おもちゃ絵画家川崎巨泉について

更新日:2013年12月24日


おもちゃ絵画家川崎巨泉について:おおさかeコレクション

 川崎巨泉(1877-1942)、本名は末吉、巨泉はその号です。その他に、人魚洞、芳斎、碧水居とも号しました。
堺に生まれた巨泉は、幼少より絵が得意で、明治25年(1892)、当時堺に住んでいた上方風俗画家の第一人者中井芳瀧に入門しました。
一時、画の修行のため上京しましたが、1、2年で大阪に居を移した師芳瀧のもとに戻り、婿養子となって、師の後を継ぎ、新聞や雑誌の挿絵、刷り物風俗画(『大阪名所』)などの画業を続けました。

明治36、7年頃から各地の郷土玩具に興味を抱きはじめ、主に郷土玩具を描くようになりました。
近代化のもとで廃れていく郷土玩具がもつ庶民美を高く評価し、写生画を残すだけでなく
、郷土玩具研究会を主催、又『人魚』などの研究会誌を発行して、
その民俗学的価値を追求しました。

参考:『郷土玩具の先覚・川崎巨泉翁を偲ぶ』川崎巨泉供養会 1979 759.9-27N

 

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