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「はらっぱ」 No.30 視覚障害児のためのわんぱく文庫について

更新日:2024年2月21日


「はらっぱ」 No.30 視覚障害児のためのわんぱく文庫について

掲載日:2017年3月31日更新

こども資料室

 視覚障害児のためのわんぱく文庫(以下、わんぱく文庫という)は、大阪府域で晴眼児を対象とした文庫活動をしてこられた方々が、視覚障がい児が楽しめる点字や録音された児童書がほとんどないことに気づき、その読書環境の改善を目指して、1981年(昭和56)年に立ち上げたボランティア団体です。35年の長きに渡り、視覚障がい児とその家族を支えてこられましたが、2016(平成28)年4月をもってその活動を終了されました。わんぱく文庫の活動に敬意を表し、その目的を風化させることなく引き継いでいくよう、活動記録として記したいと思います。
 また、代表を務められた福山恭子氏と、わんぱく文庫の活動場所が当館に移ったときに、こども資料室長であった脇谷邦子氏にご寄稿いただきました。なお、福山恭子氏のものは、『わんぱく通信』No.69(2016年4月)に掲載した文章を一部加筆修正されたものです。

視覚障害児のためのわんぱく文庫活動記録

1981(昭和56)年1月15日
「視覚障害児のための文庫を 第1回」開催(盲人文化情報センター)
1981(昭和56)年5月5日
「視覚障害児のための文庫を 第2回」開催(盲人文化情報センター)
1981(昭和56)年6月
『わんぱく通信』発刊
1981(昭和56)年7月5日
NHKより、第3回わんぱく文庫の集まりを取材(7月29日放映)
1982(昭和57)年4月
毎月第2、4土曜日14時~16時、盲人文化情報センターで文庫を開く
1982(昭和57)年4月
代表が井関京子氏から福山恭子氏に代わる
1982(昭和57)年4月24日
読売新聞より取材
1982(昭和57)年8月8日
野外活動 服部緑地公園
1982(昭和57)年12月11日
クリスマス会
1983(昭和58)年3月30日
野外活動 雑創の森学園
1983(昭和58)年12月10日
クリスマス会
1984(昭和59)年6月9日
野外活動 中之島バラ園
1984(昭和59)年7月28日
夏まつり
1984(昭和59)年12月16日
クリスマス会
1985(昭和60)年2月10日
ゲーム大会と餅つき
1985(昭和60)年4月21日
第1回春のコンサート(関西二期会)
1985(昭和60)年7月21日
夏まつり
1985(昭和60)年12月15日
クリスマス会
1986(昭和61)年4月20日
第2回春のコンサート(関西二期会)
1986(昭和61)年7月20日
夏まつり
1986(昭和61)年12月14日
クリスマス会
1987(昭和62)年3月
毎日放送より取材「映像80ドキュメンタリー 私も本がよみたい」(3月15日放映)
1987(昭和62)年8月29日
野外活動 ふえろう村
1988(昭和63)年12月
盲人放送サービス(有線放送)に参加
1989(平成元)年3月
盲人放送サービス「わんぱくだより」放送開始(月2回)
1989(平成元)年4月16日
第5回春のコンサート(関西二期会)
1989(平成元)年6月18日
海のそこのお話(水中カメラマン 大元満氏)
1989(平成元)年8月28日
ヘリコプター見学会(八尾空港)
1989(平成元)年12月10日
クリスマス会
1990(平成2)年4月2日
春のコンサート(伊藤あきひろ氏)
1990(平成2)年9月
わんぱく文庫の部屋が盲人情報文化センター8階に移転
1991(平成3)年3月29日
春のコンサート 歌とリュートとリコーダーの午後(朝日新聞コミュニケーションホール)
1991(平成3)年8月29日
野外活動 ふえろう村
1991(平成3)年12月25日
クリスマス会(朝日新聞コミュニケーションホール)
