金原瑞人さん講演会「12歳からの読書‐言葉・ことば・コトバ‐」 (要旨版)

こんにちは、金原です。 僕は大阪には人気がないようで、15年ぐらい前に一度呼ばれたきりで、それきり声がかかりませんでした。なので今日はうれしくて3時間、いや5時間くらい話そうかと思っていたら、1時間だけにしてくれと言われてとても残念です(笑)。

図書館から呼ばれるときは、中・高・大学生向けの本の話をするか、あるいは翻訳のおもしろさについて話をするかで、両方話すとそれぞれ2時間かかります。今日は、両方合わせて1時間でかいつまんでお話します。

男の子は本を読まない?

週刊マンガ誌『少年サンデー』と『少年マガジン』の創刊号展示画像
週刊マンガ誌『少年サンデー』(小学館)と『少年マガジン』(講談社)の創刊号、いずれも昭和34年創刊。

最近よく言われる「若者の読書離れ」という言葉ですが、実は団塊の世代、今60歳以上の方が子どもの頃に言われた言葉です。ですから、すでにもう50年以上「子どもの読書離れ」と言われ続けてきているわけです。

戦後、マンガが大ブームになってたくさんの月刊マンガ誌が出ました。団塊の世代から我々の世代、60代から50代半ばぐらいの人々が若い頃に読んだのは、おそらく『ぼくら』『少年画報』『冒険王』といった月刊誌ですが、ちょうどその頃に『少年マガジン』『少年サンデー』という週刊のマンガ雑誌が出はじめ、両方が競合しあって、そしてついに週刊誌が優勢になって月刊誌がなくなっていきます。その過渡期に僕はちょうど小学生時代で、おもしろくてたまらず両方読んでいました。そして、家に帰って観るのはテレビでした。

それ以前から、子どもたちがテレビを観たりマンガを読んだりし始めて、「子どもが本を読まなくなった、読書離れだ」と言われ始めます。それから50年たって、その人たちは60代以上になり、今やお孫さんがいらっしゃる時代になりました。ですから、今さら「読書離れ」と今の子どもだけを責めるのはかわいそうで、今の世代には今の世代にあった読書があるのだと思います。

よく、「小学校の頃はどんな本を読んでいたのか?」と聞かれますが、僕は小学生のときには本を読んでいませんでした。

小学校の頃は、マンガとテレビ、放課後はドッジボールかキックベースをして、そのあと図書館の前に行って、手を洗って水を飲んで帰るという、それが普通の日課でした。僕は岡山出身ですが、ふとその頃を思い出してみると、岡山のいなかの男の子は、ほとんど本を読んでいませんでした。女の子は読んでいました。

小田急線のなかで

18歳の時、東京で小田急線に乗っていると、目の前に小学校の3、4年生の男の子と女の子が座って話していました。女の子の言葉でふと耳に入ったのが「夏目漱石」。ほう、東京の女の子は、夏目漱石を読んでいるんだな、と気になって聞いていると、「○○君、夏目漱石知ってる?」。男の子がしばらくして「うん」。絶対嘘だろうって顔なんですけれど(笑)、女の子は「吾輩は猫である」を読んだ感想を話している。そのまとめ方がうまくて感心しました。

金原瑞人さん画像
金原瑞人さん

で、その女の子がさらに「○○君、シェークスピアって知ってる?」。いきなりランクアップしたなと驚いていると、男の子はしばらくして「うん」。女の子が「私ハムレットを読んだんだけど、難しくて長くてわからなかった。でもロミオとジュリエットは感動しちゃった。○○君、ロミオとジュリエット読んだ?」男の子はしばらくして「うん」と言ったんだけど、男の子もさすがに何度も「うん」だけではまずい、何か言わなくてはと思ったのか、「ロミオはおもしろかったけど、ジュリエットはつまんなかった」。

そのとき、「あっ!君も僕と同類だね」と思ったんです。僕が小学校の頃、岡山市はとても図書館環境が良かった。小・中学校の図書館には、必ず司書の先生がいらしていつでも開いていました。にも関わらず、男の子は行かなかった。正面には、岩波書店や福音館書店の「良い子のための本」が置いてあって、男の子はそこには行かない。週に1回の読書の時間にはずっと離れて端においてあるポプラ社のけばい表紙の『怪盗ルパン』や『怪人二十面相』などを読んでいました。

読書の時間

ある時、週に1回の読書の時間があり、何か読まなくてはいけなくなった。入って歩いていると、ある女の子が何を思ったのか、僕を捕まえて「金原君、おもしろい本ある?」と聞くんです。僕はそんな質問が飛んでくると思いもしなくて、ふと横を見たら、たぶん講談社の子どものための「日本文学全集」がずらっと並んでいた。その1冊を見て、「うん、ちゃがわ(芥川)龍之介!」って大きな声で言いました。そしたら、「金原君…、それはね『ちゃがわ』じゃないの」。そういう経験があって、小田急線の男の子とは妙なシンパシーを感じてしまったわけです。

