人魚洞文庫について

更新日:2013年12月24日


 「人魚洞文庫」について

川崎巨泉は、昭和17年(1942)9月、病のため天王寺の自宅で永眠しましたが(墓碑は堺大安寺)、歿後遺作自筆写生画帳116冊が遺族から寄贈されました。それが「人魚洞文庫」です。大正8年(1919)から昭和7年(1932)にかけて写生した画帖『巨泉玩具帖』60冊と、昭和6年より昭和17年頃までの作品を収めた和装『玩具帖』52冊からなり、それぞれに索引3冊と1冊があります。
各帳約40種から70種、郷土玩具だけでなく縁起物、土産物などが描かれ、その総数ははるか5000種を超えます。これらの郷土玩具は巨泉自ら収集・考案したもの、各地の知友から送られたもの、その他、当時郷土玩具研究誌『うなゐの友』を主宰した清水晴風の画や古画・古書を転写したもの、また海外土産の玩具もあり、まさしく郷土玩具の宝庫という内容になっています。
巨泉没後1年後の昭和18年(1943)9月12日から14日の3日間、この「人魚洞文庫」を中心に、巨泉夫人所蔵の肉筆画や諸家所蔵の遺品を加えて、「川崎巨泉画伯遺墨人魚洞文庫絵本展覧会」を中之島図書館(当時大阪府立図書館)で開催し、目録も発行しています。

「巨泉玩具帖」第1巻第1号序文

此玩具帖は余が土俗玩具蒐集に志してより茲に十数年、其数幾千、其れが保存には可なりの努力を要せしも、日を経るに従つて、虫害、破損、散逸等の憂ひなしとも限らず、余暇ある毎に描写して一纏めとなし自ら描くおもちゃ絵の画材となせしものなり。
描出の玩具は自ら各地より蒐集せしものもあれども、過半は斯道の蒐集家より譲り受けしもの、又は各地の雅友諸氏よりの厚意に依て贈与を受けしもの、或は同趣味家の珍蔵品を拝写せしもの等数多あり。
此玩具帖は自分の筆の続く限り巻を重ねて、玩具のみならず、土俗絵馬、お守品、縁起物等も目に触るゝまゝに写して後ちの世の思ひ出となせり。

大正八年春

於碧水居
川崎巨泉記 印

 

「玩具帖」第1冊序文

此写生帖は玩具に限らず絵馬や縁喜物、又はみやげもの、杓子、なんでも、手に入るまゝ写したるものなり。新らしきものもあれば、古きものもあり、新古混合せり。

昭和六年一月
 川崎人魚子記

雅友諸氏より寄贈せられしもの多し。写して其厚意を謝す。

 

リンクマーク「人魚洞文庫」トップページへ