大阪府立夕陽丘図書館だより ゆうひがおか 1996.3 No.65 目次 陽は又昇る! −閉館にあたって− 清水悠子 タ陽丘図書館の歩んだ道 対面朗読のあゆみ 児童室の20年 府立図書館における60年の特許資料サービスに区切り 管理課の裏ばなし 陽は又昇る! −閉館にあたって− 清水悠子  大阪府立夕陽丘図書館は、平成8年3月31日をもってその22年の歴史に幕をおろすことになりました。  すでにご承知のとおり、東大阪市荒本に新しい図書館が完成し、タ陽丘図書館の特許関係を除いたすべての蔵書・資料及び中之島図書館の蔵書の大部分をひきついで、5月10日から府立中央図書館として新しいスタートをきることになった訳です。  新図書館では、コンピューターシステムの導入、オーディオ・ビジュアル資料やニューメディア資料の提供、ホール・会議室といった文化活動の場の提供等々、タ陽丘図書館にはなかった新たな機能を整備して、高度情報化や生涯学習の機運の高まりなどの時代の流れに即応した、総合的な図書館サービスの提供を図ってまいります。  中之島図書館は、大阪の郷土資料や近世和漢資料を中心とした資料センター的機能を持つ図書館として再オープンいたしますし、タ陽丘図書館の建物と特許資料は、4月1日オープンの大阪府立特許情報センターに移管され、図書館からはなれ新しい枠組みでのサービスを目指してスタートいたします。  新図書館は、今までに比べて巨大な施設であり、加えて新しいシステムのもとでの出発には、正直なところ希望だけでなく、大きな不安も感じているというのが本音です。しかし、そこは職員一同のこれまで積み上げて来た実績と、情熱と誠意でのりこえて行く覚悟です。  私が館長に就任したのが昨年の5月半ば、10月半ばには蔵書移転のための休館、そしてそのまま閉館へとなすすべも知らず立ちつくしている間に、時間だけが過ぎて行く、という全くふがいない館長でした。これほどみごとに自分の存在感を失ったまま日々を過ごすのは、私にとって初めての経験です。  そんな私でさえ、夕陽丘図書館に残された日数をカウントダウンしながら惜別の想いにひたっております。ましてや長年−中には開設当初からずっと−この夕陽丘図書館を育て上げて来た職員の人達、そしてこの図書館を愛し、支えていただいた利用者の皆さんの想いは、私などには到底推し量ることはできないと思います。  「夕陽だから沈むのか!」ため息まじりに誰かが云いました。でも考えて見て下さい。沈んだ陽は翌日に又昇り、新しい輝きでこの世を照らしてくれます。沈むから又昇れるのです。  夕陽丘図書館の閉館は、決してエピローグではなく、府立図書館の新しい歴史のプロローグなのです。  「陽は又昇る!」22年の歴史をひきついで昇る新しい陽が、より大きく、より暖かく輝きますよう、どうかこれまで以上のご支援ご指導を賜りますよう心からお願いいたします。  ありがとうございました。(当館館長) 夕陽丘図書館の歩んだ道  夕陽丘図書館の前身は旧大阪府立図書館天王寺分館であり、その母胎は大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所)である。  夕陽丘図書館の歴史を語るとき、旧大原社会問題研究所との関係をひもとかざるを得ないので簡単に記すこととする。  岡山県倉敷の素封家、故大原孫三郎(初代倉敷紡績社長)は、大正8年9月、四天王寺末寺「秋の坊」の敷地を購入して大原社会問題研究所を設立した。  日本における統計学の先駆者で東京大学をある事情で辞職した高野岩三郎博士を所長に、後の文部大臣を務めた森戸辰男、経済学者の大内兵衛、久留間鮫造、櫛田民蔵等の優秀なスタッフにより、社会問題、労働問題等を科学的に研究し幾多の実績を残した。  日本で初めて年鑑という形のものを編纂したのもこの研究所であり、それは今でも「日本労働年鑑」として刊行され続けている。  この特異な存在であった研究所も、当時の国策や資金の問題から昭和12年にこの地を閉鎖して東京に移転することとなり、土地、建物、蔵書の一部を大阪府に20万円という格安な金額で譲渡したのである。  