・ブロック、イギリスの作家ジョージ・オーウェルが、人間としていかに生きたかについて、2002年3月に著者が行った3回の講演を収録したものです。

フッサールは言います。「良きヨーロッパ人として、この危険のなかの危険と戦おうではありませんか。戦いが果てしなく続くことに怯まぬ勇気を持って」(1935年5月ウィーン)。この1930年代のヨーロッパでは、ヴェルサイユ体制と国際連盟の挫折、1929年の経済恐慌、その対策として国家が強力に公的介入を行う経済の計画化の進展、これらを通じて大衆化が飛躍的に拡大します。大衆化が拡大する場面には、カリスマ的リーダーが現れ、決定的な役割を果たすとフロイトが分析しています。そうヒトラーの登場です。フッサールは、ユダヤ人ゆえに大学教授の職を解かれて活動も極度に制限され、ほとんど毎日を書斎の中で過ごし、1日10時間を執筆に充てていたと言われています。1938年に亡くなるまでに45,000ページにも及ぶ膨大な草稿を残します。これら草稿は、支援者のおかげでナチスの検閲を逃れ、現在もフッサール文庫として保管されています。

マルク・ブロックは、『奇妙な敗北』を1940年に執筆します。戦後、ようやく出版されることになったようですが、著者のセンプルンは、この本を一年に一回は読んでいたそうです。この本の中でブロックは書いています。「私は自分の血にたいした価値を認めない。なぜなら、何も犠牲にせず得られる救済はないからである。自らそれを勝ち取ろうとつとめない限り、国民の自由が十全であることはないからである」。ナチスにフランスが攻められると、ブロックは53歳の高齢をおして出征し、フランス降伏の後も抵抗運動を続け、ゲシュタポによって逮捕されます。そして、1944年に銃殺刑に処せられます。ブロックは、数年前にフッサールが喚起したことをまさに信念に基づき体現します。著書の言葉を借りれば、「理性の勇敢さ」を体現したのです。(当館では、1955年に刊行された初訳、初訳を収録した1970年刊行のUP選書版、および2007年刊行の新訳を所蔵しています。)

最後に登場するジョージ・オーウェルは、前の二人と違い大学教授ではなく、ホームレスを経験したこともあるジャーナリストであり、作家です。オーウェルは、1936年にスペイン内戦が起こると、自ら志願してスペインに行き、マルクス主義統一労働者党の義勇軍に参加し、フランコ率いるファシズム軍と戦います。その後、仲間割れともいうべきスターリン主義者の弾圧から逃れるように帰還し、評論文、エッセイなどを書く生活を送っていました。しかし、ヒトラーにイギリスが攻められると、イギリス陸軍に志願します。「たとえ負けたとしても、たとえヒトラー軍がロンドンを行進するとしても、戦ったほうがいいではないか、戦いに敗れることなく占領されるより、戦ったあとで占領されるほうがいいではないか」と彼は訴えます。

三人に共通しているのは、「全体主義的野蛮に抵抗するという同じ精神、同じ信念であり」、「彼らには、批判的理性、民主的理性に対する同じ信念があります」と著者は述べています。人として死ぬときに、こうした信念を持った生き方をしていれば、たとえどんな死に方をしたとしても、自分の人生に満足して死んでいける気がします。このような生き方そのものが「人間という仕事」であると著者は言いたかったのではないでしょうか。

最後に、著者のホルヘ・センプルンを紹介しておきますと、1923年、スペインのマドリードの大ブルジョワの一家に生まれ、スペイン内戦のためにパリに亡命し、フランスでレジスタンス活動を行っていましたが、1943年9月にゲシュタポに捕らえられ、ドイツの強制収容所に送られてしまいます。こうした経験等をもとに執筆活動を行い、文学賞などを多数受賞するとともに、1988年から1991年までスペインの文化相を務め、2011年、87歳で亡くなっています。
このようにセンプルン自身もナチズム、ファシズムと戦ってきた人そのものなのです。(文中敬称略)

【慈】

安藤昌益』(狩野亨吉/著 書肆心水 2005.11)