岡山の男の子があまり本を読んでなかったという話を、この間東京の小学校の先生にしたら、「東京でも男の子は読んでいません」って言われました。「何だ、全国どこでも男の子は本を読んでないんだ」ってことがわかったわけです。おそらくそれは日本に限らず、ヨーロッパ、アメリカ、どこでも同じで、男の子は小学校の頃にはあんまり本を読んでない。なんで男の子は本を読まないかというと、本の読み方がわからないんです。

というと、女性の方は「えっ!」という顔をなさっていますけど、男の子をお持ちならおわかりでしょう。女の子と比べると、小学校の時は男の子は今一つ鈍い。女の子はすんなりと本の世界に入っていける。ところが、考えてみれば本の世界は、とても入り込むのが難しい世界なんです。

皆さん普通に本を読んでいらっしゃる方ばかりなので、えっと思うかも知れませんけれども、昔を思い出して下さい。幼稚園から小学校に入って、2~4年生ぐらいになると感想文を書かされて、「女の子ってなぜあんなに感想文を書けるんだろう」って思った男の方はいらっしゃいませんか?

僕は、感想文の時間が嫌いでした。感想文を書いて、返してもらうときに先生から「金原くん!あらすじは書かなくて良いと言ったでしょう」って必ず言われました。そんなことは、男の子はわかっているんです。なのになぜあらすじを書くか。あらすじを書かないと枚数が埋まらないからです。小学校の国語の先生、そういう男の子をあたたかく見守ってください。

物語をイメージすること 歌舞伎・狂言

本を読むのは難しい。例えば、芝居あるいは歌舞伎を考えてみてください。城下町であったり、お城の中の殿中であったりちゃんと背景があります。そこでそれなりの衣装をつけて、「大石はまだか!」「まだ参りません」「遅かりし内蔵助」などという話をやっていて、舞台で観ていれば情景が直ぐわかります。

ところが狂言になるとどうでしょうか。

太郎冠者と次郎冠者がいて、主人が二人に「これはブスという猛毒であるから食べるなよ」と言い置いて出て行く。次郎冠者と太郎冠者は、ブスが砂糖だとわかっているからぺロッと舐めちゃって空っぽになる。次郎冠者が「どうしよう」と言うと、太郎冠者が主人の大事な掛け軸をトンカラリンと破って、そこにあった大切な壺かなんかもガシャンと割って、主人が帰ってくるとわんわん泣いてみせる。主人が「どうした?お前たち」と言うと、「二人で相撲を取っていて、掛け軸が破れ、壺が割れてしまいました」。「われわれは死のうと思って、一生懸命毒を食べても食べても死のうに死なれず」というわけです。

舞台には掛け軸も壺もありません。トンカラリと割る仕草をするだけで、あとは観客が想像する以外にない。つまり歌舞伎と狂言の世界が違うのは、狂言の世界というのは観客が想像する部分がこんなにたくさんある。観ている方には、たぶん掛け軸が破れる、あるいは壺が割れる様子が頭の中で見えているはずなんです。

京都の狂言のお家で茂山家というのがあって、そこの宗彦さんが話されたおもしろいエピソードがあります。宗彦さんは最近、幼稚園や小学校に行って狂言をされているのですが、小学生はさておき「幼稚園児にわかりますか?」って聞いたら、「この間、京都のある幼稚園に行って『柿山伏』をやったんです」。「柿山伏」という狂言がありまして、途中、山伏が柿を木からもいで食べて、そしてまたもいで食べて、というしぐさがあるんです。幼稚園ですから、能舞台なんかもちろんなく、お遊戯室で、周りに2~30人の園児が体育座りで座っている前でされたんですね。

そしたら2回目に柿をもいだ時、女の子が「おっちゃん、そこ柿ないで!」と言ったそうです。そう言われて、宗彦さんは「どこにある?」って聞いた。園児の「あっち、あっち」という声に、「あっ、ここか」と言って話を繋いだというエピソードを紹介してくださいました。つまり、園児には柿が見えているんです。それを見させる役者も役者、素晴らしいと思いますけど、それを想像力で補って柿をそこに見てしまう人間というのはすごいなと思います。

落語 ~言葉だけのシンプルな表現~

これをさらにシンプルにすると、落語になる。舞台の上に高座があって、座布団を敷いて、演者・噺家さんが一人で何役もやります。

「こんちは、大家さんいますか」「あっ八っつあんか、こっちへお入り」「で、どうしたんだい?」。「あのね、キリンってなんであんなに首が長いんですかね」「それはね、頭が高いとこにあるからしょうがないだろう」というような話をするわけです。落語家が一人で何役かを演じ分けているわけで、これはとてもおもしろい芸能です。