1992(平成4)年4月7日
春のコンサート(関西笛の会・盲人文化情報センター)
1992(平成4)年12月12日
クリスマス会(盲人文化情報センター)
1993(平成5)年3月27日
春のコンサート(KaVa San Trio・盲人文化情報センター)
1993(平成5)年8月27日
野外活動 ふえろう村
1993(平成5)年12月11日
クリスマス会
1994(平成6)年3月4日
春のコンサート イギリス音楽のたのしみ
1994(平成6)年8月27日
野外活動 淡路島牧場
1994(平成6)年12月24日
クリスマス会
1995(平成7)年3月25日
春のコンサート(大阪芸術大学 小片修・志津恵夫妻によるピアノ演奏会)
1995(平成7)年8月20日
盲導犬訓練施設見学
1995(平成7)年7月
わんぱく文庫の部屋が盲人情報文化センター5階に移転
1995(平成7)年12月23日
クリスマス会
1996(平成8)年3月
盲人放送サービス「わんぱくだより」放送終了
1996(平成8)年5月
わんぱく文庫が大阪府立中央図書館に移転
1996(平成8)年6月22日
1回目おはなし会(子ども30人、大人12人参加)
※9月以降、第2、4土曜日 14時より定例化して実施
1996(平成8)年6月23日
産経新聞に「視覚障害児に読書の権利を」として移転の記事が掲載
1996(平成8)年7月21日
ふれあいコンサート(関西二期会)
1996(平成8)年11月
大阪府立中央図書館こども資料室内にわんぱく文庫資料の書架ができる
1996(平成8)年12月14日
クリスマス会(大阪府立中央図書館 大会議室)
1997(平成9)年3月22日
わんぱく文庫保護者交流会(大阪府立中央図書館会議室 22人参加)
1997(平成9)年5月10日
ふれあいコンサート「Let’s 打楽器! by山彦カウベルズ」
1997(平成9)年8月30日
野外活動 六甲山 オルゴール館と牧場
1997(平成9)年11月22日
八尾市立桂中学校とわんぱく文庫の子どもたちの交流会
1997(平成9)年12月13日
クリスマス会
1998(平成10)年3月3日
ローターアクトとわんぱく文庫の交流会
1998(平成10)年4月4日
子ども科学教室「もし原子が見えたら」講師:西村寿雄先生
1998(平成10)年4月11日
春のコンサート(大阪ユニオン弦楽四重奏団 盲人文化情報センター)
1998(平成10)年8月29日
野外活動 梅小路蒸気機関車館
1998(平成10)年11月4日
平成10年度大阪府社会福祉ボランティア表彰受賞
1998(平成10)年
文部省「こどもの心を育てる図書館活動推進事業」参加
点字本・点字絵本作成
1998(平成10)年12月12日
クリスマス会
1999(平成11)年3月27日
春の親子コンサート「木管アンサンブルのひびき」
1999(平成11)年8月28日
野外活動 伊賀の里モクモク手づくりファーム
1999(平成11)年12月11日
クリスマス会
2000(平成12)年4月1日
春のコンサート みんな集まれ ゆかいなコンサート アンサンブル・マザーグース
2000(平成12)年
野外活動 ふえろう村
2000(平成12)年
クリスマス会
2001(平成13)年7月21日
20周年記念コンサート(関西二期会)
2001(平成13)年
沙弥音(シャミオン)コンサート
2001(平成13)年11月1日~18日
わんぱく文庫20周年パネル展 於大阪府立中央図書館
2002(平成14)年6月1日
野外活動 舞洲陶芸館
2002(平成14)年9月7日
わんぱく文庫コンサート 佐野夫妻
2002(平成14)年12月
クリスマス会「落語を楽しもう」桂吉朝「時そば」
初めて聞く落語に大笑い
2003(平成15)年
ドキュメンタリービデオ『ここには私の読める本がある』制作
2003(平成15)年4月23日
子どもの読書活動優秀実践団体として文部科学大臣賞受賞
2003(平成15)年5月24日
