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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 資料展示「ドイツの子どもの本の魅力-翻訳者上田真而子の仕事-」【解説】

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更新日:2017年11月1日


はじめに

 本展示は、ドイツ児童文学翻訳者である上田真而子さんから約500冊の蔵書を寄贈いただいたことを記念して開催いたします。
上田さんは、エンデ『はてしない物語』、リヒター『あのころはフリードリヒがいた』など、戦争と平和、家族、障がい、思春期の悩みなどを描いた多数のドイツの子どもの本を翻訳し、日本の子どもの本に多大な影響を与えてきました。
寄贈された本には、作家のサイン本も多く含まれ、その交流がわかるとともに、上田さんによる書き込みのあるドイツ語の本も多く、翻訳の過程を辿る貴重な資料となっています。
本展示では上田さんの翻訳の足跡をたどりながら日本でのドイツ児童文学の受容を考えたいと思います。

主 催: 大阪府立中央図書館 国際児童文学館
協 力: 一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団

上田 真而子(うえだ まにこ)

 ドイツ児童文学翻訳者。1930年生まれ。京都府立女子専門学校卒業。ドイツ・マールブルク大学で学び、京都ドイツ文化センターに勤務の後、児童文学の翻訳を始める。
1982年に『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ著 佐藤真理子と共訳 岩波書店 1982)で日本翻訳文化賞、1988年に『あの年の春は早くきた』(C.ネストリンガー著 岩波書店 1984)で国際アンデルセン賞国内賞を受賞。
古典作品であるブッシュ『マクスとモーリツのいたずら』(岩波書店 1986)、リヒター『あのころはフリードリヒがいた』(岩波書店 1977)など翻訳作品多数。著書に『幼い日への旅』(福音館書店 1994)などがある。

1.ヴィルヘルム・ブッシュ

マンガ的手法を使った『マクスとモーリツのいたずら』

1865年にヴィルヘルム・ブッシュ(1832-1908)が出版した『マクスとモーリツのいたずら』は、マクスとモーリツがボルテおばさんのにわとりを盗んだり、仕立屋の家の前の橋を壊して仕立屋を川へ落としたり、レムペル先生のパイプに火薬を仕込んで爆発させたりするというもので、絵物語になっており、その滑稽さから今も人気が高い。
日本では明治20(1887)年にローマ字会によって『WANPAKU MONOGATARI』として出版されたのが最初。上田真而子は詳細な研究を基に3冊の絵本を訳しており、原本の貴重なファクシミリ版(1-3)を所蔵していた。

※解説に出てくる資料名(著者名)の右肩にある「()」内の数字は、資料展示リストの通し番号です。

2.ドイツの古典的名作の翻訳

上田真而子は、『マクスとモーリツ』の他にも多くのドイツの古典的名作(含昔話集)も翻訳している。以下に原書の年代順に並べる。

1794年ゲーテ『きつねのライネケ』
1797年ゲーテ「まほうつかいのでし」
1816年ホフマン『クルミわりとネズミの王さま』
1845、56年 ベヒシュタイン『白いオオカミ』
1880年シュピリ『ハイジ』
1910年ブッシュ『黒いお姫さま ドイツの昔話』
1923年ザルテン『バンビ』

『きつねのライネケ』の訳者あとがきより

この『きつねのライネケ』、私はまず編集しながら翻訳し、それを原書とつきあわせてくりかえし推敲しているうちに、おもしろくてたまらなくなりました。そして、はじめは「これはあくどい、いくらなんでもひどすぎる」と思って端折っていたところを、また復活させたりしました。(p.202)

  『まほうつかいのでし』に出てくる呪文

ホークス、ポークス
カッパノオサラ
ミズミズミーズ、たっぷりのみず!
みずあびのみず、もってこーい!

