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大阪府立中央図書館 国際児童文学館 所蔵資料「フランダースの犬」

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更新日:2013年11月1日


『フランダースの犬』
(明治41年11月 内外出版協会)ウイダ:原著 日高柿軒:訳述

表紙 挿絵

 昭和50年からテレビ公開され、大ヒットとなった「フランダースの犬」。その歴史は意外に古く、既に明治期には最初の翻訳が出されている。 初めて紹介されたのは明治41年。当時、日本基督教会の牧師として活動し、英文学の翻訳をも行っていた日高柿軒(ひだか しけん、1879~1956)によるもので、題名こそ「フランダースの犬」だったものの、〈清と斑は世に頼る蔭なき寂しい身の上である〉という書き出しからもわかる通り、人物名がネルロは清(きよし)、パトラッシュは斑(ぶち)、アロアは綾子となっていた。
柿軒は明治学院高等部の英文科に学び、明治大正期のキリスト教界を牽引した植村正久に師事した人。その後、この作品は加藤朝鳥や関猛、宇野浩二・菊池寛・池田宣政・林芙美子・村岡花子らによって繰り返し翻訳・出版され、さまざまな訳文が提出されてきた。戦前戦後を通じて高い人気を誇る作品だが、司馬遼太郎によればヨーロッパではあまり人気がないという。
植村正久は明治大正期のキリスト教界の指導者として知られる。その一方、巌谷小波『こがね丸』に妾が出てくるのに苦言を呈したことからもわかる通り、子どもの文化にも関心を寄せていた。フランダース訳出の背景には、柿軒が師と仰いだ植村の存在が影響しているのかもしれない。


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