野外活動 梅小路蒸気機関車館
2003(平成15)年8月18日
読売新聞「視覚障害児を読書の世界へ 喜び伝え22年」
2003(平成15)年11月28日
ドーンセンター情報ライブラリービデオ上映会『ここには私の読める本がある』
2004(平成16)年4月4日
琴 ふれあいこんさーと 幻想へのいざない
2004(平成16)年12月14日
クリスマス会 リクエストに応えて「落語を楽しもう」桂吉朝
2005(平成17)年
「視覚障害児のためのわんぱく文庫」ホームページ開設
2005(平成17)年
ビデオ『ここには私の読める本がある』が東京ビデオフェスティバル 2005佳作入選
2005(平成17)年5月21日
春のコンサート ベルリンガーズ沙羅ハンドベル演奏会
2005(平成17)年8月28日
野外活動 大阪市下水道科学館
2005(平成17)年12月17日
クリスマス会
2006(平成18)年6月10日
ふれあいコンサート マイスター・ブラスカルテット
2006(平成18)年12月10日
クリスマス会
2007(平成19)年
『わんぱく文庫図書 : 点字絵本目録』発行
2007(平成19)年5月26日
ふれあいコンサート 魅惑のテノール 楊雪元
2007(平成19)年8月
IFLA Durban、South Africa大会において稲垣房子氏が発表
“Enjoy Reading with Visually Handicapped Children : A Partnership between WANPAKU BUNKO and a Public Library”
2007(平成19)年12月9日
クリスマス会
2008(平成20)年6月1日
ふれあいコンサート ザ・チェンバーブラスによるアンサンブルコンサート
2008(平成20)年12月14日
クリスマス会
2009(平成21)年9月22日
ふれあいコンサート 関西フィルハーモニー管弦楽団弦楽アンサンブル
(新型インフルエンザ流行のため5月23日より延期)
2010(平成22)年1月24日
初笑い・落語会 桂宗助新春落語会
2010(平成22)年6月19日
ふれあいコンサート ハープとフルートの調べ
2010(平成22)年12月
『目の不自由な子どもが読む点訳絵本の手引き:わんぱく文庫の実践から』(弱視の子どもたちに絵本を/編集 大阪北ロータリー クラブ)発行
2010(平成22)年12月18日
クリスマス会
2011(平成23)年
野外活動 大阪北ローターアクトクラブと淡路島牧場
2011(平成23)年6月21日~26日
アーチストをめざした盲目の青年の遺作展「白井翔の記憶」
2011(平成23)年6月25日
ふれあいコンサート わんぱく文庫30周年記念(関西二期会)
2011(平成23)年12月11日
クリスマス会
2012(平成24)年6月16日
ふれあいコンサート「Let’s 打楽器! by山彦カウベルズ」
2012(平成24)年7月30日、8月24日
アイドルグループJK21と親睦会
2012(平成24)年12月
絵本『ぼくの1にち』(福山恭子/ぶん 和田むつこ/え)発行
2012(平成24)年12月15日
クリスマス会
2013(平成25)年4月28日
ロータアクト招待春の遠足 六甲牧場 オルゴール館
2014(平成26)年2月15日
ふれあいコンサート「びわ湖ホール四大テノールコンサート」
2014(平成26)年6月22日
春の遠足 六甲オルゴールミュージアム
2014(平成26)年10月31日
第100回図書館大会において日本図書館協会より感謝状
2014(平成26)年12月13日
クリスマス会
2015(平成27)年1月10日
ふれあいコンサート「わんぱく文庫ファイナルコンサート ~35年の感謝をこめて~」
2016(平成28)年4月
『わんぱく通信』No.69をもって終刊
2016(平成28)年4月
活動終了
2016(平成28)年6月
『わんぱく文庫をささえてくれた人たち』(脇谷邦子/編集責任)発行