3.ハンス・ペーター・リヒター

『あのころはフリードリヒがいた』の衝撃

『あのころはフリードリヒがいた』(ハンス・ペーター・リヒター、1925-1993)は1977年に岩波少年文庫の一冊として出版された。
当時、日本で出版されていた戦争児童文学の多くは日本人の苦しみを描きながら平和を訴える作品であったため、加害者の意識が徹底して書かれた本書は、日本の児童文学に関わる人たちに大きな衝撃を与えた。
主人公は1925年生まれの「ぼく」。ユダヤ人の少年、フリードリヒと同い年で同じアパートの住人である。仲のよかった2つの家族が、ユダヤ人迫害が進むにつれて疎遠になっていく様子やアパートの住人のフリードリヒ一家への反応が描かれる。空襲が始まり、フリードリヒが防空壕に入れて欲しいと頼む結末は、読者に強い印象を残す。三部作の一作目にあたる。

 「私の出会った本『あのころはフリードリヒがいた』」より

話がとぎれた。しばらくして、氏はつぶやくようにいった。「私は熱心なヒトラー・ユーゲントだった!」
私ははっとした。言葉が出なかった。ソファーに腰かけ膝に両肘をついて手をにぎりあわせ、うつむきかげんにいうリヒター氏。氏が負い続ける心の重荷が、私から言葉を奪った。
リヒター氏は「ぼく」と同じ1925年に生まれている。もの心ついた頃は既にナチ一色の世界、判断力も批判力もまだないままにそれしかない世界に組み入れられ、ほかの世界、ほかの考え方があることも知らずに、十七歳で入隊し、二十歳で敗戦。(上田真而子 『世界』474号 1985年5月)

 4.e.o.プラウエン

非政治的なマンガで抵抗した『おとうさんとぼく』

「おとうさんとぼく」は、1934年12月13日から週刊誌『ベルリングラフ』に掲載され、人気を博した。それまでナチスを批判するマンガを描いていたエーリヒ・オーザー(1903-1944)はe.o.プラウエンというペンネームで、ナチスが台頭する時代に、政治とは全く関係のない父子のユーモラスな日常をマンガで表現した。ドジで子どもの心を持って息子と一緒に遊ぶ「おとうさん」とやんちゃで好奇心の強い「ぼく」のやりとりが丸みを帯びた流れるような線で描かれている。
e.o.プラウエンには、『飛ぶ教室』を書いたエーリヒ・ケストナー(1899-1974)、『プラウエン人民新聞』編集者のエーリヒ・クナウフ(1895-1944)という友がいたが、ケストナー以外の二人はナチスによって命を落とした。(参考『おとうさんとぼく』あとがき)

5.ペーター・ヘルトリング

ヘルトリングとの深い縁

ペーター・ヘルトリング(1933-2017)の邦訳は14冊あるが、そのうち9冊が上田真而子の訳である。障がいのある子どもを描いた『ヒルベルという子がいた』(1978年)、両親を交通事故で亡くした子どもが祖母と暮らす日常を描いた『おばあちゃん』(1979年)、祖父の恋愛と認知症を描いた『ヨーンじいちゃん』(1985年 すべて偕成社)など、家族、障がい、老いなど、日本ではまだまだタブー視されていたテーマを描き、日本の子どもの本に大きな影響を与えた。また、『おくればせの愛』(岩波書店 1992年)は、ヘルトリングが12歳の時、捕虜収容所で病死した父親への複雑な思いを詩的な文章で綴っている。
ヘルトリングは1988年に財団法人大阪国際児童文学館の招きで来日したが、上田は通訳を務めた。

「ヘルトリングのこと」より

ヘルトリングが書こうとしたのは、障害者や老人や子どもなど、いわゆる弱い立場にある人間にこそ現れる人間本来の純粋なもの、喜びにしろ怒りにしろ、はっとするばかりに輝いているもの、生の姿の人間性ではないでしょうか。そしてそれが読む者の心に、強いばかりに曇ってしまうものがあることに気づかせ、例えば健常者とは何だろうという問いになって迫って来るのではないかと思うのです。(上田真而子『JBBY会報』No.48 1988年)

『ヨーンじいちゃん』より

「その年齢とはなんだ、年齢とは?この村とはなんだ? だれにあわせろっていうんだ? だれにえんりょしなけりゃいかんのだ? あのパンツはおれにぴったりなんだ。それでええじゃないか!」(p.100)

 6.ミヒャエル・エンデ

ドイツの代表的作家であるミヒャエル・エンデ(1929-1995)の翻訳は、日本では『モモ』(大島かおり訳1976年、原書は1973年)が最初であったが、上田真而子は、1979年に出版された590頁もある『はてしない物語』を佐藤真理子と共訳で1982年に出版し、続いてエンデの最初の作品である『ジム・ボタンの機関車大旅行』、続編『ジム・ボタンと13人の海賊』を1986年に翻訳出版する。
上田はエンデについて、「エンデはいつの場合でも一旦書き始めると、次々と湧くイメージに心を任せて存分に遊ぶ。全身全霊で遊ぶから、心にあることがおのずから吐露されて、時間にあくせくする現代人批判や、ファンタジー喪失の心の危機が書きこまれる。そうしてそれらが自然発生的にテーマとなる。」と述べている。(『飛ぶ教室』17 1986年2月)