考えてみると、想像力の方向性にはいろいろあって、立川志の輔が、おもしろい例をあげています。噺の枕で「人間の想像力の方向性って色々あってね」という話をよくします。非常にストレートな例えはハイジャック。飛行機の操縦室に男が出刃包丁を持って飛び込んでくる。機長の首筋に出刃包丁を突きつけて、「ロンドンにやれ!」機長はあわてず、「バカなことを言わず客席に戻って座っていてください」と諭す。激高した男は「ロンドンと言ってるだろうが!」。ところが機長は「バカ者!黙って向こうに座ってなさい、この飛行機はロンドン行きだ!」。こういう非常にわかりやすい、想像力をそれ程必要としないネタもあれば、全く違う方向性のネタもあります。

眼科の話なんですけど、患者が入ってきて言います。「先生、私コーヒーを飲むと右目が痛くなるんですよ。どうしてでしょうか?」「おかしいな、そんな症例聞いたことないんだけど。そこにコーヒーあるから、ちょっと飲んでみてもらえますか」「ハイわかりました」「(それを見て)わかりました。コーヒー飲むときはスプーンとってください」。

わからない方は家に帰って考えてください。これは想像力を多分に必要とする世界ですが、これだけの話の中でその理由・情景が頭に浮かびます。その想像力はすごい。たぶん他の動物にはできない。人間の想像力っていうのは言葉だけで、情景を想像してしまうんです。

読書の難しさ

この究極的な形が本なんです。落語よりももっとシンプルな白い紙にぽつんぽつんと記号しかない。これを見て状況・登場人物を想像して、物語を想像していくというのはいかにむずかしいか。やっと男の子が本が読めないという理由に近づいてきたんですが、男の子はなかなかそこに飛び込んで行けない。白い紙に浮かんでいるぽつぽつという記号をどういうふうに頭の中で変換すれば、物語が想像できるのかわからない。

昔3Dの絵本で、ごちゃごちゃしているものが見方によって飛び出してみえるというのがありました。僕の母親はいつまでたってもそのコツがわからなかった。もっとわかりやすい例で言うと、小学生の頃、逆上がりがいつまで経ってもできない子がいました。しかし、何度も何度もめげずにやってるうちに、逆上がりもいつかできるようになる日が来る。3Dも見えるようになる時が来る。

でもそれが男の子は遅いんです。ですから、読めるようになるまで男の子をじっくり待ってやってほしい。読めるようになるのは、男の子は中・高校の頃です。そういう苦労を経て、中・高校の時に本のおもしろさを知った男の子は強い。いきなり「あっすげー、おもしろいじゃん」って発見がそこにある。そうすると、いきなり読み始めてどんどん読むようになる。それが絶好のチャンスで、良い本をさりげなくそっとさし出してやってほしい。そうするとスイスイと読むようになる。そこをいかにたぶらかして、男の子を本の世界に誘い込むかというのが、司書の先生や国語の先生の務めだと思います。

12歳からの読書で大切なこと

『12歳からの読書案内』表紙画像
『金原瑞人[監修]による12歳からの読書案内』すばる舎 2005年

ところで、僕は『12歳からの読書案内』(1)という本を出してます。新しい本のなかから、中高生の頃からこんな本を読んでるとおもしろいかな、と思えるものを選んでいます。

この本は3巻出ていて、1冊目は日本の本、2冊目は海外の本、3冊目は、また日本です。これまでの子どもの本の入門書や解説書と違うところは、新しい作品に限ったこと。海外のものは新しい翻訳に限りました。なぜかというと、いわゆる名作やロングセラーを紹介した本はたくさんあるんですけど、新しい本を紹介したものはありません。なぜ新しい本を紹介したかと言うと、新しい作品の方が子どもは入りやすいんです。ところが、薦める方はいつも大人なので、大人はどうしても自分が昔読んで良かった、感動した本を薦めたがる。けれども、そうではないような気がしたんです。

『それいけズッコケ三人組』表紙画像
『それいけズッコケ三人組』那須正幹 前川かずお絵 ポプラ社 1978年

赤川次郎が5年くらい前、短いエッセイで「この10年くらいでやっと自分の本が、小・中・高校の図書館に入るようになった」と書いていました。それまで、自分の本は入れてもらえなかったと言うんですね。赤川次郎というと「三毛猫ホームズ」(2)(直木賞を受賞)でデビューして以来、一般書の世界でも、中・高生むけのコバルト文庫などでもたくさん本を書いてきて、小・中・高のファンがとても多かった。当時、自分のところにはたくさんファンレターが来たけれども、自分の本は、中・高校の図書館には入れてもらえなかった。あんなくだらないマンガのような本を、子どもに読ませる必要はない、というのがその時の理由だったといいます。

ところが、この10年くらいでだんだん入るようになってきた。なぜかと思っていろいろ話を聞いてみると、赤川次郎の本を中・高の頃に読んで大人になった人々が、今、先生になって図書室に入れるようになったというんです。やっとそういう時代になったんだな、という気がします。那須正幹の「ズッコケ」シリーズ(3)も最初は小学校で入れないところが多かった。でも今は小学校どこにでも入っています。なぜかというと、その頃読んだ人々が先生になって入れるからです。