※こども資料室注
活動記録は、主に『わんぱく通信』(No.1~No.69)から拾い、わんぱく文庫の代表であった福山恭子氏にご確認いただいたものです。長きにわたる活動ゆえ全て拾い上げることができず、記載漏れもあることと思いますがご了承ください。

「視覚障害児のためのわんぱく文庫」関連雑誌記事

・福山恭子「NPO法人『弱視の子どもたちに絵本を』–わんぱく文庫の実践から生まれました」『としょかん村』2011.4 9号 p.16-19
・福山恭子「視覚障害児のためのわんぱく文庫 白井翔君のこと」『としょかん村』2010.10 7号 p.6-9
・福山恭子「子どもたちとよんだ本 6」『としょかん村』2010.7 6号 p.14-17
・福山恭子「子どもたちとよんだ本 3」『としょかん村』2009.10 3号 p.6-9
・福山恭子「子どもたちとよんだ本 2」『としょかん村』2009.7 2号 p.10-13
・脇谷邦子「大阪府立中央図書館の取組み-図書館とわんぱく文庫のいい関係(バリアフリー図書の普及を願って-図書館と出版の協働シンポジウム報告)」『国際子ども図書館の窓』2006.3 第6号 p.15
・福山恭子、佐藤凉子「Making of Network 視覚障害の子どもたちが読める本を図書館に–わんぱく文庫・福山恭子さんに訊く」『図書館の学校』2004.1 49号 p.2-5
・脇谷邦子「事例報告2 図書館とわんぱく文庫のいい関係」『全国公共図書館研究集会報告書 平成14年度』2003.9 p.87-88
・福山恭子「視覚障害児のためのわんぱく文庫の報告-わたしはとしょかんが大好きです」『図書館雑誌』1998.10 92巻8号 p.616-617
・福山恭子「図書館で本がかりられる!――視覚障害児のためのわんぱく文庫」『こどもの図書館』1997.2 44巻2号 p.2-4
・脇谷邦子「文庫の受入れで肩の荷がおりた」『こどもの図書館』1997.2 44巻2号 p.4-5
・福山恭子「視覚障害児のためのわんぱく文庫–すべての子どもに読書の喜びを」『子どもの文化』1994.7 26巻6号通巻278号 p.67-74
・福山泰子「ひろがれ 場づくりネット 視覚障害児のための「わんぱく文庫」」『みんなのねがい』1991.8 276号 p.72-73
・福山恭子「視覚障害児のためのわんぱく文庫の活動の中で考えること」『こどもの図書館』1991.6  38巻6号 p.2-4
・福山恭子「視覚障害児のわんぱく文庫」『JBBY : Japanese Board on Books for Young People』1987.5 43号 p.9-10
・福山恭子「わんぱく文庫――たか君のこと」『子どもと読書』1985.11 15巻11号通巻171号 p.16-19
・福山恭子「ここには私の読める本がある――わんぱく文庫五年目を迎えて」『子どもの本棚』 1985.5 195号 p.124-128
・福山恭子「視障児のための「わんぱく文庫」のこと」『みんなの図書館』1981.12 55号 p.29-33

わんぱく文庫は35年の幕をおろしました

福山恭子

 2015年1月のファイナルコンサートには、沢山のわんぱく文庫の子どもたちが来てくれてうれしかったです。賛助会員のみなさまも帰りがけに声を掛けてくださいました。
 初めてお会いした方もあり、皆さん最後だと思い声を掛けて下さったのでしょう。1年生の男の子から、「わんぱく文庫がなくなるときいて、なみだがポロリとでました。もうあえないのですか。どこかであえるといいな。おかあさんは、あえるよといってくれました。」何遍も書きなおした点字の手紙がきました。ありがとう。私も涙がでました。

 初めて盲人情報文化センター(現:日本ライトハウス情報文化センター 以下、ICCBという)で文庫を開いた日から35年たちました。沢山の方たちに助けられてここまでやってこられたのです。子どもたちにもいろいろな事を教えられました。良い出会いがいっぱいありました。約300人の子どもたちがわんぱく文庫に登録してくれました。熊本、岩手、岡山、東京と遠くの子どもから、本を貸してといってきました。その頃は見えない子のための本が手にはいりにくかったのです。