『はてしない物語』より

バスチアンは今読んだところが頭に入ったとたん、ぎくりとした。これは、ぼくじゃないか! (p.139)
「もしかしたら、かれには勇気がないのではないでしょうか?」アトレーユがいった。
「勇気?」幼ごころの君がきき返した。(p.240)

 『ジム・ボタンの機関車大旅行』より

<おどろきの森>は、さまざまな色のガラスの木や、つた類や、変わった花が、おそろしいまでにびっしりと生い茂ったジャングルでした。それでいて、すべてがすきとおっているので、ここに住んでいるたくさんのめずらしい動物がよく見えました。(p.132)

7.旧東ドイツの作家たち

上田真而子は、ドイツが東西に分裂していた時、情報が手に入りにくい東ドイツの作品も積極的に紹介した点にも特徴がある。
特に、ベンノー・プルードラ(1925-2014)の作品は4つあり、幼い少年が自分の“やな”で魚を捕まえる夢を見る『白い貝のいいつたえ』、子どもと大人が組合に寄贈された一隻の船をめぐって複雑な感情をぶつけ合う『ぼくたちの船タンバリ』、幼い少女とこうのとりの雛の関係を描いた『マイカのこうのとり』、流氷に乗った犬のボーツマンを助けようとする少年の物語『氷の上のボーツマン』がある。
もう一作は絵本『しかのハインリッヒ』(フレッド・ロドリアン作 ヴェルナー・クレムケ絵)で、鹿が動物園を抜けて冒険する物語。本展示では旧東ドイツで出版された原書も見ることができる。

8.読み応えのあるドイツ児童文学作品

 上田真而子は多くの先駆的な現代ドイツ児童文学作品を翻訳して、日本の子どもの本の世界に新しい空気を送り続けた。
初めての翻訳作品であるヘップナー『コサック軍シベリアをゆく』は、16世紀ロシアを舞台にした歴史小説で、敵対する民族の視点から同時代を描いた『急げ草原の王のもとへ』と対をなして、戦いの虚しさを訴える。
コルシュノウ『だれが君を殺したのか』は友の死を描いて思春期文学というジャンルを日本に認識させた作品。著者の戦争体験を描いたネストリンガー『あの年の春は早くきた』、ユーモラスで寓意のある絵物語チムニク『熊とにんげん』、思春期の心理を詩的な文章で綴ったリンザー『波紋』、個性的な少女を描いた幼年文学ブレンダー『わたしジャネット1年生よ』など、どの作品も読み応えがある。

 『だれが君を殺したのか』より

今日、ぼくたちはクリストフを埋葬した。
違う、ぼくたちじゃない。
かれらがクリストフを埋葬したのだ。
ぼくは、立ちあわなかった。
教会に行くことは行った。丘の上の、墓地に囲まれて建つ教会。(p.5)

 『あの年の春は早くきた』より

 わたしはそのコックと並んでドアの敷居に腰をおろし、汚いスープの臭いのするおなかにもたれて、「まあ いいよ、まあ いいよ!」といった。
わたしはよくそうしていた。長い間、そうしてもたれていた。彼のそばにいると、いい気持ちだった。そんなわたしをみんなはばかにしたけれども、わたしは彼が好きだった。戦争とはちがっていたからだ。(p.128)

  『熊とにんげん』より

翌朝、熊は毛におりた朝つゆをふるいおとすと、鼻先でおじさんをつついていった。
「おきてよ、もう日がさしてるんだから!」
熊おじさんはうごかなかった。そこで熊はおじさんの両足をひっぱってうなった。(p.68)

  『わたしジャネット1年生よ』より

「へえーっ! なんていうこと? どうして、子どもはまたされるのに、おとなはまたなくてもいいの?ずるいよ、そんなこと! おばさん、そんなにゆびでソーセージをなでまわさないで! はなのあなをほじったゆびにちがいないのに!」(p.77)