『金原瑞人〈監修〉による12歳からの読書案内』表紙画像
『金原瑞人[監修]による12歳からの読書案内』すばる舎 2005年

なので、今は入ってますけどもう遅い。舞台が20年前、30年前ですから。なるべく今の目線で、子ども向けの本を少しでも手元に届けてあげたいと思って、『12歳からの読書案内』では新しい作品を中心に選び、3冊目はこの10年間に限って選んでいます。

第2巻では「海外文学―翻訳もの」を取り上げているのですが、ちょっと皆さんにお聞きします。正直なところ、「私は日本の本と翻訳ものとあると、やっぱり日本の本が好きかな」と思う方は手を上げてください。では「翻訳の方が好き」という方は?

あっ!初めてですね、こういう経験は。大体、8~9割の方は日本の本が好きと言うんです。でもこの会場では翻訳の方が多いですね。何ででしょう?大阪の人って変ですか?(笑)

今までいろんなところで講演してきましたけれども、翻訳本が好きって答えた方が半分を超えたのは、今回が初めてです。要するに、いかに翻訳ものが最近人気がないか、という話なんです。

若者の翻訳離れ

僕が中・高生の頃はまだ翻訳ものがたくさん読まれていて、格好いい男の子、女の子は翻訳ものを読んでいたような気がするんです。なぜなら、僕が翻訳本を読んでいたから(笑)。実際、当時いろんな翻訳ものが読まれていました。ヘミングウェイの『武器よさらば』とか『誰がために鐘は鳴る』とか、スタインベックの『怒りのぶどう』とかですね。

あるいはフォークナーというノーベル賞作家の作品、あるいはパールバックの『大地』とか、フランスに行けばサルトル、カミュあたりを若者が夢中になって読んだ時代でした。それが、ふと見ると今の若者は翻訳ものを読まなくなってきているようなんです。

この10年はその傾向が特に強まっていて、大学に行って何より感じるのは、留学したい学生が減ってきたということです。昔はドルが高く、留学したくてもとても行けなかった。そういう時代がありましたが、次第に円が強くなって、行けるようになってどんどんと学生が海外に行くようになりました。ところがこの10年ぐらい、若者が留学したがらなくなった。海外旅行にもそんなに興味を持たなくなりました。

また、聴く音楽が洋楽から邦楽になってきた。最近の若者の聴いてる音楽、ipodに入っている音楽のほとんどが邦楽です。さらに、翻訳本を読まなくなった。だんだん目が内側へ内側へ向いてきている、そんな感じがするんですけど、良いのか悪いのかわかりません。少なくとも僕の時代までは、かっこいいのは洋楽でした。

当時の男の子は、大学生でも高校生でも井上陽水とか南こうせつとかを聴いてました。もちろん、ユーミンも中島みゆきも聴いていました。レコードももちろん買っていました。しかし女の子が部屋に遊びに来ると隠してました。代わりにビートルズとストーンズとマイルス・デイヴィスとコルトレーンを前において、女の子が来ると、「わっ、すごい!キングクリムゾンだ。聞いてんの?」「クリムゾンはいいよね」という話をして、女の子が居なくなると、また陽水をかけていたりしたんです。かぐや姫とかはちょっと恥ずかしくて、実は一人では聴くんだけど、女の子の前では見せられないという、我々の頃はそういう時代でした。洋楽が非常に格好いい、スタイリッシュなものだったんですけど、最近の男の子・女の子はみんな邦楽を聴くようになってきて、洋楽は聴かなくなってきた。これは音楽レベルが上がったからでしょう。

今、70~80年代当時の日本のロックとかポップスを聴くと、恥ずかしいぐらい下手ですね。今の邦楽のバンドの音を聴くと非常にうまい。なら別にアメリカの音楽を聴くことはない、フランスのを聴くことはないとそういう気になるのもよくわかる。そして、おそらく本の方も、我々が若い頃と比べていろんな本がたくさん出てきて、今の若者に非常に受けるような、そして上手い作家の書いた本がやっぱり増えてきました。そういう意味で日本の書き手、(今日の対談相手の)令丈ヒロ子さんも含めて日本作家は上手くなってきたし、おもしろいものがどんどん本の世界に広がってきています。だんだんと国内の音楽や本で満足していく若者というのは、ある意味当然でしょう。

翻訳の難しさとは

ここで少し話をずらして、翻訳の話をしてみたいのですが、よく「翻訳で何が一番困りますか?」という質問が出ます。一番困るのは、英語でいう「I」、私という一人称の「I」と、二人称の「You」です。何で困るかというと、「I」と出てくると「I」と訳せない。日本語ですから、「私」「あたし」「僕」「おいら」「俺」、どれにするか。とても悩みます。これは、10や20や30、いや100もあるわけです。

