【デジタル展示】古典籍に描かれた船
更新日:2026年8月21日
大阪は水運によって発展してきた水の都。
人々や物資を運んだ船は、古典籍資料にも数多く描かれています。
本展示では、当館が所蔵する「船」に関する資料をご紹介いたします。
※書名をクリックすると「おおさかeコレクション」へリンクします。
淀川(京都名所之内)【へ1/270/#】

「三十石船」と「くらわんか船」が描かれている。
「三十石船」は江戸時代に大坂・八軒屋と京・伏見を往復した旅客船で、その「三十石船」に横付けし、乗客に悪態をつきながら物売りする「くらわんか船」が名物になった。
菱垣新綿番船川口出帆之図【甲雑/32/#】

「新綿番船」は、江戸時代に行われた年中行事。
秋に新しくとれた木綿を、競争で大坂から江戸へ運び、一着になった船には、賞金や特権が与えられた。
天保山万舩入津の図【大和銀文庫/121/#】

船が次々と入港してくる様子が描かれている。
天保山は入津する船の目印のために築かれた山で、「目印山」と名付けられたが、天保年間にできたため「天保山」と呼ばれるようになった。
摂州難波橋天神祭の図(諸国名所百景)【甲和/733/#】

天神祭は大阪の夏を彩る大祭。船渡御は有名で、神輿が難波橋から船に乗り楽を奏して戎島の御旅所まで往復した。
難波橋は創架年不明の橋。江戸期には近辺に諸藩の蔵屋敷が建ち並び、それを取り巻くように問屋街が形成されて大変な賑いをみせた。
現在は、橋梁の四隅にライオン像が配置され「ライオン橋」の愛称でも親しまれている。
攝津名所圖會 3【石崎378/2/#】

新造した船の進水時に、餅をまいて住吉神に祈る様子が描かれている。
木津川沿いの寺島には多くの船大工が住んでいた。
解舟町(浪花百景)【甲和/1086/#】

奈良屋町(解舟町)は、阿波堀川の南岸にあった町。
古船を解体してその板柱や加工品を商う家が軒を並べることから、解舟町(ときふねちょう)と呼ばれた。
参考資料
・『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)【291.03/2N/27】
・『新修大阪市 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989.3)【328/1845/#】
・『船と歴史のミュージアムなにわの海の時空館『展示総合図録』』(なにわの海の時空館/編集 なにわの海の時空館 2003.3)【683/98N/(3)】
・『江戸時代図誌 3 大坂』(岡本良一/編集 筑摩書房 1976)【325/177/(2)#】
・『大阪の橋』(松村博/著 松籟社 1987)【515/6N/(2)】
・『江戸と大阪 増補』(幸田成友/著 富山房 1942)【325.9/39/(2)#】
・『淀川舟游:若冲・応挙・蕪村も愛した』( [伊藤若冲/ほか画] 摂南大学 2015.7)【721/344N/(2)】
・『図典「摂津名所図会」を読む:大阪名所むかし案内』(本渡章/著 創元社 2020.6)【291.63/101NX】
・『浮世絵辞典 上巻 あ-と』(吉田暎二/著 北光書房 1944)【911/341/#】