 9.同時代のドイツ児童文学翻訳者たち

 上田真而子が活躍した時代の少し前から現在までのドイツ児童文学翻訳者たちを代表的な作品とともに紹介する。
他にもアンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルク「リトルバンパイア」シリーズを訳した川西芙沙(かわにし ふさ 1939年-)、コルシュノフ『ゼバスチアンからの電話』石川素子(いしかわ もとこ 1962年-)など、多くの翻訳者たちがいる。

 植田 敏郎(うえだとしろう)

 1908-1992年。1950年代から70年代にかけてヘーベル、ベヒシュタイン、クリュスなど多数のドイツ語圏児童文学を翻訳紹介。著書に『宮沢賢治とドイツ文学』(大日本図書 1989年)、『巌谷小波とドイツ文学』(大日本図書 1991年)がある。

  高橋 健二(たかはしけんじ)

 1902-1998年。ゲーテ、ヘッセ、グリムなどの研究者であり、翻訳者。ケストナー「点子ちゃんとアントン」、ボンゼルス「蜜蜂マーヤの冒険」(『世界名作選』「日本少国民文庫」新潮社 1936年)を最初に、『ケストナー少年文学全集』全8巻(岩波書店 1962年)他、代表的なドイツ児童文学の翻訳紹介を行う。

 大塚 勇三(おおつかゆうぞう)

 1921年-。北欧・ドイツ・イギリス・アメリカなどの児童文学を翻訳紹介している。主な作品には、リンドグレーン『長くつ下のピッピ』(岩波書店 1964年)、プロイスラー『小さい魔女』(学習研究社 1965年)などがあり、赤羽末吉絵『スーホの白い馬』(福音館書店 1967年)の再話者でもある。

 矢川 澄子(やがわすみこ)

 1930-2002年。翻訳家、作家、詩人、エッセイスト。ヤーノシュ『おばけリンゴ』をはじめに、チムニク『クレーン』『タイコたたきの夢』(3作とも福音館書店 1969年)、ギャリコ『トンデモネズミ大活躍』(岩波書店 1970年)など翻訳書多数。「ぞうのババール」シリーズ(評論社)の訳者としても知られる。

 中村 浩三(なかむらこうぞう)

 1917-2008年。元早稲田大学教授。専門はドイツ語学。プロイスラーの訳者として有名で、『大どろぼうホッツェンプロッツ』(偕成社 1966年)、ファンタジーの名作『クラバート』(偕成社 1980年)がある。他にフェーアマン『少年ルーカスの遠い旅』(中村采女共訳、偕成社 1991年)もある。

 若林 ひとみ(わかばやしひとみ)

1953-2005年。翻訳家、クリスマス研究家。主な翻訳作品にネストリンガー『みんなの幽霊ローザ』『きゅうりの王さまやっつけろ』(共に1987年)、ラフィク・シャミ『片手いっぱいの星』(1988年)、『ナオミの秘密』(1995年 すべて岩波書店)がある。

 松沢 あさか(まつざわあさか)

 1932年-。主な作品に、自殺をテーマにしたプレスラー『だれが石を投げたのか』(1993年)、コルシュノウ『ウーヌーグーヌーがきた!』(いずれもさ・え・ら書房 1994年)、狼を擬人化したファンタジーであるレヒアイス『ウルフ・サーガ』(福音館書店 1997年)などがあり、社会に疑問や問題を投げかける作品を多く翻訳している。

 池田 香代子(いけだかよこ)

 1948年-。翻訳家、口承文芸研究家。哲学的な思想をフィクションで描いたゴルデル『ソフィーの世界』(日本放送出版協会 1995年)、『グリム童話』(「完訳クラシック」講談社 2000年)などがある。また、『世界がもし100人の村だったら』(C.ダグラス・ラミス対訳 マガジンハウス 2001年)の再話者でもある。

 那須田 淳(なすだじゅん)

 1953年-。ベルリン在住の児童文学作家。創作にはドイツを舞台に少年と狼の交流を描いた『ペーターという名のオオカミ』(小峰書店2003年)等があり、翻訳作品としては、妻の木本栄と共訳アクセル・ハッケ『ちいさなちいさな王様』(講談社1996年)等、ミヒャエル・ゾーヴァの絵に関わる仕事が多い。

 木本 栄(きもと さかえ)

