H22年度 大阪府立中央図書館主催 府民講座ステージ1

   上田正昭先生講演会

国のまほろば「大和」再考

 日本では都が京都にうつされるまで、古代の政治の中心地はほとんど大和におかれていました。そして大和の地域にはそのことを裏付ける多くの遺跡がのこっています。本講座では古代の大和に関わる最近の話題をとりあげ、上田正昭先生(京都大学名誉教授、大阪府立中央図書館名誉館長)にお話いただきました。


第1回 6月26日(土)   午後2時30分~午後4時  
テーマ
 「邪馬台国問題の謎に迫る~纏向(まきむく)遺跡と女王卑弥呼~」
  • 平成21年秋、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から邪馬台国の女王卑弥呼が存在した3世紀前半と同時期にあったと考えられる大型建物跡が見つかりました。纏向(まきむく)遺跡の近くには卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳があり、邪馬台国畿内説にたてば纏向(まきむく)遺跡がその最有力候補地とみなされています。第1回講演では、纏向遺跡と邪馬台国の関係についてお話いただき、邪馬台国畿内説について検証していただきました。
   第1回講演会上田先生写真


第2回 
7月4日(日) 午後2時30分~午後4時
テーマ 
「平城遷都1300年の歴史的意義」

  • 平成22年は都が藤原京から平城京にうつされてから、ちょうど1300年になります。藤原京は日本最初の中国の都城にならった都として造営が始まりましたが、わずか16年で平城京に遷都されることになりました。第2回講演では、平成22年が平城遷都1300年にあたることをふまえ、本格的な宮都として造営された藤原京が短い間に再び遷都されるに至った原因を考察し、平城京へ遷都した意義についてお話いただきました。
   第2回講演上田先生写真

講師:両回とも
 上田正昭
 先生(京都大学名誉教授・大阪府立中央図書館名誉館長)
会場:当館ライティーホール



<受講者のみなさんの感想です>(抜粋)

■第1回
  • 先生の『三国志を読み込んでこそヤマタイコクの話ができる』といわれたことばがすごく深く思いました。こういう事を言われた先生ははじめてでしたので、さすが『上田先生は違う。深い』と思いました。
  • 日本の発祥について、興味と未知の部分が多少あり本日の上田先生の講義でよりその興味をもつことが出来ました。又その根底には中国と韓国との深い絆がある。上記の対中国、韓国とのつながりについて今後のテーマの一つとして講演を希望します。
  • たいへん興味深くておもしろかったです。三国志の資料もわかりやすくてなじめやすいと思いました。まきむく遺跡についても、とても興味をかきたてられました。ありがとうございました。
  • 三国志を正確に読み解くということの重要性を改めて認識しました。学問の基本ですね。海南島へ行ったことがありますが、熱帯性の気候で日本とは全く違います。三国志の著者がなぜ混同したのか不思議でなりません。
  • 府民講座の開催ありがとうございます。生涯学習の1つとして、歴史を学ぶことはとてもうれしいことです。特に昔から論争のあった邪馬台国の問題は興味がつきないものです。私も畿内説を信じていましたが、上田先生の話を聞き、自信を持てました。早くまきむく遺跡の発掘が進むことを望んでいます。7月4日の講座も楽しみです。今後「いとかわ」を旅した「はやぶさ」のこともあり、宇宙の話など取り上げてもらえればありがたいです。
  • 邪馬台国問題は一筋縄では解けないとかねがね思っていましたが今回の講義でなおその感を深くしました。各史書の読み方など相当研究しなければ謎は解けそうもありませんね。上田正昭先生の長年のご研究に深い敬意を抱きました。
  • たいへんわかりよいお話を聞かせていただきました。倭人伝を三国志のなかで東アジア情勢に即して正確に読むことの大切さがよくわかりました。
  • 先生のお話は、やや「古典文献学」的な従来の解釈の紹介が多きに過ぎ、最新の物証的な現地調査に基礎研究の重点を置いた観点が、やや不足気味に感じられました。(放射性同位元素の崩壊年代による歴史資料の年代測定法等文献の解釈法よりも優先されるべき実証的研究手法があるのでは?)
  • 邪馬台国問題を学際的に研究する重要性を認識しました。三国志を正しく読むことの大切さ、東アジアの政治の視点、たいへん有意義でした。
  • 大変興味のあるお話で面白かったですし、古代への思いを深めました。その思いを持って、又奈良を訪れたいと思います。     
  • 邪馬台国の畿内説の根拠を明示して頂いたので、嬉しく今後の発掘作業に期待しています。先生は冗談めかしておられましたが、本当に悠長なことはして居れません。文科省の川端大臣は前原大臣に比べて頼りないですね。それにしても先生の後輩で私の高校時代の同期生だった都出比呂志(阪大名誉教授)さんが、病に倒れられ、口がもとらず頭ははっきりしておられるにも拘らず、力を発揮できないのが残念でなりません。今年の10月には高校卒業後の50周年の同期会を予定していますので、お会い出来ることを楽しみにしている次第です。     
  • 先生のお話しをお聞きし、同時に手話通訳の方が通訳されたのを見て感動しました。

