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第43回大阪資料・古典籍室1小展示
平成13年6月26日(火)〜9月16日(日)


浪花講定宿帳と道中記





 江戸時代後期には、旅が盛んになり、街道筋には旅籠も増えてくるが、一人旅の宿泊を断る宿や、飯盛女を置く宿なども多く、安心して泊まれる宿選びに難儀する人も多かった。

 大坂玉造で、綿打ちのための唐弓の弦を商っていた松屋甚四郎の手代源助は、諸国を行商していたが、誰でもが安心して泊まれる旅籠の組合をつくることを思い立ち、文化元年(1804)、旅宿組合「浪花組」を結成した。松屋甚四郎が講元、まつ屋源助が発起人となり、三都にそれぞれ世話人を置いた。(「浪花組」は、天保12年(1841)には、名称を「浪花講」と変更している。)

 全国主要街道筋の真面目な優良旅籠を指定し、加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、旅人には所定の鑑札を渡し、宿泊の際には提示するようにした。

 また、『浪花組道中記』・『浪花講定宿帳』を発行し、各宿駅ごとに講加盟の旅籠や休所の名を掲載するとともに、道中記としても役立つ道案内を兼ねた情報を掲載した。


『浪花組道中記』 <377-130> 大坂秋田屋良介等 天保8年(1837)刊

『浪花組道中記』 <子-485> 天保10年(1839)刊  題箋書名: 諸国道中記

『浪花組道中記』  <子-577>  江戸吉田屋文三郎等 天保15年(1844)刊

『浪花講定宿帳』 <子-576> 嘉永5年(1852)改正増補版 

『浪花講定宿帳』 <子-461> 安政3年(1856)改正増補版         

『浪花講定宿帳』 <550-34> 大坂秋田屋太右衛門 文久2年(1862)刊

『浪花講定宿帳』 <子-597> 京都松屋吉兵衛等 文久3(1863)年大増補再板

『浪花講』 刊 <550-22> いせ道中記

『浪花講』 刊 <子-481>  

『御定宿名前附 浪花講』 刊 <子-469>

『諸国名所 早引定宿図会』 松屋源助編・序 <ぬ-211>
 京都松屋吉兵衛刊
 多色刷り両面印刷の折本式道中図にした定宿案内書。
 序より浪花講で発行したものとわかる。

『改正 浪花講』 辻岡文助編 <550-24> 東京辻岡文助 明治12(1879)刊



  【種々の講発行の道中記】


 浪花講が世に知られ好評を博すようになると、同様の組織を真似た講が、次々につくられ、様々な定宿帳が発行される。
 天保元年(1830)には、大坂を講元として、京・江戸を世話方とする「三都講」が発足し、安政2年(1855)には、江戸で「東講」が結成される。

『大日本細見道中記』 <子-607> 冨士谷東■志序 
 大坂藤屋菊治郎 嘉永4年(1851)刊
 題簽署名: 道中細見定宿帳
 浪花講・東組講・仲吉講・関東講が提携し、これらの講中から特に良い旅館を選び記したもの。
 彩色の大阪起点の東海道道中図を掲載。
 最後に江戸・京都・大坂の名所独案内や名物を記載している。

『東講商人鑑』  <291.09-229N> 大城屋良助 編・序
 江戸大城屋良助 安政2年(1855)刊 (『道中記集成』 第41巻収載  大空社刊)
 東講は江戸を本拠として、それまであまり知られていない関東以北に着目し、商人鑑の名で東講を発足した。

『五海道中細見記』 <子-556> 大城屋良助著
 安政5年(1858)刊
 『東講商人鑑』の付録として配付された道中図。
 絵地図が詳しく、脇街道にいたるまで細かく描かれている。



  【伊勢講が発行した定宿帳】


 伊勢神宮に詣でるために組織された講、いわゆる伊勢講が、講中の信徒のために編纂した道中記があるが、これらは、道中記本来の道案内とともに、その講の定宿をも記した定宿帳にもなっていた。
 信仰を旨とした講では、参宮に当たっては道中を精進潔斎で過ごす必要があり、そのための道中の泊まりには、飯盛女などを置かない、講中の人々が安心して泊まれる宿を紹介する必要があったからである。
 一般の旅人のための旅宿組合は、「浪花組」が最初だとされるが、伊勢講にあってはそれより以前から講中の人に限るが、定宿を紹介していた。


『伊勢道中記』  <子-561> 末田道麿著 安永4(1775)年序
 講元井筒屋蔵版
 広島の「太神講」が発行した、広島より伊勢までの道中記。

『大坂浪花講道中記』 <子-578> 大阪富田屋与兵衛 文化10年(1813)刊
 大坂南北なには講の定宿付道中記。

『大坂浪花講道中記』 <子-579> 大坂広島屋市左衛門 文化11年(1814)刊
 大坂西組なには講の定宿付道中記。

『堺泰平講』 <550-8> 慶応3年(1867)刊

『嘉永講』 刊 <550-10>



   

  【明治以降の新講の登場】


 江戸時代に起こった講は、明治にはいると、鉄道の普及などで次第に衰え、新時代に対応した新しい講組織が出現する。
 明治5年(1872)に、伊勢の神宮教院で設けた神風講、明治6年(1873)に静岡で結成された一新講、東京の陸運元会社が明治7年(1874)に発足させた真誠講などがある。


『帝国 大日本道中記』一心真成銅版改正 <子-611> 橋本澄月編輯 大津小川儀兵衛 明治11年(1878)刊
 上部に下部に対応した道中絵図が銅版で描かれている。
 下部に各宿駅と一心講・真成講・その他の講の定宿を記す。

『大日本道中袖鑑』 <子-613> 吉澤富太郎編 東京小林喜右エ門等 明治21(1888)刊
 一新講道中記。

『一新講社・神風講社』 <550-52> 明治14(1881)年改正

『大川組』 <550-46> 大坂大坂屋庄蔵刊
 下関から広島、岡山、姫路、神戸、大坂までの道中定宿帳。

『真誠講』 <子-475> 京都茂知屋惣左エ門 [明治] 刊

『改正 燈籠講』 刊 <550-36>  明治13(1880)改正 大阪講元:米屋善右衛門

[大阪宿屋引札]  <枚-96>  [明治] 刊
 大坂どうとん堀ゑびす橋北詰 大和屋弥三郎 2枚
 大坂どうとん堀日本ばし南詰 河内屋庄右衛門 1枚
 長町7丁目 河内屋四郎兵衛 1枚



  【参考文献】


『江戸の旅風俗−道中記を中心に−』 今井金吾著 大空社 平成9年 <384.3-95N>
『道中記集成』 全47巻 大空社 平成8〜10年 <291.09-229N>
『日本交通史論争』 大島延次郎著 国際交通文化協会 1939年 <550-163>