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第44回大阪資料・古典籍室1小展示
平成13年9月18日(火)〜11月18日(日)


むかしの本屋 店頭図展





 今回は、図書や一枚刷りに掲載されている昔の本屋の店頭を描いた図を紹介する。
 現在では本屋さんと言えば、本の販売のみを行うブックストアを指すが、江戸期には、その殆どが印刷、出版、販売の三つを兼ねて行い、本を造るところから、売るまでを担当していた。

 そして、営利事業としての出版業が興ったのは、江戸時代の始め寛永年間(1624〜44) 、京都においてであり、この頃から出版物が商品化し、出版が企業として確立するようになった。出版文化の成立と発展の中心地は京都であったが、寛永19(1642)年生まれの井原西鶴が、浮世草子『好色一代男』を天和2 (1682)年に大坂で出版し、町人の間でベストセラーとなり、次々と出される浮世草子は殆ど版元が大坂であったことから、大坂の出版界は活況を呈し、京都の牙城に迫ることとなる。これら大坂の本屋は、開業20年足らずの新興書店で、創業60、70年という老舗で、幕府や大名など上級階級と結びついていた京都の大書店とは異なっていた。大坂の本屋は、上級の階級者ではなく、一般の読者層を得意先とし、大衆向けのハウツウものや浮世草子によって、当時の出版界に革命を起こしたと言われている。

 大坂の出版界がさらに活気を帯びるのは、西鶴より11才下の近松門左衛門の登場によってであるが、近松の浄瑠璃本は主として大坂で出版され、やがて大坂だけでなく、江戸版、京都版が続々と刊行され、近松は三都での大売れっ子劇作家となった。

 天明、寛政(1781 〜 1800)頃になると、江戸の生んだ独自の出版物いわゆる「地本」の草双紙によって、江戸の本屋が上方を追い越して、出版文化の中心が江戸へと移行した。「地本」とは、上方からの下り本ではなく、江戸の地で出来た本の意であり、かたい内容ではなく、草双紙、戯作類を指し、上方の草紙屋が扱う種類の本で、江戸で作られたものをいう。そして馬琴、京伝、三馬、種彦らの本を次々と出版し、文化のリーダーシップを江戸が勝ち取ることとなるのである。
 このようにして近世書物はその99%が、京都、江戸、大坂の三都で出版された。

 江戸期の本屋が発展してゆく中で、本屋はその利益の保持と地位の安定を目的として、組織を持ってグループ内での自主的な相互規制を行うようになり、幕府側は好色本、邪蘇教などの取締りの目的で、同業組合である「本屋仲間」を公認することとなった。まず京都に、ついで江戸に出来、大坂本屋仲間が発足したのは、享保8 (1723)年で、明治5 年まで存続した。江戸、京都の「本屋仲間」の記録は、大火、大地震、空襲などで殆ど失われたが、大坂の記録は、古いものからほぼ完璧に当中之島図書館に寄託資料として残されている。また、昭和50〜平成5 年に『大坂本屋仲間記録』全18巻として、中之島図書館が翻刻、影印本を発行し、大坂のみならず、日本の近世出版文化史の研究には不可欠の資料として活用されている。

【展示リスト】

A 本屋名のあるもの(店主名の五十音順)

1.赤志忠七(忠雅堂)店 <大坂>
所収資料:『画引新撰 改正商売往来』 伴 源平編 赤志忠七 明治16(1883) 540-4

  「浪花心斎橋通り諸商業隆盛之図」として、この本の版元、赤志忠雅堂の店頭図を載せる。洋装の人、人力車など明治の風俗が描かれている。
 慶応4(1868) 年、河内屋和助の別家として創業、当時は河内屋忠七と称した。鹿田静七(下記4)の妹婿で、初期には鹿田と共 同で教科書の出版をし、後には美術家名鑑に力を入れた。