■第2回
  • 大藤原京と云われ真中に宮を築き、多くの経費と人力で天武の意志を継いだのに何故16年で捨てたのか?人民のトップ左大臣石上朝臣麻呂が留守に残されたのか?まさか石上麻呂が大反対していたとは、、万葉集の元明天皇と姉の御名部皇女の歌から良く理解できる。又、短命の理由が(1)天子南面に反す(2)津がない(3)トイレを流す川がない(4)706~707年にえき病と日照が続いた(5)遣唐使の問題ー大いにうなづける。702年以降の遣唐使は文化外交に変化していったのも初めて気づいたし、藤原不比等が大国中国との関係維持に全力を傾け北けつ型の都造りに熱意をぶっつけ、強行に大人事異動をやってまで倭国百年の大計を立て平城遷都を実施したのだろう。後世の藤原貴族を作り上げ悪印象しかなかったが彼の政治決断と手腕が今日の日本の礎を築いたのだろう。
  • 水環境を専門にしていますので、都市の容量ー(排水)が遷都の目的と思っていましたが、東アジアの政治状況が大きな要因との先生の説は大変興味深く参考になりました。
  • 実感せまる歴史で参考に成りました。大阪のことも詳細に理解できました。
  • 上田先生の深い知識、特に漢文の知識のお話はとても興味深く毎回楽しみです。どうしてあれだけの知識がおありか不思議です。来年も必ず来させて頂きます。
  • 平城遷都1300年に合わせての本日の講座を興味深く聞かせていただきました。奈良市内で行われている関連行事には各方面から多くの人が奈良を訪れ、本日の新聞報道によると予想をはるかにうわまわる人数(本日にて)が訪れているようです。今、この時代に興味・関心が集まっているものと思います。古代史ブームと歴女の増加のせいでしょうか。また本日の上田先生のご講演は非常にわかり易く楽しく聞くことが出来ました。また資料をもちいた古代の様子もなるほどと思われるお話も“うん”と言わざるを得ない講演の内容だったと思います。ありがとうございました。
  • 奈良時代の人々が苦労して、つくりあげた歴史があるからこそ、1300年後ふりかえる値うちがあることがよくわかりました。とてもよかったです。
  • とても興味深いお話でした。昔の人々の方が自国に対し、熱い思いを持ち、命をかけて国を作ってきた事に感銘し、自分さえよければ・・・との今の政治家にこの思いを持ってほしいと思いました。上田先生ありがとうございました。
  • 今回のように府民講座といっても、年令・男女に関係なく、多くの人に府民に注目されるテーマであった事はやはり、たくさんの人にアピールしたものだと思います。上田先生にもすでに他で講演をお聞きしており、歴史的学問にも詳しくすばらしい学識にうら打ちされて、聞く人を時代の流れにつれて行ってくれます。これからも関西が歴史に登場する事件にふるさとのかかわりを学問的に講演いただければ大変うれしいです。