大阪府は、この研究所跡地に昭和25年4月、大阪府立図書館天王寺分館を設立し、譲り受けた蔵書を大原文庫と名付け社会科学分野の学術図書館として出発した。  しかし、当時の府下図書館設置率は低く、府民への図書館サービスを拡大するには社会科学専門図書館としてだけの役割ではいかなくなり、一般的な資料も充実して府民サービスに務める方向に方針を変更したのである。  昭和45年に策定された「大阪府立図書館基本構想に関する報告書」では、府立図書館としての機能を重視し、市町村との連携を展開していくには天王寺分館を改築し、両館が適切な機能分担を図り、効率的な運営と特色を発揮することが求められた。  これらのことを踏まえ、昭和49年4月、夕陽丘図書館は府立2番目の独立館として誕生したのである。  発足した夕陽丘図書館は重点的機能として次の5項目を柱とした。 @ 資料の充実   一般的な基礎資料を幅広く収集し、専門的な資料については大原文庫との関連上、従来どおり社会科学分野に重点をおき蔵書の特色を維持する。 A 市町村に対する補完サービス   昭和26年から実施してきた移動図書館車による巡回サービスを続けるとともに、この数年来活発になってきた家庭文庫、地域文庫に対する貸出を行い、地域における読書普及を図る。 B 児童サービス   内外の児童図書を収集し、児童に対する直接サービスを行うとともに府下公共図書館と協力の上、児童図書館員の養成と資質の向上を図る、また、研究者の実践研究の場として児童文化の向上と児童図書センターとしての役割も果たす。 (なお、この項目は昭和50年7月、児童室開室にあたり設けられた。) C 特許資料、科学技術資料の整備   従来、中之島図書館で収集してきた内外特許資料、科学技術資料は、技術研究者にとって貴重な文献であり特に外国特許資料は国内では特許庁資料館と当館にしか所蔵されていないので、有効適切な運用を図り、関西西地区の科学技術資料館としての役割も果たす。 D 身体障害者に対するサービス   肢体不自由あるいは視覚障害というハンディキャップを負っている府民にも、図書館のサービスはおよばなければならない。当館では、図書の「郵送貸出」および視覚障害者には「対面朗読」を実施するとともに点字による「新着図書目録」を作成する。  以上の5項目を重点に、開館以来22年間、夕陽丘図書館は府民サービスに務めてきたが、市町村に対する補完サービスとしての自動車文庫による巡回サービスは、その後、府下市町に続々と図書館が設置され、平成2年3月末でその役割を果たし業務を打ち切った。  大阪府立図書館天王寺分館から引き継いだ蔵書は、大原文庫の約6万2千冊を含め約20万冊であったが、その後の熱意ある収集努力により、特許資料を除いて約65万冊に達した。  児童サービスは充実の一途をたどり、外国絵本の収集は約8千冊となり、府下市町村図書館は勿論研究者の方々からも高く評価されている。特に、英米の絵本は価値あるものといわれている。  特許資料、科学技術資料の収集・整理・閲覧サービスも多くの利用者から資料調査の利便性を讃えられ、西日本は勿論東海、関東からもわざわざ当館にきて調査する利用者も少なくなかった。  利用しやすい独特の整理方法は高い評価を受け、特許庁からも多くの職員が研修を兼ねて来館し、特許庁長官は着任するたびに視察された。  この特許資料業務は、夕陽丘図書館の閉館に伴い、4月1日から大阪府立特許情報センターとして新しく開始される。  身体障害者サービスのうち、目の不自由な人たちに実施してきた対面朗読は、朗読奉仕者の資質の高さと豊富な資料を持つことにより、その評価は特筆されている。  対面朗読は図書館員と朗読奉仕者が視覚障害者の目の代わりをし、1対1で本を読むことにより、内容の不明な箇所や関連する事項について即座に質問することができ、迅速な対応と的確さは夕陽丘図書館の誇りえる業務のひとつであり、サービスの質の濃さは利用者から常に感謝されていた。  大原文庫は蔵書の質の高さから、その利用頻度は一般資料と比してさほど多くはなかったが、利用のされかたは学術的に価値あることが多かった。  