こういうと学生はよく「先生、指示代名詞の一人称は、100もないですよ」と言いますが、それは甘い。日本語の一人称というのはかなりある。例えば、「お母さんはあなたのことを思って言っているんだから」という時の「お母さん」は、英語になおすと「I」です。

絵本で象さんと蟻さんがお話をしています。象さんが「象さんはね、蟻さんのこと好きなんだよ」と言うと、「I love you.」なんです。というのは、象さんは「elephant」なんて自分で言いませんから。日本語はおもしろくて、自分のこと「象さん」とか「お父さん」とか「お母さん」って言う。英語は「I」です。そう考えると、「I」の訳し方ってたくさんある。

ここで、女性の方に質問です。自分のことを「わたし」とおっしゃいますか?それとも「あたし」とおっしゃいますか?それ以外ですか?

では、友だちと話す時は何とおっしゃいます?「自分」ですか?「自分」っていうのがありますよね。「自分」もおもしろい言葉で、例えば「自分は、そういうのいやだから」と自分のことをいいますが、一方で相手に対して「自分何考えてんの?」と相手に対しても「自分」と言います。「一人称の二人称的用法」ですが、「おのれ(己)」という言葉もそうで、「おのれ」っていうのは自分のことなのに、「おのれ!何してけつかんねん」とか相手のことも言うわけです。また、「わい、何してる?」と相手のこと「わい」って言ってしまう。これは日本語独特の用法で、こういう話をすると関西特有では?と思う方が多いですが、これは全国的なものです。一番有名なのは「うぬ」。「うぬめらの知ったことか」って、よく時代劇に出てきます。「うぬ」というのは、元々は自分のこと。「うぬぼれ」というのは、自分に惚れることを「うぬぼれ」と言ったわけです。

しかしそういったことが一切、英語にはない。大統領が、男の子に向かって「You」と言う。男の子も大統領に向かって「You」と言うんです。これは日本ではありえない。首相が小学生の男の子に向かって「君は」と言う、これは普通です。しかし小学生の男の子が首相に向かって「君は」って言いますか?言いませんね。首相に向かってだと、「首相は」とか「おじさんは」とか呼びかけます。友だちに向かっては「おまえは」って言います。自分のことを「俺」といったり、「自分」と言ったり、「僕」と言ったりするわけです。これが英語にはない。「I」しかない。「You」しかない。この「I」と「You」の、2つしかない世界というのは、日本語に絶対に訳せないです。

どうしても翻訳できない作品

『ゼブラ』表紙画像
『ゼブラ』ハイム・ポトク、金原瑞人訳 青山出版社 2001年

『ゼブラ』(4)という作品集があって、その中に「BB(ビービー)」という短編があります。主人公は「BB」。頭文字をとってBBと呼ばれているんです。BBは小学生で、お母さんが妊娠していてもうすぐ出産なのですが、お父さんが出張で不在のとき、いきなりお母さんが産気づいて病院に運ばれ、赤ん坊が生まれてしまう。BBはお父さんに連絡を取ろうとするが、会社にもお父さんが行っているはずの旅先に電話をしても出ない。途方に暮れて家でぼうっとしていると、お父さんとお母さんの寝室にボイスレコーダーが置いてある。そのレコーダーはお父さんがいつも旅行(営業)に持っていくもので、レコーダーには「パパさびしいから早く帰ってきてね」とBBの声が吹き込んである。大切に持って行ったはずなのに、そのレコーダーがこれ見よがしに置いてある。BBが何気なくスイッチを入れてみると、自分の声じゃなくてお父さんの声が聞こえてくる。「私はもうこの家には戻って来ないから」と言う。BBはぎょっとしてしまう。この半年、お父さんとお母さんは夫婦喧嘩が絶えなかった。それは、今度生まれてくる赤ん坊のことが原因らしい。BBにはかつて弟が生まれたが、赤ん坊の時生まれてしばらくして死んでいる。そのことも関係あるらしい。順々にBBの中でピースがはまっていき、弟が死んだ時のことを思い出すんです。

お父さんは「あの時は本当に悲しくて、死んでしまうかというくらいだった。あのような悲劇が2度と起こらないようにというので、2人でもう子どもは作らないって約束したじゃないか」という。でもお母さんはもう一人ほしくて、騙して作ってしまう。この半年、そのことをめぐって、お父さんとお母さんの喧嘩が絶えなかったんです。お父さんの声は「わたしはあのような悲劇がもう一度起こったら正気でいられるかどうかわからない。私は、もう一度この家に戻ってくることができないから、このことはお前からBBに伝えてくれ」と、お母さんに宛てたメッセージだった。それを、BBが聞いてしまう。BBは、ゾクッとして立ちすくむんです。

男の子?女の子?