2.秋田屋市兵衛(大野木宝文堂)店 <大坂>
所収資料:『商人取引状』(アキンドトリヒキジョウ) 190-108

 この本の内容は、現在で言うビジネス文書の書き方である。店先に座り込んで本を開いて選ぶ姿があり、のれんや立て看板に秋田屋、大野木宝文堂の名がある。大坂心斎橋筋安堂寺町にあった。
 江戸時代の大坂の出版界には、秋田屋と河内屋の二大グループがあり、秋田屋本家は代々市兵衛を襲名し、大坂出版界のトップであった。河内屋宇兵衛は、この秋田屋市兵衛店に奉公して、正徳年間に独立し、秋田屋の屋号を用いず、河内屋の看板 を掲げた。以降河内屋は襲名制をとらなかった。

3.和泉屋市兵衛(甘泉屋)店 <江戸>
所収資料:『東海道名所図会 巻6 』 秋里籬島著 北尾政美画 河内屋喜兵衛等 寛政9 (1797) 朝日371-5

 右側の図が和泉屋、左側は升屋という絵草紙屋で、升屋はやがて和泉屋に合併される。
 江戸、芝神明前三島町にあった地本問屋で、嘉永4(1851) 年の問屋仲間再興時に定行司の役についた。また初代歌川豊国を育てた功績も大きい。
 絵草紙屋は、この図のように絵が見えるように並べて、一種のギヤラリー風に飾って売り出していた。また、ここに描かれている浮世絵はすべて空想ではなく、実在の絵を当てはめる事ができると言われている。

4.鹿田静七(鹿田松雲堂)店 <大坂>
所収資料:『大阪好書録』 山田憲太郎編 大阪史談会 昭和30(1955) 015-110

 鹿田静七は大阪心斎橋筋安土町に古書肆松雲堂を営んでいた。父河内屋清七は貸本屋であったが、篠崎小竹らの庇護で、古書売買を専業にした。文久3(1863)年家業を継ぎ、大阪史談会の設立に尽力し、また当館開館時に正平版『論語』など貴重な資料を多く寄贈した。明治38年に60才で没。

  荒木伊兵衛(荒木書店)店 <大坂>
  所収資料:上記、鹿田静七店に同じ。

 明治40年頃、江戸堀にあった古本屋で、右頁の鹿田松雲堂は和本を扱っていたが、荒木書店は洋装本を売っており、図の中で本の置き方が和本は横置き、洋装本は縦置きになって、その区別まで描かれている。

5.鶴屋喜右衛門(仙鶴堂・通称鶴喜<ツルキ>)店 <江戸>
所収資料:『江戸名所図会 巻1 』 斎藤月岑著 長谷川雪旦画 須原屋茂兵衛等  天保5(1834) 石崎 371-22

 本店は京都にあったが、この図は江戸通油町(現日本橋大伝馬町)にあった店で、化政期には本店をしのぐ、江戸切っての地本・錦絵問屋にまで発展した。須原屋茂兵衛、蔦屋重三郎、和泉屋市兵衛らとともに、江戸のビッグ4を形成した。
 鶴喜は、柳亭種彦作、歌川国貞画『偐紫田舎源氏』を出版して大流行し、この版元の名を全国的に高めたが、天保13(1842)年に絶版を命ぜられ、未完のままとなった。
 『柳多留』にも、

母親ハ夜の鶴屋へ迷ひ来る
   子を思ふ夜の鶴や草さうし
      吉例に鶴屋から買ふ草双紙

など当時の教育ママぶりを歌った川柳が残っている。

6.中野啓蔵(三書堂)店 <大坂>
所収資料:『増補 開化用文章』 楢崎隆存著 中野啓蔵 明治14(1881)  279-84

 店員が荷物を運んでいる様子や、奥で客と応対している所が描かれている。
 のれんの横文字や手前の断髪・洋服姿に明治の風俗が伺える。
 中野啓蔵店は大坂の書店で、文化5(1808) 年に『狂歌智音百人一首』を出版している。

7.本屋安兵衛(松栄堂)店 <大坂>
資料名:〔本屋安兵衛店引札〕 枚 -13

 店は大阪道頓堀日本橋詰東江入南側にあり、明治2年から新しく結成された草紙屋仲間行司を勤めた。この図は本屋安兵衛店の広告ちらしで、道頓堀らしく、右上方に芝居小屋の図を入れる。