 子どもの本専門店で小さな女の子にであったことが、わたしの行く道を示唆してくれました。1980年の8月頃でした。「これだけ本があるのに見えない子の本はないのですね。この子にも本をよませたい」お母さんのつぶやきを聞いたときはショックでした。大子連(大阪府子ども文庫連絡会)の代表をしていた時だったでしょうか?どの子にも良い本を、良い読書環境をと文庫活動の盛んな時でした。茨木で文庫の大先輩の井関さんに相談しました。二人ともICCBの録音図書のボランテイアだったので話しが早かったのです。1981年1月、茨木市でこども文庫を開いていた井関さんと二人で見えない子のための文庫を作ろうとよびかけのチラシを作りました。たしか、新聞に紹介されたと思います。大子連の仲間数人が参加を申しでてくれました。新聞を見て文庫のお兄さんになって遊んでくれた大学生が、電話をくれた時はうれしかったです。(以後文庫の日には、友人と二人で、はらはらするぐらい乱暴に遊んでくれました。一人のお母さんが「子どもたちは、あばれたいのですね。親は危ないからと注意ばかりしていました」と言われたのが印象にのこっています)ICCBが盲学校と未熟児網膜症の会にチラシを送ってくれました。
 1月15日案内のチラシをみて何人きてくれるか、どきどきしながら待っていました。15人の子どもたちがきてくれました。本屋で会った女の子もきてくれました。私は奇跡だと思いました。子どもたちは、お話を乾いた砂が水を吸うように目を輝かして聞いていました。集まった人たちは、改めて文庫を作ろうと決心をしたのでした。

 駄目でもともとと思って当時の岸知事に手紙をだしました。なんと出席したいとお返事をいただいたのです。知事は子どもたちとお話を聞かれ、楽しんで下さいました。秘書に催促されるまで、立たれなかったのを覚えています。以後岸知事には、いろいろ相談に乗っていただきました。
 1984年、関西二期会の事務局長さんとある会でご一緒した時わんぱく文庫の子どもたちの話をしたら、コンサートを開きましょうといってくださったのです。初めて聞く素晴らしい歌声に集まった子どもも大人も感動して涙を流している人もいました。以後子どもたちに本物の音楽をと毎年(30回)ひらいてきました。沢山の方たちにご協力をいただきました。

 1996年、新しく建った府立中央図書館にわんぱく文庫の拠点を移すことができました。子どもたちが図書館の利用者になる…長年の私達の夢でした。図書館の児童室の書架に点字の本が並んでいる。見える子と一緒に本を借りる双子の兄弟がカウンターで嬉しそうに本を借りていた笑顔が忘れられません。ここに来るまで図書館の職員の皆さんがどんなに頑張って下さったか。感謝してもしきれません。有難うございました。
 選書のことなど司書の皆さんには随分助けていただきましたし、図書館側にもクリスマス会やコンサートなどで協力をして頂いたのに残念ですが、イベントをする会場が借りにくくなり、世話人も高齢化の波が押し寄せてきました。

 でも日本で視覚障がい児の文庫はわんぱく文庫だけです。「ここには私の読める本がいっぱいある、お母さん」と初めて文庫に来た時、喜びの声を上げた明石から来た当時3年生の女の子は今は東京都の英語の先生になっています。彼女の喜びの声が私たちの喜びでした。みんなで万博公園にあそびに行ったり淡路島、オルゴール館、フェロウ村に行ったりしたことやクリスマス会でだしものを発表したり楽しいことがいっぱいありました。書いていると淋しくなります。後を引き受けてくださった府立図書館の皆さんに期待をしています。「私は図書館が大好きです」と言った子どもたちの笑顔に応えてください。

 わんぱく文庫の点訳図書を府立図書館以外にも、茨木、吹田、豊中、大阪狭山の図書館やいくつかの学校図書館にもらっていただきました。個人で持って帰った子も何人かいます。さて残った本はどうするか、悩んでいた時わんぱく文庫の足長おじさん、尾山純一氏から救いの手があったのです。「関東、いや全国にわんぱくの精神をひろげましょう。残りの点訳図書を送ってください」と言っていただき、残り129冊の本を送りました。大きな段ボール8箱になりました(点訳すると冊数がふえます)。倉庫を借りて下さり、保存されています。1冊でも多くの子に本が届きますよう子どもたちの身近に手を伸ばせば本がある環境をと祈っています。

わんぱく文庫と大阪府立図書館

脇谷邦子

1.出会い

 わんぱく文庫代表の福山さんとの出会いは1990年頃、私が夕陽丘図書館児童室の担当となってからのことでした。『小公女』を点訳したいが、どの本が良いかという相談でした。『はらっぱ』No.2に小公女の翻訳論を書いたことをどこかでお聞きになったようでした。その際、点訳するためには長期間かかるので、通常の貸出期間では役に立たず、図書館の除籍本を譲り受けられないかと相談を受けました。府立図書館本館の図書は、原則永久保存となりますが、自動車文庫の本は5年程度で除籍になるので、その話を自動車文庫(読書振興課)に繋ぎました。そのことがきっかけで、わんぱく文庫の実情を聞き、なんとか力になれないかと考えて、府立図書館の多くの仲間にわんぱく文庫の賛助会員になってもらいました。