一例を上げると、インドの村落共同体を研究する大学の教授は、その資料を求めて我が国の国会図書館や各大学図書館に問い合わせても所蔵していないため、インドヘ行って直接資料を探したが見つからず、あきらめかけていたところを大原文庫の目録で発見し、大原文庫のレベルに驚嘆された。  また、ある教授は、数年間にわたり東京から新幹線で当館に通い、その研究成果を上梓した。  この教授は、ことあるたびに大原文庫の貴重さ、重要さを称え、職員の対応に感謝の意を表された。  このような研究者はたびたびあり、全国各地の大学から文献複写の依頼は数えきれないほどであった。  利用者から感謝されることも多かったが、反面、苦情も少なくなかった。  閲覧席は学生の利用が多く大概満席で、一般の利用者から入館制度のあり方かを問われることも度々で、また、ここ数年、ホームレスの人たちが大変多くなり、利用者から多くの苦情も出てその対策に苦慮したことである。  多様化する府民の要望に、夕陽丘図書館が22年を有してやっと何とか応えられる態勢になってきたとき閉館となり、館名が消えてしまうことに一抹の寂しさはあるが仕方あるまい。  夕陽丘図書館が鋭意収集した約60万冊の資料は、東大阪の荒本地区に建設された府立中央図書館に移され、中之島図書館からの資料約70万冊と併せて、130万冊の膨大な資料群で新たな図書館活動を展開する。  図書館の評価は、第一が蔵書量であり、二番目は職員の資質である。このことは一朝一夕に培われるものではなく、永い年月を要するものである。(司書部長 加藤和基)  夕陽丘図書館での資料提供には、いくつかの形がありました。その中には、時代とともに役目を終えていった活動もあり、また新しい図書館に受け継がれていく活動もありますが、このたびの閉館にあたって、それぞれに深くかかわってきた人たちの思いはひとしおです。 対面朗読のあゆみ  公共図書館における障害者サービスのさきがけとなったのは、昭和45年ごろ、東京都立中央図書館での視覚障害者サービスと聞いています。  大阪では、昭和49年夕陽丘図書館の建設途中に視覚障害者団体からの要望もあり、対面朗読室が設置されサービスのスタートを切りました。  対面朗読が採られたのは、点字図書、テープ図書の作成はすでに他機関で実施されており、利用者の「いま、読みたい」というニーズにすぐ答えるということでの対面朗読の選択で、図書館における障害者サービスの理論的構築よりも、まずはやれるところからはじめるという館の姿勢が基本となっていました。開館時には、2名の職員で図書の朗読、9時〜17時の利用時間ということでした。しかし実際には、社会人の利用が多く、時間帯も夜間を強く希望され、図書の内容も予想した文学書や一般書でなく、鍼灸関係など自然科学の専門が中心という状況になり、図書館側の対応も9時〜21時、職員3名そして朗読者の登場と実態にあったものに変わっていきました。当時新しい分野のサービスということで、図書館内外の関心も深く、職員も都立中央図書館をお手本に新着図書目録の発行や、朗読講習会、見学・研修と自己学習におわれ、試行錯誤の毎日ながらも朗読力のある朗読者にささえられ、利用者との間をつなぐコーディネーターの役割に徹した日々でした。  環境整備がまだ不充分で駅からの点字ブロックや図書館の建物を音で知らせるコールサインも未設置状態のとき、バス停への見送り途中、はげい夕立におそわれ、全身ボタボタのまま、女物傘の役立たなさをいっしょに涙が出るほど笑った全盲のSさん。  明日からスキーとはしゃぐ職員に雪害の恐さを諭された、雪国出張中に中途失明されたMさん。  朗読講習中、ホントに必要としているものは職業のための本(生活がかかっている)と、性について書かれた本(健常者と同様に生きるため)この2つといい切り、タンタンと指導して下さった全盲のH先生。  職員の肩こりや風邪をいち速くキャッチして、鍼や指圧のオマジナイをして下さった、ご自分も治療者である朗読者のHさん。  20有余年朗読をつづけとおし、昨年は社会功労者として表彰された朗読者のWさん。  と、ひとつひとつが仕事にささえられたあったかい思い出です。