本書には、狩野亨吉の偉業である安藤昌益の発掘を世に知らしめた最初の論文「安藤昌益」が収録されています。

狩野亨吉は、1865(慶応元)年7月28日出羽国秋田郡大館(秋田県大館市)に秋田藩の儒者狩野良知の次男として生まれました。狩野亨吉という人物について『日本近現代人名辞典』*では「明治から昭和にかけての異色ある啓蒙的合理主義者。この合理主義を教養とするのでなく、人間として生涯徹底的に生きぬいた人物。」と紹介されています。

彼は稀代の蔵書家であり、また春画の蒐集の方もかなりのものだったようです。そして生涯の業績の中で最たるものは安藤昌益の発掘にあると言われています。『日本人名大事典1』*の「安藤昌益」の項目には「徳川中期の社会思想家。昌益については一二の専門家の間に知られているのみであったが、狩野亨吉博士が「安藤昌益(1928(昭和3)年『世界思潮』掲載)で紹介し、ついで渡辺大濤の『安藤昌益と自然真営道』(1930(昭和5)年 ※当館所蔵は1980年刊)によって徐々にその全貌を明かにし、日本社会思想上の新発見として、近年学会の興味を喚起するにいたった。」と記されています。

現在では安藤昌益の著作は、『安藤昌益全集1』*から『安藤昌益全集 別巻』*をはじめ、『日本の名著19』や『日本思想大系45』などで読むことができます。また、研究書の方も『いのちの思想家安藤昌益』(「狩野亨吉―「大思想家」安藤昌益との出会い」の項を収録)や『甦る!安藤昌益』など数多く出版されています。

司馬遼太郎は「秋田県散歩」の中で大館市を訪れた際、狩野亨吉の生家跡に立ち寄っています。その文章には安藤昌益との関わりや業績についても述べられています(『街道をゆく29』p.177-202)。狩野の人物については「明治期の非専門的な大知識人。ぼう大な図書の収集家でもあった」とし、「古本屋から、当時、ひとびとの記憶になかった江戸中期の思想家安藤昌益を発掘したことはよくしられている」(同p.12-13)と記しています。

狩野亨吉の著作は、『安藤昌益』収録文の底本となっています『狩野亨吉遺文集』があり、7点の論文が収録されています。この本は中之島図書館で所蔵しています。狩野亨吉の著作物は少なく、司馬遼太郎も「秋田県散歩」の中で「(狩野亨吉が)どんな思想のもちぬしかというと、ただちには紹介しにくい。著作といえば、第一高等学校での教え子安部能成が編んだ『狩野亨吉遺文集』(岩波書店)という小冊子あるくらいではあるまいか」(p.177)と記しています。小林勇も『蝸牛庵訪問記』で幸田露伴の談話として「あの人くらい本を読むと宗教なんか馬鹿らしいというのは当たり前だ。あんなに本を読んでいて著述がないのも変わっている」(p.5)。と記しています。『狩野亨吉の研究』には「著作年表」が収録されていますが、見開き2ページしかありません。

この『狩野亨吉の研究』には『狩野亨吉遺文集』刊行当時に未発見などの事情により収録されなかった文献を集めた「狩野亨吉遺文抄」(p.283~519)が収録されています。

また、狩野亨吉は夏目漱石をはじめ田辺元、小宮豊隆、岩波茂雄、幸田露伴、内藤湖南など数多くの著名人との親交がありました。『狩野亨吉の研究』にはこれらの人々との関わりについての文献が収録されています。(文中敬称略)

*の資料は館内利用のみです。

【ツンドク】

若き数学者への手紙』(イアン・スチュアート/著 日経BP社2007.3)

あなたには、偉大な先人、先生、師匠と呼べる人はおられるでしょうか?
そして、その方はどんな方でしょうか?
直接会ったことがある人?
歴史上の人物?
本やテレビで見たことがある人?
どういう方にしろ、尊敬できる「先生」に出会えるというのはとても幸運なことです。教えてもらったこと、いただいた言葉は、いつまでも自分の胸に残り、自分の人生の指針となります。