 1992年にわんぱく文庫の活動で、福山さんが伊藤忠記念財団の文庫功労賞を受けられ、その祝賀会に招かれて出席しました。そこで、わんぱく文庫の活動をつぶさにお聞きし、気づきました。府立図書館で障がい者サービスを担当したこともあり、府立図書館はそれなりに障がい者への図書館サービスをしていると私は思っていたのですが、障がいのある子ども(障がい児)に対しては何もしていないと気が付きました。図書館として何ができるだろうと考えましたが、障がい児は図書館に来ないので、何をどうしてよいやらわかりません。そのことは宿題として私の心に残っていきました。

2.新しい場所探し

 それまで盲人情報文化センター(現:日本ライトハウス情報文化センター)で活動場所を提供していただいていたわんぱく文庫ですが、1995年の阪神淡路大震災の影響により、盲人情報文化センターが場所を提供できなくなりました。新たな活動の拠点探しの相談を受けました。福山さんたちは、大阪府盲人福祉協会(現:大阪府視覚障害者福祉協会)の点字図書館はどうだろうか、そのころ、中央図書館の建設が決まっていたので、中之島図書館の部屋が空くのではないか、あそこはどうか、ここはどうかと思い当る所と交渉しておられましたが、どこもうまくいきませんでした。万策つきた時、新しい中央図書館はどうだろうかと、ふと思いつきました。大きな図書館でこども資料室も広いのです。夕陽丘図書館児童室の6倍くらいの広さになります。
 でも、果たしてそんなことが実現可能だろうかと、自信はなかったのですが、当時の富永副館長に賭けてみようと思いました。富永副館長は若い図書館員の勉強会にも顔を出してくれたりして、やる気のある職員を後押ししてくれる方でした。事前には何も言わず、福山さんに会ってもらうことにしました。福山さんの話を聞いた副館長は心を打たれ、実現のために動いてくれました。

3.中央図書館で

 点字本をどこに置くか、「見える子と見えない子がざわめきの中で本を選ぶことを実現させたい」という福山さんの言葉から、開架室のどこに点字図書を置くか、録音図書の保管場所は?点字本を製本するための機器はどこに?貸出発送のための作業スペースは?等々。実際に実現するまでにはたくさんの山がありました。一つ一つ課題を解決していって、多くの図書や機器類がこども資料室のスペースに納まり、サービスが始まることになりました。開架室に点字図書があることで、見える子が「今、障がいのこと勉強してるねん。学校でみんなで見るねん」と言って点字図書を借りていくこともありました。府内のある市からは、保育園に視覚障がい児がいるからと、点訳絵本の定期的な協力貸出の利用もありました。

4.本があるだけではダメなのだ

 わんぱく文庫が開かれるのは第2・4土曜日の午後からです。実際に子どもたちや保護者の人が来られます。見える子も見えない子も一緒に楽しめるおはなし会をします。一緒におはなしを楽しみ、見えない子が点字絵本を読み、世話人の人たちが絵本を見せて、絵本の読み聞かせをしたりします。わんぱく文庫のおはなし会では見える子と見えない子の自然な交流が生まれます。
 文庫のある日の午前中には、おかあさんたちが来られて、世話人の人たちがおかあさんたちの悩みを聞いたりする場を設けたりします。たいていの人たちは、我が子の障がいを受け入れるのに時間がかかります。世話人がおかあさんたちの話をゆっくり聞いて、お相手をして、おかあさんたちの心を解きほぐします。遠足を企画したり、音楽会を開催したりして、子どもたちと保護者の心を解き開いていきます。そうして初めて本が子どもたちに届くのだということを実感しました。
 こんなことは図書館ではできません。ボランティアの方たちと協働してこそ、実現できるのです。これが本当の官民協働ではないかと思いました。