物語はここでは終わらないのですが、ここで質問です。BBは男の子だと思って聞いていらした方、おられますか。では、女の子だと思った方? 実は女の子なんです。今まで僕は、BBとしか言ってません。男の子とも女の子とも言ってない。(皆さんが男だと思ったのは)僕が男の声でしゃべっているからではないのです。

というのは、実はこの短編は翻訳の講座で使ったことがあって、最初の半分を訳して来なさい、という課題を出したんです。最後まで読むと、女の子だということがほんの一言、わかるように書かれているんですけど、ほとんど皆最後まで読んで訳しているはずなのに、そこには気付かずに10人のうち9人が男の子で訳してきました。

この作品は全部「I」で始まって「I」で終わる一人称で、BBが語っている小説なんです。読者は「I」としか出てこないから、男の子か女の子か、自分でどこかで決めて読む作品なんです。ということは、最後になって、「あれっ!BBは女の子だったんだ」って思う人もいれば「ああ。女の子だったんだね」って思う人もいるかもしれない。そこが英語ならではのおもしろさで、この「I」が男の子も、女の子も、お爺ちゃんもお婆ちゃんもみんな表してしまう。みんな自分のことを「I」としか呼ばない。そういった言葉だからこそできた作品のおもしろさなんです。

この作品は、その点を何とかうまく訳したかったんですけど、うまくいってません。最初から、女の子とわかるように訳してます。でもそれははっきり言って誤訳。「I」を「わたし」と訳した時点で、これはもう誤訳なんです。英語では「I」というのは、男か女かも、年寄りか若者かも何もわからない、無色透明なんです。話が進んでいくにつれて、「小学生なんだな」とか「お母さんいない、今入院しちゃったんだな」とかいうことがわかってきて、次第に読者の頭の中で「男の子かな」とか「女の子かな」とかいうふうに考えて読むようになっていくんです。

もうひとつおもしろいのは、今のBBの話を聞いて、どの段階で男の子って決めました? 覚えてないでしょう。不思議なんですけども、誰に聞いても、「あれ!いつだったっけ」、「何となく」ぐらいで、これを何とか確かめたいと思うんですけど、確かめようがない。しかし、どこかの段階で読者は男の子か女の子か決めて聞いているんです。

外国語では伝えきれないもの

それはさておき、「I」の無色透明性というのは、日本語にはないわけです。これはどうしても伝えようがない。逆に日本語を英語にする場合、例えば『吾輩は猫である』を英語に訳すと、「I’m a cat.」。「えっ!I’m a cat.はないだろう!そんなふうに軽く言われると漱石先生はおこるよ」と思ってしまう。「吾輩は猫である」というちょっと偉そうな、とぼけた感じが「I’m a cat.」です。

逆に「I’m a cat.」を日本語に訳せば、「私、猫よ」かも知れないし、「オイラ、猫」かも知れないし、もちろんたくさんある選択肢のうちの一つに「吾輩は猫である」というのはあるのかも知れない。「I’m a cat.」一言に対して、日本語の訳語というのは、実にたくさんあるんです。まず、一人称がたくさんある。さっきの例で言うと、「象さんは猫よ」でも良いわけです。象さんが自分のことを猫と思っている話ならば、「象さんは猫なんだ、本当はね」という話かも知れないわけなんです。そんなのは、幾らだって考えられるわけです。

ところが、「I’m a cat.」は、どれも「I’m a cat.」なんです。「吾輩は猫である」の「である」が英語にはない。「I’m a cat.である」とか言いませんから。「私は猫よ」でも「I’m a catね」とは言わない。つまり終助詞がない。ちょっと偉そうな「である」とか「○○だ」とか、「○○ね」、「○○よ」という終助詞がありません。英語ではそういう要素は出てこない。「あたしそれ好きなのよね」でも、やっぱり「I love it.」だったり「I like it.」だったりするわけです。そうすると、非常にシンプルな英語と、それに対してさまざまな表現のある日本語、この二つは比べようがないぐらい違います。

日本人は自分をどう呼ぶか

講演中の金原瑞人さん画像

今、一人称の話をしましたけど、日本人自身、自分をどう呼ぶかって迷うことがありませんか。特に、男性の場合です。結婚して子どもができて、その時自分を「お父さん」と呼んだりします。あるいは「パパ」。お母さんだと「ママ」。お父さんが自分を「パパは…」と言ってたのが、子どもが中学・高校に入って、息子に向かって「パパは…」って言うでしょうか。僕は恥ずかしくて言えない。

いきなり「お父さんは」は変だし、「俺は」もおかしいな、「僕は」も変だし、どうしようかなと思っているうち、主語がなくなるんです。「ん、それは良いね」とか「好きだよ」とかね。「それを取ってくれないか」とかなんでも良いんですけど、主語がなくなる。こんなおもしろい現象も、英語の世界ではあり得ない。全て「I」ですから。

つまりどうしても訳せないものというのは五万とある。日本語から英語、英語から日本語、どちらをみてもそういう言葉はたくさんあるわけで、その典型的な例はというと、「I」と「You」。そのようなことに悩みつつ、苦闘しつつ、翻訳家というのは毎日を過ごしています。