8.松木平吉(大黒屋・通称大平<ダイヘイ>)店 <江戸>
資料名:〔書物錦絵問屋松木平吉店引札〕 枚 -150

 紅絵を売り歩く行商姿を描いた「紅絵売之図」を載せた東京市日本橋区両国、松木平吉店の広告ちらし。紅絵は主に延宝頃から吉原の売れっ子遊女や歌舞伎役者をモデルにしたものが多く、美少年の売り子達は、遊女屋の模型を上にのせた笈い箱に多数の紅絵を納め、手には遊女の姿を写した紅絵を竹竿につるし持って呼び売りし、かなり後代まで江戸名物の一つとなった。
 この引札の口上には<弊社の儀ハ明和元年、左記の地に開店なせしより五代を相続いたし、徳義を守りてこの営業に従事なすこと百数十年・・・>とある。

9.村田屋治郎兵衛(栄邑堂<エイキュウドウ>)店 <江戸>
所収資料:『江戸戯作文庫 10』 河出書房新社 昭和62(1987) 255.5-41#
  原本は『的中地本問屋<アタリヤシタジホンドイヤ>』 十返舎一九著 村田屋治郎兵衛 享和2(1802)

 江戸の本屋で、上部の文章は<村田の草紙、大評判にて、店先には人の山をなし、さすが沢山に仕込んだる草紙、みな売り切れてしまい、買手をも待たしておいて、綴じるやら、仕立てるやら大騒ぎ。買手もせき込んできて『先刻から待っているに、早く下せへ』『いや、まだ綴ぢませぬ』と言ふに、『綴ぢるはこっちで綴ぢよふから、そのままで下され』と持って行けば、『これ、こちらへはどふして下さる』『イヤ今摺っております』と言ふに『いやいや摺らずとよふござる。そのままで下せへ』と。大きに儲かりけるぞ、いさぎよし>とある。
 このように製本が間に合わず摺本に表紙と綴糸を添えて卸したというのは草双紙のベストセラーの場合、実際にあったと言われている。
 この本には、板木師が彫刻する図、摺師の図、製本する図など本にまつわる図や話が沢山掲載されていて興味深い。

10.吉田屋新兵衛(文徴堂)店 <京都>
所収資料:『長命になるの伝授』 脇坂義堂著 吉田屋新兵衛 文化14(1817) 176-4

 文徴堂はこの本の版元で、京都三条通りにあった。
  この本の中に「毎日々1時づつ朝起して働けば、長い一生の間には相当な日数となり、それだけ他の人より長命、福分を得ることとなる」と説明し、挿絵は朝早く店先で暖簾をかけ、水を打って働く姿を描く。

11. 綿屋喜兵衛(金随堂・通称綿喜<ワタキ>)店 <大坂>
資料名:〔綿屋喜兵衛店引札〕 前田徳太郎 明治再刻  枚 -128

 堀江、心斎橋通り塩町角にあった。
 享保時代に開業し、特に幕末、明治にかけて活躍した大阪第一の絵草子屋「綿喜」の広告ちらし。

B 本屋名のないもの(書名の五十音順)

1.『犬百人一首』〔稀書複製会叢書〕 米山堂 大正8 (1919)  朝日 033-2
原本:寛文9 (1669)の複製

 「本屋安売」と題して“売るからに、草双紙でもやすけれバ、むべかふ人のうれしとや言らむ”の歌と書店の店頭図を載せる。

2.『江戸惣鹿子名所大全 巻5 ・6 』 藤田理兵衛著 菱川師宣画 中野長右衛門 元禄3 (1690)  371-592

巻5 :唐本を扱う本屋の店先に、僧侶が客として上がっている図。この図は『慶長以来 書賈集覧<ショコシュウラン>』の表表紙に使われおり、裏表紙には『京雀2 巻』から寺町通りの本屋の図が使われている。
巻6 :「書物仕立や」「はん木や」の図。

3.『画本異国一覧 下』 岡田玉山画 赤志忠七 寛政11(1799)序 571-88   別書名:『万国人物図会』

○ 大日本国書舗之図<ダイニッポンコクホンヤノズ>
 岡田玉山は元文2 (1737)年生まれ、文化9 (1812)没で、当時の上方における絵本挿絵画家の第一人者で風俗、人物を得意と し、『絵本太閤記』、『唐土名勝図会』などが有名である。
 この本『画本異国一覧』の広告も描かれている。