今回ご紹介したいのは、そういう偉大な先人、先生と呼ばれる人が「若い人、これからの人」に向けて書いた本。特に『若き~への手紙』という題のついた本です。

まずは古いものとして、オーストリアの詩人リルケ(1875~1926)の『若き詩人への手紙』が挙げられます。詩人志望の青年カプスに実際に宛てた手紙が収録されています。自分の詩を批評してほしいという若者に対し、リルケは誠実な言葉をもって忠告します。外部を見るより、沈思黙考しなさいと。
他にも愛読書について、神について、孤独と愛についてなど、芸術のみではなく人生論も含まれた一冊です。

次に、標題に挙げた、イギリスの数学者イアン・スチュアート(1945~)が書いた『若き数学者への手紙』。ニューヨークの出版社Basic Books社が出した『Letters to a Young Mathematician』の邦訳です。
架空の女学生メグに対して、数学者イアン・スチュアートが手紙を送るという形式をとっています。「なぜ数学をするのか」から始まり、数学という学問の性格、大学で学ぶことについて、数学者としてキャリアを積むには、など。メグがただの学生から、助教授になり、最後には大学の終身職へと成長するのに合わせ、著者のアドバイスも変わってきます。
難しい数式は一切なく、数学という学問の本質から、実際にその道に進むための具体的なアドバイスなど、数学者の世界や数学者という人間の頭の中が見える本です。

さて、この『若き数学者への手紙』の前書きや訳者あとがきを読むと、Basic Books社はシリーズとしてこのような『若き~への手紙』という本をたくさん出しているとあります。これは面白いと思い、早速調査。手っ取り早く、Basic Books社のホームページへと飛びました。
全て英語ではありますが、検索画面で”letters to a young”と入れると、出てくるのは様々な「若者への手紙」たち。

例えば、一部を挙げてみますと、

・『Letters to a Young Chef』By Daniel Boulud
フレンチの巨匠、ニューヨークの有名レストラン「ダニエル」のシェフであるダニエル・ブルーが書いた、若いシェフに向けた本。

・『Letters to a Young Journalist』By Samuel G. Freedman
ニューヨークタイムズのコラムリストであり、コロンビア大学の教授であるサミュエル・G・フリードマンの、若いジャーナリストに向けた本。

いったいどんなことが書かれているのか、読んでみたい本ばかり。しかし、残念ながらこのシリーズはすべてが日本語に翻訳されているわけではありません。確認した限りでは、
『若き数学者への手紙』
『ハーバード・ロースクール アラン・ダーショウィッツ教授のロイヤーメンタリング』(原題『Letters to a Young Lawyer』)
コマネチ若きアスリートへの手紙』(原題『Letters to a Young Gymnast』)
の3冊が邦訳されていました。

他にも、出版社が違いますが『若き~への手紙』という題のついた本が出されています。
生物学界の巨人エドワード・O.ウィルソンが書いた『若き科学者への手紙』(原題『Letters to a young scientist』)。
半導体とエレクトロニクスの基礎研究に携わった菊池誠の『若きエンジニアへの手紙』。
アメリカ合衆国建国の父の1人とも言われている、ベンジャミン・フランクリンの『若き商人への手紙』(原題は『Advice to a young tradesman』と「アドバイス」ですが)。

「巨人の肩の上に立つ」という言葉をご存知でしょうか。学問を志した人ならば一度は聞いたことがある言葉でしょう。先人の偉大な研究を巨人にたとえ、それを学んでこそ、はるか遠くまで見渡すことができるという意です(文献を検索できるGoogle Scholarのトップページにも記されています)。
この言葉を目にすると、もし私が学問を志す小人だったら、と想像します。偉大な巨人の肩に登ろうと必死なのですが、その道のりはとても険しく、もうやめてしまおうかと思ってしまう。けれど、そんなときに巨人が一言「がんばりなさい」と励ましてくれて、その大きな手で背中を押してくれたら、どんなに心強いか。
『若き~への手紙』という本は、そういう本ではないかなと思います。

【RY】


PAGE TOP