 第1・3金曜日は作業日です。点訳や、音訳する本を決めたり、わんぱく通信を作ったり、製本をしたりという作業をされます。図書館はスペースを提供し、選書のお手伝いをします。世話人の人たちのお話を聞いたり、障がい児と実際に接して、「見えない世界」の理解を深めることができました。

5.科学教室など

 視覚障がい児には科学は難しい、理解しづらいが、科学の本も薦めたいという話を聞いて、科学教室をやってみようと思いました。テーマは色々考えて、原子の世界にしました。これなら、見える子にとっても見えない世界だから、見える子と見えない子と一緒に参加できると考えたのです。仮説実験授業を実践しておられる西村寿雄先生に講師をお願いしました。酸素と水素の原子の模型をつくります。見える子は色を変えたりするのですが、見えない子のために表面の凹凸を変えて、模型を作りました。点字と墨字の資料も用意しました。1998年4月、見える子と見えない子の混ざった科学教室が実現しました。教材作りも含めて楽しかったです。
 他にも、盲学校で音をテーマにした科学遊びをし、あわせて「世界でいちばんやかましい音」というストーリーテリングもしました。後に、子ども点字教室も実施するようになりました。
 わんぱく文庫に来ていた子どもが、中学生になって、職業体験で図書館に来てくれたこともありました。

6.わんぱく文庫を閉じるにあたって

 少子化、メディア環境の変化、世話人の高齢化等々の諸事情により、わんぱく文庫は閉じられることになりました。世話人のみなさんにとって、生き甲斐になっていたわんぱく文庫の活動です。大変だったのは、資料の処分です。てまひまかけて、手づくりで作ってきた点字図書であり、点字絵本であり、録音図書です。思い入れがあります。図書館では点字図書に関しては、原則的にサピエ(※)にあるものは受け入れないことになったので、受け入れ先を探すのに苦労しました。個人も含めて希望者には譲渡し、盲学校や一部公立図書館にももらっていただきました。残った点字図書は、わんぱく文庫のあしながおじさんこと尾山純一さん(株式会社ライブラリー・アド・サービス)が引き受けてくださいました。点訳絵本は、図書館で受け入れましたが、最も困ったのが、録音図書のカセットテープです。受け入れてくれる所がほとんどなく、今の子どもたちはテープレコーダーという再生機器を持っていないとあってはどうしようもありません。機器類の行先を決めるのも大仕事でした。12月初めには全部方がつき、わんぱく文庫は撤退しました。
 中央図書館が開館以来20年、わんぱく文庫とともにあり、障がいのこと、見えない世界のこと、障がい児とその親の生き辛さ、その中で読書のもつ意味、ともに生きるということなど、多くのことを学ばせていただきました。メディア環境の変化により、わんぱく文庫の役割は終わったと言えるのかもしれません。
 子どものための点字図書や録音図書が圧倒的に少なかった時代、わんぱく文庫の果たした役割は大きなものがあります。親も子も、わんぱく文庫で心を開き、仲間を得て、読書や音楽で楽しいひとときを過ごせた意義は大きなものがあります。わんぱく文庫のみなさんと、文庫を支えてくれた多くの人たちに心から敬意を表したいと思います。
 わんぱく文庫とかかわりを持ったことにより、「すべての子どもたちへ読書の喜びを」というキャッチフレーズの中の「すべて」ということでハンディを持った子どもたちのことが、意識にのぼるようになりました。大阪府立図書館では特別支援学校からの見学受け入れや出前おはなし会、乳児院・児童養護施設でのおはなし会、在住外国人の子どもたちも楽しめる「いろんな国の言葉のおはなし会」など、行ってきました。
 「すべての子どもたちに読書の喜び」を伝えるのは図書館の使命ですが、その「すべて」の重みと大切さを教えてくれたきっかけが、わんぱく文庫だったと言えると思います。わんぱく文庫の皆さん、本当に有り難うございました。

※視覚障がい者及び視覚による表現の認識に障がいのある方々に対して点字、デイジーデータをはじめ、暮らしに密着した地域・生活情報などさまざまな情報を提供するネットワーク。日本点字図書館がシステムを管理し、全国視覚障害者情報提供施設協会が運営を行っている。


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