 1968-。ベルリン在住の翻訳家。アンネ・エルボー『おつきさまは、よる、なにしているの?』(ひくまの出版 2000年)等多くの絵本翻訳作品がある他、リリ・タール『ミムス-宮廷道化師』(小峰書店 2009年)、ヘルンドルフ『14歳、ぼくらの疾走』(小峰書店 2013年)等のYA作品、夫那須田淳との共訳等がある。

 池内 紀(いけうちおさむ)

 1940年-。ドイツ文学者、エッセイスト。『ゲーテさんこんばんは』(集英社 2001年)などの多数の著書の他、児童書の翻訳では、グリム童話の翻訳や、エンデ『レンヒェンのひみつ』(岩波書店 1992年)、ハウフ『鼻のこびと』(ツヴェルガー絵 太平社 1999年)などがある。

佐々木 田鶴子(ささきたづこ)

 1946-2016年。ミュンヘン国際児童図書館日本語部門の設立に関わる。ホフマン『もじゃもじゃペーター』(ほるぷ出版 1985年)、『白雪姫』(西村書店 1986年)をはじめとするバーナデットの絵本、ユーベ『ちびくまくん学校へいく』(偕成社 1992年)、ライヒェ『フレディ』(旺文社 2001年)等の翻訳作品がある。

 酒寄 進一(さかよりしんいち)

1958年-。和光大学教授。ドイツ文学者、翻訳家。児童書では、コルシュノフ『ちびドラゴンのおくりもの』(国土社 1989年)、コルドン「ベルリン」3部作(理論社2001年~2007年)、ヘルト『赤毛のゾラ』上下巻(長崎出版 2009年)等がある。ドイツの児童文学作家の日本への招聘も行っている。

平野 卿子(ひらのきょうこ)

 1945年-。児童書では、ネストリンガー「金ぱつフランツ」シリーズ(偕成社 1989~1992年)、プレスラー「そばかすジェシー」シリーズ(リブリオ出版 1992年)、メブス『日曜日だけのママ』(講談社青い鳥文庫 1997年)、メアス『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(河出書房新社 2005年)等がある。

 遠山 明子(とおやまあきこ)

 1956年-。児童書の主な翻訳作品に、リンザー『なしの木の精スカーレル』(福武書店 1989年)、ボイエ『パパは専業主夫』(佑学社 1990年)、カイ・マイヤー『鏡のなかの迷宮』(あすなろ書房 2003-2004年)、キンケル他『ファンタージエン』(ソフトバンククリエイティブ 2006-2008年)等がある。

 森川 弘子(もりかわひろこ)

 主な児童文学翻訳作品として、クリュス『笑いを売った少年』(未知谷 2004年)、障がいのある少年を主人公にしたシュタインヘーフェル『リーコとオスカーともっと深い影』(岩波書店 2009年)、プレスラー『賢者ナータンと子どもたち』(岩波書店 2011年)等がある。

 松永 美穂(まつながみほ)

 1958年-。翻訳家、早稲田大学文学学術院文化構想学部教授。児童書の翻訳としては、シャミ『夜の語り部』(西村書店1996年)、プレスラー『マルカの長い旅』(徳間書店 2010年)、レムケ『母さんがこわれた夏』(徳間書店 2013年)、カトリーン・シェーラーの絵本『ヨハンナの電車のたび』(西村書店 2014年)等がある。

 10.新しいドイツの絵本・児童文学作品

 国際児童文学館が収集した近年のドイツ児童文学賞(Deutscher Jugendliteraturpreis 国が主催する唯一の児童文学賞)受賞作品を中心に展示している。
既に翻訳されている作品もあり、ミリアム・プレスラーは摂食障がいをテーマにした『ビターチョコレート』(中野京子訳 さ・え・ら書房 1992年)以来、社会問題を描き続けている。『賢者ナータンと子どもたち』はレッシングの戯曲「賢者ナータン」を題材に、平和をテーマにした作品。
ラーゲルクランツ『あたしって、しあわせ!』は、小学1年生の学校生活や引っ越した友だちへの思いを描き、ナオウラ『マッティのうそとほんとの物語』は家族問題を、ヴィルトナー『飛び込み台の女王』は、飛び込み競技を行う二人の少女の関係を描いている。

解説執筆:一般財団法人大阪国際児童文学振興財団

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