障害者の人権保障としての位置が明確にとらえられ、利用者の声が反映出来る現実と、ささえる朗読者の力量の深さが、今日の夕陽丘図書館の障害者サービスにつながったものと思っています。(藤川文子) 夕陽丘の対面朗読が終わって  昨年9月の最後の対面朗読から、はや5ケ月経ちました。白杖を頼りに図書館へ来られていた人達は今どうしているでしょうか。他の図書館などへ足を運んでおられるかしらん。でも「夕陽丘でなければ…」と口にされた方が何人もいました。なぜか。ひと言でいえば“まさに図書館だった”から。豊かな資料群と有能な職員を擁する図書館だったから。  その図書館の活動の一部である対面朗読に目と声で協力させていただいて、私は何と多くのものを貰ったことでしょう。例えば、@相手のニーズに応じて本を読むということは、自分ではとても手を出さない本をも読むことであり(つまみ食い程度だが)世界を広げてもらえた。A決められた日時に図書館へ行き、2時間ぶっつづけで相手にわかるように本を読むためには、心身のコンディションを整えて臨まねばならない。それがひいては健康につながる。B私が目の代わりをし二人三脚で本を読んだ目の不自由な方々、そして担当職員の方々との出会いがあって、私を必要としてくれたことに心があつくなる、などです。  さて、新図書館にのぞむこと。「素晴らしい対面朗読室ですよ」とおききして楽しみにしているのですが、最も大切なことはそこでどんなサービスがなされるかでしょう。新図書館は都心から離れたことで、図書館利用にハンディキャップを持つ人達に対して、ひとつマイナス条件を背負い込んでしまいました。それを補って余りあるサービス、つまり健常者と同じように、求められた資料はいつでも提供できる状況をつくり出してほしいものです。  ところで、私、年とともに記憶力、視力が衰えており、音声訳者としての適性を欠くのではないかと、目下“荒本”との関係を考えているところです。(武田瑠美) いま、自動車文庫のことをおもう  私が自動車文庫の係に配属されたのは昭和55年4月のことです。府内の多くの市町村で図書館がととのい、府立図書館の自動車文庫がその役割を終えたといわれ、撤退をはじめる少し前の時期でした。  同じ府立の、中之島という歴史ある図書館の、歴史ある資料の書庫出納などを担っていたセクションからの異動で、その雰囲気のちがいに少しおどろきました。夕陽丘図書館には中之島図書館にないセクションとして、児童室や視覚障害者への対面朗読、特許資料室、それにこの自動車文庫係などがあり、それはよく言えば多様性に富んだ、言いかえれば雑然とした図書館といった印象でした。  自動車文庫の担当は、出動が月に12回ほどあって、朝9時半頃出発、帰館は4時頃と、出ていることが多くあわただしい職場でした。配属されて初めて出動したのは河内長野市の駐車場で、出かける前に課長から「自動車文庫はそれだけで図書館、いまから図書館長だ」と、恫喝かたがたの激励を受けて出発したことをおぼえています。  言われてみればそのとおりで、車にのせる本の購入から、車への配架、そして駐車場での貸し出し、館にかえってからの統計や予約の本の処理など、おおむねひとりでこなさなければならず、忙しくもありましたが、楽しい毎日ではありました。  自動車文庫は、平成2年の3月に最後の一台が廃止となりその任を終えました。自動車文庫は終焉となりましたが、5台の車がまわっていたときに購入した図書や、それ以外に読書会用にと買い揃えた図書がいま、「読書会用図書」として、約8千タイトル2万3千冊ほどあり、それは市町村の図書館を通じて府内各地域の読書会に利用してもらっています。自動車文庫が府内を巡回したことで、少しでも地域の図書館の創設にお役にたったと信じたいとおもいますが、このようにして廃止となった自動車文庫が、いまそのなごりとして残されたものといったらこの図書群でしょう。  敗戦後復興期の昭和26年12月にはじまり、本をつんで走りに走って39年、当館編『さようなら自動車文庫』によれば、走行の距離は120万キロといいます。この戦後の時代を自動車文庫は、夢や希望、教養や娯楽、大衆社会化といわれて消費の読書、などなど様々な「読書生活」を載せて走り続けたのでしたが、私もその車に乗る機会を得て、わずかながらも、<時代>に同伴することができ、ほんとによかったと思っています。