翻訳で伝わるもの、伝えたいもの

話は終わらないんです。こんなに違う英語と日本語、別にスペイン語でもフランス語でも良いのですが、この二つ、こんなに違って本当に作者の言いたいことが伝わるんだろうかということなんです。今言ったような部分、伝えようとしても伝えられないことはあります。けれども、おそらく同じ感動は、伝わるんだと思います。作者が伝えたい感動、あるいはメッセージ、それはほとんどが伝わるはずなんです。

一度、神宮輝夫(5)先生とお話したことがあって、もう20何年前、僕が最初の翻訳を出した時です。二人で飲み屋に行って話していて、神宮先生は「翻訳っていうのは異文化の伝達だから」という話をされた。僕がその時に考えたのは、確かに異文化―アメリカのこと、フランスのこと、フランスの恋愛、イギリスの恋愛、あるいはその死という問題についてのいろいろな考え方、そういったもの―を日本人に伝えるということはあるけれども、そういう異文化の伝達と、やはり同じ感動の伝達も大切ではないかということでした。

ですから、どうしても翻訳することによって、掬いきれずにこぼれ落ちてしまうものは必ずあるのですが、それでもしっかり伝えなくてはいけないものは伝えられていると信じてないと翻訳家はできない。ある意味、楽天的な人間なんです。そういう気持ちを持って翻訳を続けているわけですが、今日は図書館に来ていただいた皆さんにお願いがあります。翻訳ものをなるべく若い人に読んでもらえるようにご協力ください、ということです。なぜか。伝えられないものを超えて、非常に素晴らしい感動やメッセージが伝わるというのは、日本語の本からは得られないことだからです。もうひとつは、海外にはとても日本の作家には書けないような異質な作品がたくさんあるということです。その二つですね。

若いうちに翻訳を

さらに、なぜ若い人に読んでほしいかというと、年を取るとしんどくなるからなんです。年を取ると、読んでいくうちに「この登場人物、誰だったっけ?」と思ってターンバックすることが増えてきませんか。それが面倒くさくなると、だんだん翻訳を読むのがつらくなってきます。つまり、記憶力、忍耐力、体力、気力、これらが衰退していくと、翻訳を読むのはつらいです。

僕は英文科に入りました。同級生で、本好きの連中がたくさんいました。みんな、翻訳ものが好きで、仏文科に行ったり独文科に行ったり、そういった連中が多かった。大学の頃にはそういった連中が周りにいました。最近、そういった当時の友だちと会うことがあるんです。飲みながら、本の話になって、彼らは、最近、池波正太郎か藤沢周平です。30年以上前には、ヘミングウェイとフォークナーを並べて何だかんだ言ってた連中が、あるいは、スタインベックとユージン・オニールを語ってた連中が、今、池波正太郎が良いか、藤沢周平が良いかという話をしているわけです。司馬遼太郎ならまだ良い方で、もう何をかいわんやです。でも、だんだんそうなる。

ある意味、翻訳ものというのはしんどいです。まず、固有名詞がでてくる。固有名詞が出てくると、人の名前なのか、土地の名前かもわからない。読んでいくと、ああ、人の名前なんだ、と思っても、人の名前でも姓なのか名なのかわからない。そのうちに名前だとはわかっても、今度は男か女かわからない。

一方、日本ものであれば、非常にイメージがわきやすい、というのがあります。「札幌では初雪が降って」と言われたら、あの時計台が頭に浮かんで、北海道に行ったことがなくても「札幌に初雪が」といえばそれなりのイメージがわいてきます。「木曽路はすべて山の中である」とは、島崎藤村『夜明け前』の冒頭ですけど、木曽路は山の中か、そうだよな、と思う。木曽路が何県にあるかは知らなくても、何となくイメージはわくわけです。

ところが、「ウィスコンシンでは、初めて池が凍って」と言われても、「ウィスコンシンって何?」でしょう。そもそも知らない作家のものというのは、その人がオーストラリアの人間なのか、イギリスの人間なのか、アメリカの人間なのか、わからないわけです。もしかしたら、インド人かも知れない。

気力・体力・翻訳

そうなると、「ちょっと待てよ」と大人はひっかかってしまう。そこを克服して、前に進んで行こうという努力が、なかなかしんどくなってくる。おもしろいことに、日本人で翻訳ものを読まなくなるのは、中・高・大なんです。その頃から、今は読めなくなってきています。

小学生は平気なんですね。なぜかというと、そこらはすっ飛ばして、「ふーん」といって読んじゃうからです。小学生は、非常におおらかな感性を持っていて、「ウィスコンシンはすべて平原である」「木曽路はすべて山の中である」と言われても同じなんです。ところが、中・高生になって、そこが気になってくると、だんだん翻訳ものはしんどくなってくる。かつ、それを、中・高・大までは読んでいても、大人になって、社会人になって、仕事をし始めて時間がなくなって、気力も体力もなくなってくると翻訳ものはいよいよ読むのが億劫になる。