4.『家職要道 初編下』 正司南鴃著 松川半山画 河内屋佐助 慶応2 (1866) 173-314

 前頁に<古人ハ書籍を大切にいたし、虫の喰ざるように黄檗を以て紙を染る故、書物の事を黄巻ともいへり・・・>とあり、この文につづいて昔の人や外国の人は書物を大切にするのに、現在の人は、その取扱が麁忽であるという。この図にもこの本の広告が入っている。

5.『傍刻 商売往来絵抄』 松川半山画 播磨屋喜助 弘化3 (1846)  190-88

 「商売繁昌の図」として本屋の店先図を入れる。
 松川半山は、幕末から明治にかけて大阪で活躍した挿絵画家で、その版本などが多数当館に所蔵されている。

6.『人倫訓蒙図彙 4 商人部』〔稀書複製会叢書〕 米山堂 大正10(1921)  022-4

 前頁に本屋の説明として、<上古にハ銅をもって板をつくり、唐土の本銅板也とかや。中頃木をもって植字をなす。それもいつしかすたりて、今は板木これを彫也。紙ハ美濃より出るなり。其他杉原、唐紙、半紙摺本によってかはれり・・・>とあり、銅板印刷から木活字(一字版、植字版)、さらに一枚の板に彫って印刷する<整版>となったと説明している。

7.『摂津名所図会 巻4  大坂部4 上』 秋里籬島著 竹原春朝斎画 田村九兵衛 寛政10(1798) 378-1042

 「順慶町井戸辻夜店」の出店の中の本屋。
<夕暮より万灯てらし、種々の品を飾りて東は堺筋、西は新町橋まで両側尺地もなく連りけり、これを見んとて往かへりて群をなし・・・>と、夜店のにぎわいぶりを説明している。
 中央部後方に〈絵本類いろ々〉と書かれた草紙屋の出店が見える。

8.『摂津名所図会大成 巻之13下』 暁 鐘成著 松川半山画 昭和3 (1928) 『浪速叢書8』所収  035-5#

 この図の次頁にある著者の説明によると<船場より嶋の内にいたる道頓堀戎橋には、書林が多く軒をつらねている。店先に新古の諸書を並べており、摺本を背負って店を出る者、諸国へ送る本の荷造りをする者、客を迎える手代、或いは古写本を探す客など、終日店は繁昌している・・・>

9. 『都鄙図巻』 住吉具慶<グケイ>画
所収資料:『元禄太平記 −その時代と人々−』 学習研究社 昭和49(1974) 325.3-29#

 元禄頃の京都の町の様子が、色彩豊かに生き生きと描かれている。
 左上図に本屋があり、僧侶らしき人が本を選んでいる様子が描かれている。
 住吉具慶は江戸前期の画人で、住吉派の祖である父如慶の画業をついで、法眼に叙せられ、天和2(1682)年には、幕府の奥絵師に任ぜられて江戸へ下った。

10. 『洛中洛外図巻』
所収資料:『近世風俗図譜 12巻 職人』 小学館 昭和58(1983)  に1-1105

 この図は、大坂復興期の元和末(1623)から寛永頃の景観を描いたものと推定されており、左頁右上に本屋があり、当時すでに大坂に本を商う店があったことがわかる。
儒学者、商人風の客が、本を選んでいて、奥の方では製本に精を出している姿が描かれている。
本屋の隣は弓屋、前の路では桶一杯の花の行商に女たちが集まっている。

《あとがき》

*当展示については、多治比郁夫氏がまとめられた「京阪本屋図録1及び補遺」(『大坂本屋仲間記録』第2巻付録及び  『大阪府立図書館紀要』29号所収)を参考にさせていただきました。

《参考資料》

   『江戸の本屋さん −近世文化史の側面−』 今田洋三著 日本放送出版協会 1992 023.1-38N   

   『江戸の本屋』上下  鈴木敏夫著  中央公論社 1980 018.3-341#  

   『商売繁昌 −江戸文学と稼業 −』 国文学研究資料館編 臨川書店 1999  210.5-330N

   『出版事始 −江戸の本−』 諏訪春雄著 毎日新聞社 1978 018.3-267#   

   『日本古典籍書誌学辞典』 井上宗雄等編 岩波書店 1999 020.2-28N

以上