(岡村敬二) 児童室の20年  夕陽丘図書館建設計画当初は児童室を設置する予定はありませんでした。当時は子ども文庫運動が盛んで、文庫活動に携わっているお母さん方が、府立図書館が児童サービスを実施することと、文庫への援助を求めて、府への働きかけを始めました。2期目当選直後の黒田知事が夕陽丘図書館開館直後に児童室開室を決めました。新築なったばかりの建物を改造し、1975年5月、1階の隅に広さ90u、開架冊数5千冊のささやかな児童室がオープンしたのです。  20年の間に着実に児童奉仕のノウハウを蓄積し、蔵書も6万冊に増えました。市町村図書館の支援に役立てようと国内外のレファレンスブックの収集・整備に努め、国内児童書については網羅的に収集し、「なつのほんだな」「あきのほんだな」「大阪府立夕陽丘図書館じどうしつだより・はらっぱ」を毎年刊行し、市町村図書館への情報提供に努めて来ました。  当館の蔵書の特色は外国語の絵本の収集です。開館前から収集し始め、毎年コンスタントに購入し続けて来ましたので、今では質量ともに国内有数のコレクションとなっています。特に英米のものはよくそろっています。  和図書も20年の蓄積がものを言い、ようやく、市町村の図書館からあてにされはじめ、府内の図書館はもとより、府外の図書館からも本の貸出やレファレンスの問い合わせが少なくありません。  1985年に大阪府立国際児童文学館がオープンしたときには、府立図書館の児童奉仕は必要なくなったのではないかとも言われましたが、児童文学館は研究機関です。児童文学に対するレファレンスには答えることができても、府内の図書館サービスの状況の把握や、児童室の運営方法や、児童奉仕の細かい奉仕技術について、児童文学研究者が把握することは困難です。市町村の図書館への支援は府立図書館だからこそできるのです。  というわけで、新図書館ではこども資料室を設け、500uのスペースに、開架2万5千冊、研究資料コーナーやおはなし室も設け、来館する子どもたちにとっては本との楽しい出会いの場に、市町村の現場の児童図書館員にとっては頼りがいのある存在になることをめざしています。(脇谷邦子) 府立図書館における60年の特許資料サービスに区切り  中之島の地に大阪図書館が創設された明治37年(1904)の12月に日本特許を受入れたのが特許資料収集の最初である。昭和11年特許庁から外国特許明細書の継続貸付を受けることになったのを機に特許部を新設し、公報類の分類別整理を始め、専門の閲覧室を設け利用相談に応じるようになり、本格的サービスがスタートした。今年はそれから数えて60年目に当たる。  昭和28年には商工資料室を開室、特許の他にPBリポートや内外科学技術雑誌、商工名簿、業界紙等を含む幅広い商工資料サービスを行うようになったが、昭和49年夕陽丘図書館へは特許資料とリポート等一部科学技術資料を移し、以来特許を中心としたサービスを展開し今日に至っている。  当館の特許資料は外国特許も豊富で、特許庁万国工業所有権資料館に次ぐ集積場所として西日本におけるセンター的役割を果たしている。古くからの資料が揃い、主要特許が分類別整理されていること、運用面では開架室や公開書庫で分類順配架を維持し、自由に効率的な調査が出来ることが大きな特色である。また抄録・索引を整備する、利用ノウハウを「タ陽丘図書館特許資料調査の手引」にまとめる等、常に利用者の立場で資料の組織化・活用に努めてきたことが利用者に喜ばれ、利用しやすいとの評価を受けてきた。  近年は特許情報の電子化が急速で、ここ数年は内外の特許明細書そのものもCD‐ROMに変わり、紙資料を基本にしてきた当館のサービスも転機に差しかかってきた。ちょうどこの時期に新府立図書館の建設があり、また関西特許情報センター(仮称)構想が起こって、さまざまな検討の結果、平成7年度末を区切りに特許資料は図書館から離れ新しい枠組みでのサービスを目指すことになった。平成8年度は資料・建物を引き継いで大阪府立特許情報センターが開設される。