ときどき、学生と我々(教員)が一緒に豚カツ屋に行くことがあります。学生たちはロースカツなんです。我々教員はヒレカツなんです。我々の上の世代は、海老フライなんですよ。そういうふうに、歳によって食べるものが変ってくる。海老フライの上の世代の先生方はもう豚カツ屋には来ない。これは、これでしょうがない。だけど、せめて若い時にはロースカツを食べて、サーロインステーキを食べて、豚の角煮を食べて、その楽しさ、その美味しさを十分に味わってもらいたい。そして、やがて50年後、60年後に、お茶漬けに行きつくのはしょうがない。

けれども、その前から日本の作家の本ばかりには行かないでほしい、という気がするわけです。若者と話していて、さっきお話したように、目がだんだん内へ内へと向いている。これは、僕にとってはさびしい。日本がある意味、文化的に成熟して来た一つの表れなのかも知れませんけども、海外のものを享受して、外に目が向かっていた我々の世代としては、ちょっとさびしいなという気がします。

おわりに

若い時に翻訳ものを読んでほしい。その気持ちを、今日は皆さんにお伝えしたいと思ってやってきました。しかし、若者に翻訳ものを薦めるためには、まず皆さんが読まなくちゃいけない。自分で読まずに「おもしろいそうよ!」ではいけないんです。演技でもかまいませんから「これすごいおもしろかった!だからちょっと読んでみたら?」と、自分が読んでおもしろい翻訳ものがあったら若者に薦めてあげてください。若いときに読んだものはいつまでも頭に残ってます。

ちょうど、この間「スーパーマリオ」が4つまとめて出ました。誰かが言ったのですが、画面はあまり覚えがないけれども(イメージするだけで)指が動くというんですね。このように若い頃に覚えたものは体に染みついています。「スーパーマリオ」と本は同じか、と言われるとつらいですが、同じではないでしょうか。

ふっと幼い頃に読んだもの、あるいは中・高時代にすごく感動したもの、衝撃を受けたものは、ここら辺(背中や頭)に刻み込まれています。そういう経験ができるのも、おそらく30代までで、40代、50代になると、だんだんと体が固くなってきて、少々のものでは傷がつかないし、心が傷でまいることもそうそうなくなってきます。でも若い頃というのは、怖いように本や音楽が心に突き刺さってくる時代です。そういう時に、海外の翻訳ものを読んでるか、読んでないかというのは、もしかしたらそれからの人生においても、あるいはそれからの自分が楽しみを見つける、楽しみのバリエーションが増えるということでも、とても良いことだと思います。それで、僕は今でも翻訳を続けています。

実は、私は2010年4月から法政大学の社会学部の学部長になりました。学部長になると仕事が増えるのが一番いやですが、これも順番で仕方がない。今年、来年と、夏休み以外の講演は受けていません。なぜなら何かがあったらすぐに呼び戻されるからです。

今回「大阪に来い」と言われて、「あ、10何年ぶりの大阪、行かなくちゃ」と思って来たのですが、翻訳の難しさと翻訳もののおもしろさを伝えたい、また若い頃にぜひそれを読んでほしいというメッセージを伝えたくて、ここまで来ました。

今日はどうもありがとうございました。  (了)

【注】

(1)『金原瑞人〈監修〉による12歳からの読書案内』(すばる舎)

 ①2005年12月 ※日本作品を100冊紹介

 ②2006年12月 ※海外作品を100冊紹介

 ③2009年 2月 ※続編(日本作品を95冊紹介)

(2)『三毛猫ホームズの推理』赤川次郎、光文社、昭和53年4月

(3)『それいけズッコケ三人組』那須正幹作、前川かずお絵、ポプラ社、1978年2月

(4)『ゼブラ』ハイム・ポトク、金原瑞人・訳、青山出版社、2001年5月

(5)児童文学研究者、翻訳家。1932年群馬県生まれ。早大在学中に、鳥越信・古田足日らと「『少年文学』の旗の下に!」(いわゆる「少年文学宣言」)を発表。未明や広介らに代表される伝統的な童話精神を廃するこの宣言は大きな反響を呼び、やがて石井桃子らの『子どもと文学』(岩波書店)に引き継がれ日本の現代児童文学を動かす起点ともなった。以来、英米児童文学の研究や評論、創作などに精力的に活動し、『アーサー・ランサム全集』全12巻をはじめ、タウンゼントやアトリー、センダックなどの翻訳や、『世界児童文学案内』『英米児童文学史』など多数の研究書がある。2009年、児童文学研究の発展に貢献した研究者を顕彰する「第12回 国際グリム賞」を受賞。現在、青山学院大学名誉教授。

(2010年9月18日 於:府立中央図書館ライティホール)

(文責:大阪府立中央図書館国際児童文学館)