年度内に施設の改修工事を行い、平成9年3月には近畿通産局特許室・発明協会大阪支部・弁理士会近畿支部も集合し、関西特許情報センター(仮称)としてスタートする予定である。知的財産の重要性が高まり企業内でも体制整備が図られている。しかし共同して利用する施設の意義は高い。紙から電子化への変化の著しい状況に対応してどのような資料・情報システムを構築するか、情報活用・情報発信をどう進めるか、集合機関相互の連携など検討課題は多いが、利用者のニーズに即応した運営により特許情報に関する総合的知的インフラとしての機能が発揮されていくことを期待したい。(特許資料課) 大阪府立特許情報センター 平成8年4月1日オープン 〒543 大阪市天王寺区伶人町2−7 ≪現夕陽丘図書館≫ 交通:地下鉄「四天王寺」駅下車    南へ徒歩約3分  技術革新の進展や産業活動の国際化を迎え、特許情報サービス機能の強化を図るため、現夕陽丘図書館の特許資料部門を引き継ぎ、平成8年4月1日から「大阪府立特許情報センター」としてオープンするとともに必要な施設改修工事を行います。 管理課の裏ばなし  もう22年も経過したのだろうか……?  昭和49年5月に夕陽丘図書館が開館してから、管理課の守衛さんらと裏方の仕事をしてきた。上町台地に点在する寺院や名所に囲まれ「文化の香りがいっぱいの図書館」ではあったが、意外とハプニングも多かった。そんな感慨もこめて裏方話をひとつ、ふたつ。  図書館へは、不特定多数の方々が来館される。図書館の対応についての不満から激昂されたり、いろいろな事情もあるのだろうが、利用者どうしの口論から喧嘩に発展することもあった。管理課長を中心に両者の言い分を聞き調停に入るが、感情のもつれを制御するのは難しそうだ。  体調をくずされた利用者に救急車を呼ぶことなどもする。かなり意識がはっきりしていても、素人判断はできないと思ったことがある。4年程前、2階閲覧室で利用者が倒れられた。意識ははっきりしていて、自分で歩いて救急車に乗られたが、一週間程のちに死亡されたとご家族の方から連絡をいただいた。  盗難事件があり、現行犯とおぼしき人物を呼んで110番通報した。警察官が事情聴取の時、持ち物の中から七つ道具が出てきて連行ということになった。  よく思い出話にでるKさん。恰幅がよく堂々とした体格は、いかにも強そうであった。Kさんは、上半身ほとんどはだかで来館した。そのことがまずトラブルの原因で、急いで注意書きに、はだかでの入館は禁止の文字を入れなければならない。席には座らず、1階カウンターの端に英字新聞などを広げメモ書きをする。おそらく政治面か社会面かと思うが、記事を読んでいくうちに興奮してきて大声を出すなどで、何度も注意するということがたびたびあった。非常に知識が豊富で、よく弁がたった。守衛等との言い争いや、世相に対する演説に閲覧室の利用者から拍手があったりした時は、苦笑せざるをえなかった。守衛もトラブルの最中、制帽を飛ばされたり、ネクタイを引っ張られ、首を絞められたり必死で「Kさんにはかなわん」と課内で話していた。そのKさんがここ10年ばかり姿を見せない。どうしているのだろう?まもなく、22年間の夕陽丘図書館の歴史も幕を閉じようとしているのに……。  「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のたとえどおり、思い出とは、人間とは不思議なものである。  夕陽丘図書館は4月1日から特許資料情報センターに移管されるが、図書館の建物があるかぎり、いや、将来建物が取り壊されても、我々の心の中に永遠にそびえ立っていることだろう。(管理課) 大阪府立中央図書館 平成8年5月10日オーブン 〒577 東大阪市荒本北57−3番地 TEL06−745−0170 交通:近鉄東大阪線「荒本」駅下車    西北へ徒歩約5分  生涯学習、高度情報化時代にふさわしい総合的な図書館サービスを提供するため、東大阪新都心に世界都市大阪の文化を象徴し、時代のモニュメントになりうる「大阪府立中央図書館」を平成8年5月10日に開館します。 編集・発行 大阪府立夕陽丘図書館       〒543大阪市天王寺区伶人町2−7       TEL 06(772)4660